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102.



 「どっちにする?」

 

 沖田が横で聞いてくる。

 

 「旦那どちらに・・」

 その向こうでは忠吉が、目を輝かせて沖田を見上げているのに。

 

 (・・コレもしかして私が決めるの?!)

 

 「心に浮かんだほうは、どっちだった」

 沖田が促してくれる間も、周囲では賭け銭が、丁のゴザの上にばかり、どんどん置かれてゆく。

 どうやら今回、人々は丁と予想した様子。

 

 じつは冬乃の心に浮かんだのも。

 「丁・・でした」

 責任重大な冬乃がそうして、漸う決意して答えた、

 矢先。

 「半方ないか!半方ないか!」

 

 半への呼び込みが始まって、すっかり出遅れたらしき冬乃は困った。

 もう選択肢が無いではないか。

 

 「丁だと思ってたなら、今回は休みにしようか」

 「旦那あ」

 沖田の隣で同じく出遅れた忠吉が嘆いた。

 (スミマセン)

 

 「丁半揃いやしたッ!勝負!!」

 

 (あ)

 

 「丁!!!」

 

 壺が開けられて現れたサイコロは四と二で、合わせて六の丁である。

 歓びと嘆きの叫びが巻き起こるなか、冬乃はがっくりと肩を落とした。

 

 外れるのも悲しいけれど、当たっていたのに賭け損ねたのがそれ以上に悲しいとは。

 

 「次がんばれ」

 沖田が励ましてくれた。

 

 半に賭けられていた銭が回収されて、主催者たちのふところ用にいくらか除けられた後、丁に賭けていた者たちへ手際よく配当される。されるや否や、

 「お次はいりやす!!」

 すぐに場が切り替わり。

 

 目の前で見ていると、その手際の良さに改めて驚く。

 

 そういえばもう四半刻は壺を振り続けている人が、そろそろ疲れないのか、心配になった冬乃はちらりとその彼を見遣った。

 ちなみに冬乃が期待したような、時代劇さながら任侠の女性がもろ肌脱ぎで振ってはいないのが、少々残念ではある。

 

 (・・あ)

 そして疲れ知らずとばかりに、掛け声とともにあいかわらずものすごい高速で壺が伏せられた。

 

 「さあ張った張ったア!丁か半か!」

 

 「どうする」

 沖田がにこにこと冬乃を向く。

 「は・・はんでしょうか?」

 じつは冬乃は今回、心に浮かばなかった。つい疑問形で答えながら沖田を見上げると、

 一瞬何か含ませたように目を細めた彼が、

 「本当に?」

 小声で囁いて。

 

 「・・・丁にします」

 

 どうやら。

 冬乃が間違えた時は、ちゃんと“指南” してくれるらしい。

 

 ここでも過保護ぶりが健在な沖田に冬乃は頬肉を緩めてしまいながら、丁のゴザへと腕を伸ばして銭を数枚置く。

 冬乃を見て、沖田の向こうの忠吉が一緒になって腕を伸ばす。が、彼の場合、大量の銭を積んでゆくのが冬乃の目に映る。

 

 (わわ・・)

 完全に沖田を信じているらしい。

 

 「丁方ないか!丁方ないかア!」

 今回は半に賭けている者が多く、忠吉の銭の山があっても、まだ丁半同じ賭け額になるには足りないらしい。丁へ賭けるよう促す主催者の声が鳴り響いた。

 

 「ここはあっしが持ちやしょうッ!」

 嬉々として忠吉が更に丁へ銭を足す。

 「よっ、太っ腹!!」

 場に歓声があがり、忠吉の積む銭の頂上もとんでもなくあがる。

 

 「丁半揃いやしたッ!では勝負!!」

 

 そして。

 

 

 「丁!!!」

 

 「いよっしゃあアアア!!!」

 

 忠吉の特大の咆哮が轟き、周囲が仰け反った。

 

 

 「なんでぃ忠吉さんよ、今宵は随分ついてんじゃねえか!?」

 向かいから忠吉の知り合いらしき男が呼びかけた。

 「そりゃあそうさね!今こっちにゃ賭け事の神様がついてんでい!」

 忠吉がふふんと鼻を鳴らして応答する。

 神様は明らかに沖田のことだろう。

 

 半に賭けられていた銭が瞬く間に回収され、丁に賭けた者たちへ配当されてゆく。忠吉の受け取る割合は当然に最大である。

 

 冬乃も、戻ってきた賭け銭に加えて目の前に置かれてゆく配当の銭に目を輝かせた。

 

 「もう一回やる?」

 今回冬乃は正確には当てていないので、沖田が気遣ってか確認してくれて。

 「はいっ」

 冬乃は意気込む。

 続けることできっと一番喜ぶのは忠吉だけど。

 

 斯くして冬乃たちの見つめる先。

 再び、勢いよく壺が伏せられた。

 

 「さあ張った張った!丁か半か!」

 

 「はん・・かな」

 

 今度は一応、心には浮かんだものの。自信なさげに沖田を見上げた冬乃に、だが今回は沖田がにっこり肯いてくれる。

 (てことは、)

 めでたく当たっている様子。

 

 喜んだ冬乃が半のゴザへ銭をちょっと多めに置くと、それを見た忠吉もさっそく半側へ銭を積み上げ始めた。

 やはりすごい山になってゆく。

 

 「丁方ないか!丁方ないかア!」

 あまりに忠吉が積み上げたせいで、丁側が足りなくなっている。

 「おいおい忠吉さん!」

 先程以上の銭の大山に爆笑する場と、当然自信たっぷりにふんぞり返る忠吉。

 

 「わぁかったよ、勝負してやらあっ、丁!!」

 「俺も丁だ!!」

 まもなく乗った人々が銭を投げ込んで、

 

 「丁半揃いやしたッ!勝負!!」

 

 決戦の火蓋は落とされた。

 

 

 「・・・半ーーーッ!」

 

 「うおおぉぉぉしゃアアア!!」

 「「うおおおおおう!?」」

 

 狂喜乱舞する忠吉と、同じ音量で吃驚する人々で、

 場のそんな騒然ぶりに笑ってしまいながらも冬乃は、もはや耳を塞ぎかける。

 

 「御前さんら、みな後でうちに来な!!奢ってやりまさあッ」

 「いよっ男前!!」

 

 どうやら大勝利しても結局、皆にご馳走をふるまって仲良く恨みっこなしといったところらしい。

 さすがの社交性の高さに冬乃は感嘆する。

 

 この賭場に集う人々は、稼ぐことよりも皆で一緒に楽しむことを最大の目的にしているのかもしれない。

 江戸っ子は喧嘩も華と聞くのに、冬乃が此処に来てから一度も言い争いのひとつ見ていないのだ。

 

 おもえばこの平和で盛況な場のおかげで、冬乃もずっと楽しく過ごさせてもらえていることに気づく。

 

 「旦那、ありがとうごぜえやす!!ぜひ何か御礼させてくだせえッ」

 

 三人、場を後にしながら、興奮冷めやらぬ忠吉がまもなく沖田へ大仰に腰を曲げて敬礼した。

 いつのまにか忠吉の背後に戻ってきている若衆たちも、一緒になって慇懃に頭を下げている。

 

 「とんでもない、御礼される程の事はしてませんよ」

 沖田がすぐに恐縮してみせた。

 「それどころか忠吉さん方のおかげで妻共々楽しいひとときを過ごせた。こちらこそ礼を言います」

 

 「旦那ア・・ッ!」

 見るからに感激した忠吉が、再び深々とお辞儀をして。

 

 「またすぐにお会いできるときを心待ちにしてやす!!」

 「ええ、折をみて次は忠吉さんの賭場へ土方さんと伺いますよ」

 「へい、一同首を長くしてお待ちしてますッ!土方の旦那にも何卒宜しくお伝えくだせえ・・!」

 

 

 そうして別れの挨拶を交わし沖田たちが外に出ても、それから冬乃が何度振り返ってみても、

 (わ・・)

 道の角を曲がる最後の時まで、なんと彼らはお辞儀をしたままだった。

 

 

 よほど沖田に感謝したのかと思った冬乃だが、

 

 (そっか・・)

 

 きっと、それだけじゃない。

 まもなく冬乃は思い出した。

 

 江戸こそは、将軍お膝元の地であるが故に、

 

 武士と、そうでない者、両者の距離が最も遠い、

 すなわち日本中で最も、身分が絶対な封建社会の町だったと。

 

 (・・それでいて、)

 

 最も両者の距離が近くもある、不思議な町であることも。

 

 武士への畏怖と同時に親愛が、

 日本のどこよりもそれぞれに深く、共に全く欠かすことなく根付いている町。

 

 江戸の武士達の側もまた、彼ら武士ではない者達と身分のそんな隔たりを飛び越えて親睦を深めてきた長い歴史をもち。

 

 

 けれどその中でも、沖田の彼らへの接し方は群を抜いているのではなかろうか。

 

 (忠吉さんに対して、ずっと丁寧語で話してたし・・)

 

 

 忠吉のようにたとえ昔馴染みの親しい間柄であってさえ、相手が遥かに年上であれば礼儀正しく接しつづける沖田の姿勢は、やはり互いの身分すら全く関係なく、一貫している。

 

 

 (・・・そうやって気づいてみるとほんとに、土方様の例外ぶりが・・)

 

 土方こそ、沖田の十近くも年上なのに。

 

 尤も、土方への彼の“ちっとも礼儀正しくない” 態度は愛情表現なのも明らかなので、きっとあれはあれで良いのだろうけど。恐らく当の土方以外。

 

 

 

 

 「腹減らない?」

 

 所々に提灯を掲げた屋台が出ている。おかげで夜道もほんのり明るいなかをゆきながら、沖田がふと冬乃を振り返った。

 

 「はいっ」

 賭博に出向く前、すでに小料理屋で美味しい食事を済ませていた二人だが、

 夜も更けてきた今、たしかに小腹がすいているのを感じる。

 

 どこか屋台に寄るのだろうと、冬乃はどきどきと辺りを見回した。

 それにしても、さすがは江戸の町、まだまだ夜遊びに出歩く千鳥足の人々が散見する。

 

 (ん?)

 

 いま風鈴の音がしたような。

 冬なのに。

 

 (・・・気のせい?・・あれ)

 

 確かに聞こえてくる音に、冬乃はびっくりして辺りを探り出した。

 

 「どうしたの」

 あまりにもきょろきょろしている冬乃を、横に来ていた沖田が手持ちの提灯を下げて覗き込んだ。

 

 「私の耳がおかしくなったのでしょうか・・なんか風鈴の音がするんです」

 

 「ああ」

 未来では風鈴の音をさせてないんだね

 と沖田が謎の台詞を吐いた。

 (?)

 「蕎麦屋だよ」

 

 (蕎麦屋!?)

 

 「たとえばあの屋台」

 沖田が指し示した屋台へ、冬乃は目を凝らす。二八そばと書かれた看板と、その上の屋根には確かに風鈴が時おり揺れているのが見えて。

 

 「行ってみる?」

 

 「はい!」

 冬乃はもちろん、大きく二つ返事で答えていた。

 

 

 

 


 


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