101.
まさかの。
「さあ張った張ったッ!丁か半か!」
任侠のふりをした、あの時を思い起しながら。冬乃は息を凝らす。
いま彼らの集う、本物の賭博を、
ここにきて観ることになるとは。
「半方ないか!?半方ないかア!?」
場内の熱気に圧されながら、冬乃はつい目を輝かせて魅入る。
「半方ないかア!?」
「いざ、半!!」
「おらも半だ!どうだ!」
「丁半揃いやしたッ!勝負!!」
(あ)
「半ッ!!」
刹那に歓声と落胆、両者の叫び声が場内に轟く。
彼らの背後に居並ぶ観客に交じって冬乃は、どきどきと沖田の隣から首を伸ばして、二つのサイコロの目を確認した。
二と三が出ているので、合わせると五、
半端な奇数なのでなるほど『半』。
冬乃は頭の中で納得しながら、だけどまもなく首を傾げた。
遠い昔に土方は、沖田の元服する前から賭博に連れ回して、沖田の勘を利用してぼろ儲けしていた、と聞いたけども。
当然、この丁半の賭博もそれに含まれていたはず。だけどいったい沖田はどうやって丁か半かを当てていたのだろう。
冬乃はおもわず隣の彼を見上げた。
沖田がすぐに応えて視線を返してくる。
「総司さん、」
冬乃は沖田の耳元のほうへ爪先立ちしながら囁いた。
「ん」
屈んでくれる沖田に、そして冬乃は、
「今の、どちらか判りました?」
耳打ちしてみた。
「いや、」
沖田が微笑った。
「此処からじゃ判らない」
(此処からじゃ?)
「・・どういう意味ですか?」
疑問をそのまま投げかける冬乃に、なんのことはないとばかりに彼は続けた。
「斜め前あたりに座っていれば見えるが、此処からは見えないという意味」
(“見える” !?)
今も再び繰り広げられている壺振りへ、冬乃は視線を戻す。
斜め前に座ったとて、あの壺に伏せられ隠されたサイコロが、どうしたら見えるというのか。
「ま・・まだちょっと意味が分からないのですが・・、どうやって丁か半か見えているのですか・・?」
混乱丸出しでさらに問う冬乃に、「単に」と沖田が再び微笑った。
「角度によるが壺に放たれた後の一瞬、中が見える時がある。そこから壺が伏せられ開けられるまで、一連の中の回転をあとは予測するだけ」
(・・・え)
壺が開けられる直前のサイコロを透視でもしているわけではなく、
あくまで壺に入った直後の、壺振り師の指を離れ、壺の中で宙に浮いた瞬間のサイコロが見えているらしいことはわかったが、
「・・・」
「勿論、角度が悪いと見えないけどね」
(うそ・・でしょ)
冬乃は今一度、向こうで繰り広げられている、高速で伏せられる壺振りを凝視する。
沖田がいうように角度によっては一瞬だけ中が見えたとて、神がかった動体視力でもなければ、到底サイコロの目すら判別できたものではないはず。
(でも・・)
沖田にそれが見えているというなら。
(そういうことになる・・・よね・・。)
「丁ッ!!」
姦しい場内の歓声を耳に、冬乃は茫然と沖田に視線を戻した。
なにより壺の中の続く回転まで予測できる程までに、その一瞬で、両のサイコロの目のみならず、サイコロ自体の動きをも見極めているということではないか。
だからこそ最終的に当たる勘となりえるのだから。
最早それを一般的な意味合いでの勘と呼んでいいものなのか、わからないけども。本人は勘と言っていたが、どちらかというと、
(予知、だよねもう)
「・・・・」
たしかに剣術には、優れた動体認識力はなくてはならないもの。
それにしたって。
(総司さんのは、“優れた” どころの話じゃないんだけど・・・)
彼の剣術における天賦の才には、どうやらこのあたりにも由縁があったのだと。
そうして動きを先読みする能力の上に、更には例の気配をよむ能力しかり、
あの、人よりむしろ野生の動物がもつような、もはや第六感とよばれる類いの能力も、元々鍛え上げられる以前からきっと普通の人の何倍も備わっていたことだろう。
そしてそれらの天賦の才を、最大限活かすことのできる肉体にも、彼は恵まれて。
(そう・・)
沖田の場合、すべてが備わっているのである。剣を大成させる、すべてが。人並外れた体力、身体能力、そして恵まれた体躯の生み出す強靭な筋力までも。
冬乃がもう何度も拝んできた、後世で三段突きとよばれ伝説になっている超高速の突き技も、
まさにすべてが融合されて成せる技のひとつ。
(今やっと、もう少しだけ知るコトできたのかもしれない・・・)
冬乃は目の前で沖田のあらゆる“神業” をもう何度も見てきながら、今までは、それらを成しえる彼の天賦の才がそれぞれどんな由縁のものなのか、もっと漠然と想像していただけだった。
「さあ張った張った!!」
鳴り響いた掛け声を耳に、冬乃は溜息をつく。
(・・・土方様も、やっぱりすごいです・・)
土方の“天賦の才” もまた、脱帽もので。
動体視力なんて概念がまだ無かったはずの、この時代に、
土方は、早くから剣術の才能を開花させていた沖田の、その才能の大元のひとつが何であるかを
持ち前のまさにおなじく天賦の才と呼ばれるべき鋭い洞察力で、恐らくは正確に察知し、
賭博に利用できるなんて事までも解ったからこそ、沖田の元服も待たず早々に連れ出したのだろう。
「冬乃もやってみる?」
不意の誘いに、一瞬で思考を飛ばした冬乃は目を瞬かせた。
「いえいえいえっ」
そのまま首を激しく左右に振る冬乃に、当然ながら沖田が笑い出す。
「そんな全力で拒むかな」
「だって、私にはとても当てれませんし!」
「当てて勝たなくとも、楽しめればそれでいいだろ」
(・・う?)
沖田の促しに冬乃は、ちょっとその気になる。
そういえば予測ができないのが普通なのだ。当たるか当たらないか、確かに只それだけを楽しめれば充分なのではないか。
「そ・・そしたら」
「やっぱり!沖田の旦那じゃねえですかい!?」
突如、横合いから太い掛け声が響き、驚いた冬乃は口を噤んだ。
その方向を見ると、腹にはサラシと匕首差しの、みるからに侠客のなりをした中年の男が、見開いた目を輝かせて立っている。
その後ろには、彼の子分なのか若い衆が遠慮がちに伏せ目で控えていて。
「いつのまにこっちへ戻ってらしたんでえ?!旦那の京でのご勇名は常々聞いてましたぜ!」
「忠吉さんか、」
沖田がすぐに懐かしそうに目を細めた。
「えらいご無沙汰してます。江戸にはつい先日、皆で戻ってきたばかりなんですよ」
「ってえと土方の旦那も一緒にお戻りですかえ?!」
「戻ってますよ」
「こりゃますます懐かしいなあ・・!!」
忠吉と呼ばれた男は、ついに歓声をあげた。
「またあっしらの賭場にも来ておくんなせえよ!勿論お二方にはあっしら側についていただきやすぜ」
「はいはい・・」
なにやら思い出したように笑い合う二人を冬乃がどぎまぎと見つめたとき、
「ところで旦那、」
不意に忠吉が冬乃を向いた。
「こちらのべっぴんさんは、旦那の・・」
「妻です」
「え!」
(あ)
「冬乃ですっ」
慌てて会釈をする冬乃の前で、忠吉が急に姿勢を正した。
「御新造さまでしたか!・・・ついに旦那も御身を固めなすったんですねい・・」
そのまま忠吉は何故かしみじみと呟いた。
「御新造さま、ご存知かもしれやせんが」
と、そしておもむろに冬乃に向き直り。
「昔は旦那、もうお見かけするたんびに違うお連れ」
「忠吉さん」
苦笑した沖田の制止に、「おっと」と忠吉が己の額をぺしりと叩いておどける。
制止は少々、間に合わなかったが。
(・・・・今のって流れ的に、総司さんがいつも違うおんなのひと連れてた・・て言おうとしたよね絶対・・・)
沖田のモテ具合などとうに分かっていても、冬乃の内では俄かに嫉妬心が再燃する。
「まあ、あっしが言いたかったのは」
これだけは言わせてくだせえ、と忠吉がすまなそうにしつつもニヤけた。
「御新造様は、そうして旦那が数多のおなごとの末にやっと見つけなすった一番の、いいや、唯一の御方だってえ事ですぜ!」
(・・え)
これは。もしかして素直に喜んでいいのだろうか。
冬乃は目を瞬かせる。
「いやあ本当に、めでてえや・・!」
どうやらこちらは本気で喜んでいるようで、顔を綻ばせている忠吉を前に、冬乃はそして絆される。
「忠吉さんこそ、俺達が江戸を出る少し前、風の便りに聞きましたよ、」
沖田が何か思い出した様子で微笑んだ。
「お竹さんとついに夫婦になったと。お竹さんはお元気ですか」
「いやいや、あいつは元気どころじゃねえですわ・・!」
忠吉がぼりぼりと頭を掻いた。
「今じゃもうあっし、すっかり尻に敷かれてますぜ!」
「へえ、あのお竹さんからは想像つかないな」
幸せそうに笑っている忠吉に、沖田も笑い返す。
「旦那方はこれからもうずっと江戸にいらっしゃるんで?」
ふと場内に再び起こった姦しい叫びに、負けじと忠吉が声をあげた。
「もしそうでしたらまた昔のようにうちにも来てくだせえ。大親分も大喜びしますわ!ただでさえ久方ぶり、一同盛大にもてなしさせていただきやす・・!」
「有難いですが恐らくまた近いうち江戸を離れることになるでしょうね・・」
「そうなんですかえ・・・てえと噂は本当なんですかい、薩長の軍が今にも江戸に攻め入ってくるってえのは・・」
冬乃はどきりと、忠吉の不安と憤りの混じりあう表情を見遣った。
「いや、ただそうなっても攻め入らせぬよう、我々が総力を挙げて阻止します」
「お頼み申しやす・・ッ、こういう事はお侍様方が頼りですから・・だがあっしらはあっしらで、出来る事させてくだせえ」
「勿論です、その節には宜しくお頼みします」
「・・・ああしまった、ちきしょうめ」
つと忠吉が我にかえった顔になって悪態をついた。
「最近は湿っぽい話になりがちでいけねえや・・ッ、せっかく旦那にも久方ぶりにお会いできたってえのに」
「気ィとり直して、今宵くれえはとことん楽しくいきてえもんだ!そういや旦那方は、もう既にたんと稼ぎなすったんですかえ?」
「丁方ないかア!!」
かわらぬ向こうの賑わいを忠吉が一瞬見遣ってから、沖田と冬乃へ交互に視線を戻す。
「もしこれからまだ賭けなさるってんなら、あっしもちょいと、おこぼれに・・」
口ぶりからして、沖田と同じほうへ賭けたがっていること丸出しな忠吉が、伺うように沖田を上目に見上げているのを、冬乃は横で内心苦笑する。
(そりゃそうだよね)
これまでの二人の話からは、昔に賭博で沖田たちがやたら当てていた事も当然、忠吉は知っている様子だ。
「見ているだけのつもりでしたが、」
沖田が仕方なさげに微笑った。
「では一回ぐらいやりましょうかね・・」
(あ)
「うおおっしゃッ!有難う存じやす!!」
(御礼言っちゃってるし)
ますます内心笑ってしまいつつ冬乃がそのまま沖田のほうを見上げると、すぐに沖田もにっこり見返してきた。
「冬乃もおいで」
(ハイ)
「まずは冬乃の、今宵の運だめしだ」
歩み出した沖田の背が呟いた。




