98.
「もう風呂に行く?」
戻って来た沖田が、
行李の運び込まれている事に冬乃へわざわざ礼を言ってくれながら、冬乃の行李の上には風呂用の着替えが既に準備されてあるのを見て尋ねてきた。
冬乃はどきりと顔を上げるも。次には遠慮の想いに押されて、首を横に振った。
今の時間では、隊士達がそろそろ使い始めている頃ではないだろうかと。
だが冬乃のそんな心配は聞かずと解ったらしい沖田が、
「此処は女風呂が元々あるところを俺らで男風呂共々使わせてもらっているわけだし、気にしなくていいよ」
“取り返す” だけだと、沖田が何でもなさそうに笑う。
本当は一刻も早く風呂に入りたい冬乃の思いをも、当然のように解ってくれていた様子で。
「俺も入りたいし、」
(え)
けど何の気もなしに落とされたかの、続いた台詞には、冬乃は今度こそ心臓を跳ねさせて沖田を見上げていた。
「ついでに俺も一緒に入らせてもらうよ」
沖田が何を考えているのか、あいもかわらず掴めない。
旅籠の者に聞いてあった風呂場の在るほうへと、向かう沖田に続きながら、冬乃は鬱々として、胸元の着替えの風呂敷包みを抱き締めた。
もう沖田は一糸纏わぬ冬乃と過ごしても、そういう気分にもならないということだろうか。
ふたりきりのそんなひとときが辛いと思っていたのは、じつは冬乃だけだったのか。
「・・まだ誰も居なかったか」
つと安堵したような声が呟かれ、
冬乃ははっと向こうに迫った風呂場を見遣った。
利用者の居る気配が無いということだろう。
それには冬乃もほっとしながら、
まもなく沖田が、先ほど部屋を出る前に用意した『使用不可』と書いた人払いの紙を、戸の前で石の重しの下に置くのを見守る。
戸を開ければさっそく、溢れんばかりの湯気が二人を出迎えた。きっと宿の者が沸かしてくれたばかりなのだろう。
脱衣所では格子窓からの光粒が、そんな湯気を緩やかに煌めかせている。
その光景は、
いつかの、稽古のあと二人で初めて昼下がりに屯所の風呂場に入ったあの時や、二人の非番の日に一日じゅう家で過ごしていた時を、
その懐かしい日々を、刹那に思い起こさせ。
冬乃は襲ってきた悲しみに圧されて、咄嗟に光の窓から目を逸らした。
冬乃の横では沖田が常に違わずさっさと脱ぎ始め、冬乃は戸惑ったまま、せめて褞袍だけでも脱ぎ始めたものの。
どうすれば、心惑わずにこの先を遂行できるというのか。
否、無理に決まっている。
冬乃は胸内で嘆息しながら、
気づけば横で既に最後の褌だけになった沖田から、慌てて顔を背けた。
けれどそんなあいかわらずの冬乃に、ふっと微笑う息が聞こえ、
背けているはずの視界を、次には沖田の太い腕が過ぎり、
あっと思った時には冬乃は、直に彼の温かな肌を、頬に受けていた。
(総司さ・・)
抱き締められて、逞しい胸筋を頬に深々と受けたまま、一気に冬乃は緊張と安息の相反する感覚に、常の如く覆われる。
彼の心の臓の音も、冬乃の鼓膜に届いてきて。
「・・あの頃に戻っただけだと」
そんな折に、つと直に頬へ響いた、
「己に言い聞かせることにした。」
吹っ切れたような声音が。
(え・・?)
冬乃の顔を擡げさせた。
腕の中で見上げてきた冬乃を。
沖田は、先の部屋で長く冬乃を抱き締めながらやがて腹に決めてしまった思いに正直に、今一度腕の力を強める。
「この先ずっと」
唯、服の上から抱き締めるばかりでは。
「冬乃に、とにかくふれないようにしているほうが、しんどい」
冬乃が瞳を揺らして、じっと沖田をみつめてきた。
沖田の言わんとする意味を確かめようとしているかのように。
「・・気づいているだろうけど」
沖田は敢えて前置いた。
「俺は冬乃を、帰すと決めてから、」
「この先に身籠らせてしまう可能性のある一切を、断っている。だが、」
そうして、ひとつになることはもう叶わずとも
互いの肌のぬくもりすら断つことはない
「思い直した。冬乃と共に居られる猶予は数月だというのに、その残りの時間を、もうこの侭ろくにふれあうことすら無く過ごすなど・・愚かな事だと」
たとえ、
ふれあえばふれあうほど
そうして互いの想いが高まるほど、
抑える辛さもまた強まろうとも。
「・・尤も冬乃が、それでもいいと、言ってくれるならばだが」
「私は・・」
潤んだ瞳がまっすぐに沖田を見返した。
最も近くまで、限界まで近づきたい
かわらぬ想いは冬乃を苛むまま。
冬乃は、答えを待ってくれている沖田を見上げながら、
ずっと懐いてきた直観を、
此処の世に帰属など許されていない冬乃が、そもそも子を授かる事はきっと無いのだと、
そんな直観を、彼とまた一番近くまで近づきたいがために今すぐ口奔ってしまいそうになる衝動を、懸命に抑え込んで。
「私は・・それでも」
声に圧し出す。
あとほんの少しでも近づけるのなら、
そうして互いを隔てるものが無ければ無いほど、
「嬉しい・・です・・」
決して偽りではない想いを。
答えた息が途切れるよりもまえ、降ってきた深い口づけに、冬乃ははっとして目を瞑った。




