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88.



 近藤の支度を手伝いに、沖田と顔を出したところ、

 

 ならばと、重い類いの荷物を、旅籠の庭にいま簡易で繋いでいる馬たちの元へ、皆で持ってゆくことになった。

 

 

 沖田のお気に入りの黒馬が、いつものように沖田を見るなり嘶く。

 

 「あの、馬も船で連れていけるのでしょうか」

 気になっていたことをおもわず質問した冬乃に、近藤が振り返った。

 

 「いや、難しいように思う。川の揺れですら酔う馬はいる・・まして江戸までの数日では、飲ませる水も草も大量に用意しなくてはならなくなる。乗せて連れ帰るのは諦めた方がいいだろう・・」

 近藤の答えに、

 

 「陸路を頼める人手はある。江戸で到着を待つさ」

 土方が続けて。

 

 「街道の偵察も兼ねてもらうつもりでいる」

 と近藤を向いて添えた。

 

 馬たちを置き去りにするしかない事態は避けられるのだと。

 冬乃はほっとして、今も沖田を待って柵から顔を出している黒馬をふたたび見遣った。

 

 船へ効率的に荷物を運び込むために、今だけ馬たちに頼るということだ。

 

 「しかし何往復で終わることやら」

 近藤が、さっそく荷物を馬たちにくくり付けながら、そして苦笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 「さて」

 

 結果は計四往復にて、

 めぼしい荷物をすべて運び込み終えたのち。

 

 いま近藤と土方は、残った私物の中で、最終的に処分する物をあれこれ選別していた。

 

 

 そんなひとつ、

 

 「この机なんだが」

 

 土方が先程、ここ近藤の部屋まで持ち込んできた文机に、視線を投げ。

 

 「世話になったが・・、船で運ぶ私物としては少々かさばる。“おまえら” さえよければ、俺は此処の宿に贈呈するか処分しようと思うんだが」

 

 そう言って土方は、今度は沖田と冬乃に視線を奔らせた。

 

 

 (・・処分・・)

 

 土方が許可を聞く相手に冬乃も含めたのは、

 この文机が冬乃にとって、これまで此処の世へ戻って来るために必須の物であったようだと、彼はあの僧から話こそ聞いてなくとも、きっと想像しているからなのだろう。

 

 尤も冬乃も、僧の話から、文机が此処の世での座標のようなものだろうと理解してみただけで、この机が無ければ実際どうなるのかは知る由もないけれど、

 

 (でももし、やっぱりなくてはならない物だとしたら・・・)

 

 

 冬乃は、不安になって横の沖田を見上げていた。

 

 一瞬見返してきた彼の眼に、

 冬乃はだけど、息を呑んで。

 

 

 (あ・・)

 

 それはまるで“念を押す” かの眼差しだった。

 

 

 もう次に未来へ帰った後は、二度と此処へ戻って来ないと、

 冬乃は約束したのだから。

 

 そう、この文机ももう、必要の無いはずの物ではないか。

 

 

 

 (・・・でも)

 

 

 『俺の死より前であろうと』

 

 沖田の言葉が、どうしても思い起こされる。

 

 

 (本当に・・いいの・・・?)

 

 すべてを見届けるよりも前に、

 この先もし統真が、何らかの理由で冬乃を向こうで起こしてしまったら。

 

 その時、文机が無ければ、

 

 

 「・・・待って・・ください・・」

 

 

 本当にもう、此処へ戻れないかもしれないのに――――

 

 

 

 「猶予をどうか・・っ」

 

 気づけば冬乃は、沖田を向いて縋っていた。

 

 「総司さんとの約束は、守りますから・・!もし、最期・・早くに、向こうへ帰されてしまったら、どうかもう一度だけ戻ってこさせて・・また向こうへは帰れるようにきちんとお願いしてきますから・・

 だからお願いします、もう少しだけ猶予をください・・・!」

 

 

 (・・・あ・・)

 

 冬乃を見返す沖田の眼は、あまりに辛そうで。冬乃はおもわず口を噤んだ。

 

 ふと感じた視線に見遣れば、沖田の横で近藤と土方が、ひどく不可解そうな表情になっていて。

 沖田と冬乃の交わした約束など聞いていないはずの二人には、おもえば当然で。

 

 

 「冬乃さん・・、今のは、どういう意味なのだ・・?」

 「おまえは、これからもまだ元の世へ帰るのか?・・いや、それどころか“永久に” 帰るつもりなのか・・?」

 

 (・・っ)

 更には二人同時に問うてきて、冬乃は漸く己の失言に気付いても、

 

 既に遅く。

 

 「それも約束だの猶予だの・・、今の話じゃ、『総司が』おまえに、元の世へ帰るのを望んでいるという事だろう。何故だ」

 土方が、沖田を向いた。

 

 「総司・・まさか、」

 遂には声を震わせ。

 

 「おまえは本当に、この後の戦さで、」

 

 

 「考え過ぎですよ」

 

 遮った沖田の、

 

 「・・じつは昨夜あれから、冬乃の身の振り方を話し合いましてね、」

 低く、

 この場にそぐわぬほど淡々とした声音が。

 

 「俺達"夫婦の” 決め事として、」

 

 どうか立ち入ってくれるなと。まるで、暗に願うかのように土方を制して。

 

 

 「この先もし戦況が悪化した場合に、新選組局長の娘である冬乃の身の安全は、戦地はいうまでもなく江戸ですら心許ないので、“我々の側が持ち直すまでの間”、冬乃の世へ避難していてもらうことにしたんです。

 ただ、避難するまでもない内に冬乃が期せずして帰された場合には、すぐにもう一度戻ってきたいと冬乃は言いたかったのでしょう」


 (あ・・)

 沖田の寄越した視線に、冬乃は急いで近藤たちへと頷いてみせ。

 

 「・・そういうわけですから、すみませんがその文机はまだ持っていてください」

 沖田の淡々としたままの声が締め括り。

 

 「・・・」

 

 納得した様子の近藤の隣では、未だ怪訝な顔で沖田と冬乃を見遣った土方が、

 

 それでも、夫婦間の話だと前面に出されてはそれ以上首を突っ込むわけにもいくまいと、受け入れたのかやがてついと顔を背けた。

 

 

 「冬乃、来て」

 

 そのまま近藤たちへ頭を下げた沖田が、冬乃に声をかけて部屋を出てゆくのを、

 冬乃も慌てて二人に会釈をして追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 「さっきはごめんなさい・・」

 

 人の往来が無い庭の片隅にまで連れてこられた冬乃は、縮こまって沖田の背を見上げた。

 

 

 あの場で危うく、最期の時までに帰されたら、と言いかけていた。気づいてその言葉を変えた事だけはまだ救いになっただろうけど、

 二人に、とくに土方に、疑念を懐かせるような言葉を、他にまだ幾つもちりばめてしまったのだ。

 

 沖田の咄嗟のつくり話が無ければ今頃、沖田の死期ひいては彼が敢えてそれを冬乃に確認したもう一つの訳、近藤の死期についてまでも、

 土方の追及の波紋をあの場に広げてしまっていたかもしれない。

 

 

 「気にしなくていい、・・ただ」

 冬乃を振り返った沖田が、つと息を吐いた。

 

 「冬乃を行き来させている“その人" は、」

 統真のことだ。

 冬乃はどきりとして沖田の目を見つめた。

 

 「冬乃がさっき言ったような程に、冬乃の願い通り行き来させてくれると・・、冬乃は思ってるわけ」

 

 「え、・・はい・・っ」

 「これまでの様子からは、とてもそうはみえないけど」

 

 (っ・・)

 

 「でも・・次こそお願いすればきっと・・」

 冬乃はおもわず声をあげた。

 

 「どうしても、総司さんが昨夜言ってくださったように、私も」

 

 「・・最期まで、」

 胸内を瞬時に奔った痛みを押しやり冬乃は、想いを紡ぐ。

 「総司さんの傍に、居たいんです・・」




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