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82.


 

 近藤が酷く落胆して戻って来たのは、まもなくの事だった。

 

 慶喜から後を託され本丸に居残っていた上役の者達に、直に会って確かな事実であると聞かされたようだった。

 

 

 「上様は恭順の御意向であらせられるとの事です・・全軍解散の上、各々郷里へ帰るようにとの御沙汰であると・・・」

 

 屋敷の広間に、新選組の皆を集めた近藤は、声に滲む悔しさを隠さず告げた。

 

 

 「我々には江戸行きの船を御用意下されており、出航は明日から順次との事です」

 

 

 静まり返っていた場は、一気にどよめき立った。

 

 「では大阪御城での決戦は、まことに諦めねばならぬですか・・!?」

 「じきに江戸の援軍が合流すれば、難攻不落の誉れ高き本御城、勝利は明らかではござらぬか・・!!」

 「その通り・・!!勝てる戦さを放棄し、このまま奸賊どもを野放しにしておくというのですか!!」

 

 「恐れながらっ、恭順あそばされるという事即ち、奸賊どもの謀り事を、あの偽旗を、上様は真と御受けなさられたという事ではござらぬか・・!?」

 誰かがついに、声を荒げた。

 

 「何故っ、先帝の御遺志を、かように上様は無下になさってしまわれるのですか!?」

 「そ、そうだ!!何故に、上様は・・・!!」

 「やはり何かの間違いという事はございませぬのか!?」

 

 それはまさに、今この城にいる全ての者の思いであっただろう。

 

 「・・上様の御意向は確かに恭順であらせられると伺った。其れ故、大阪御城での決戦の上申を、受け入れてはいただけずじまいでした」

 

 近藤が、膝元の震える拳を強く握り締めた。

 

 「上様直々に我々を江戸へお呼び寄せになられたとも伺った・・そして是即ち、・・何より、上様が御伴に会津公まで大阪御城からお連れ出しなさられた事即ち、・・我々に大阪の地で断じて闘ってくれるなという御尊意に他ならぬと・・・っ」

 

 

 再び場は、一切の音を掻き消した。

 

 

 

 やがて。

 ぽつり、ぽつりと、押し殺した嗚咽が漏れ始め。

 

 

 「・・先帝が・・御存命であらせられたなら、こんな事には・・・!」

 

 

 誰かのその嘆きは、

 皆の思いを一身に背負うように、場へ沈み堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煙の臭いが混じる強風に背を押されながら皆、声も無く門へ向かっていた。

 

 いつのまに日が沈んだのか、向かう方角の空が澱んだ赤を微かに残している。対照的に鮮やかなまでの火の色が、未だ後方の空に薄らと見えていた。

 

 そんな、この世の終わりのような光景の中を、

 城を後にする兵士達の流れに新選組の面々も連なってゆく。

 

 

 沖田と近藤の傍で、冬乃も共に京屋へ向かっていた。

 歩みを妨げたくなかった冬乃は、男装に着替えてある。

 

 尤も、数頭の馬に、書類やら京屋から持ち込んでいた近藤の服やらとたくさんの風呂敷荷物を括りつけて、その手綱を引きながら進む幹部たちの足取りは遅い。

 

 とはいえどそれも気にされない程、肩を落としたままの全ての者の足取りもまた遅かった。

 

 敵軍が今、大阪城を警戒してか遠方に控えたままである事は、偵察の者達から皆聞いているために、緊迫感は無い、只々悲壮感だけが漂う行列が、延々と城下まで続いていた。

 

 

 

 すっかり辺りが闇に落ちた頃。

 

 旅籠のはずなのに、その周囲だけは煌々と火が焚かれて、まるで新選組陣営の様相を成している京屋に、一行は到着した。

 

 すぐ傍の川面を奔りぬけてくるかの冷風に、冬乃は身を震わせる。

 

 「冬乃、こっちへ」

 入口に立ったまま近藤達と何かの話を終えた沖田が、冬乃を振り返って手招いた。

 

 「部屋数が足りてないから、今夜冬乃は俺達と一緒の部屋で」

 沖田の前まで来て早々にかけられたその言葉に、冬乃はどきりと顔を上げる。

 

 「それから風呂は、皆の後になるが、冬乃の使う間は俺が見張っているようにするから」

 (あ・・)

 冬乃はそのまま頭を下げた。

 「すみません・・、ありがとうございます」

 申し訳なさが先立ち、冬乃は縮こまる。そんな面倒をかけたくないと冬乃が願って辞退しようにも、沖田は構わぬと言って待っててくれてしまうのだろうから。

 

 

 「おまえは江戸に着き次第、一旦近藤さんの奥方の処へ行って留まってもらう。いいな」

 沖田の横に居たままだった土方が、唐突に告げてきて、冬乃は息を呑んだ。

 初めから土方はこの話をするために、場に残っていたのだろうか。

 

 「総司が今手配している家が用意できたら、そのままそこへ移ればいい。この後の状況に依っちゃ、奥方もお連れするようにしてもらいたい」

 

 「兎に角、おまえは江戸に留まれ。いくら上様が恭順なさろうと、薩長が江戸を攻撃せんと東下してくれば手前で食い止めるが為、どうしたって戦さになる可能性は残っている、」

 どうせ、そうなるんだろ

 と聞かずとも分かりきった様子で、土方が冬乃を見下ろし。

 

 「故にこれ以上は、おまえを俺達と行動を共にさせるわけにいかねえ」

 (・・・っ)

 

 冬乃を戦場へ共に連れてゆくわけにいかないと。

 それは冬乃の想像した通りの、当然の宣告。

 

 そして冬乃には新選組との――沖田との、訣別を意味するも同然の。

 

 

 「・・無理を承知でお願いします・・!何とか、この先もご一緒させていただくことはできませんか・・何かまだお役に立てることはありませんか・・・!?」

 

 

 「冬乃・・」

 辛そうな沖田の声に冬乃は、はっと彼を見上げた。

 

 「この先も江戸へ戻るたび必ず寄る、」

 冬乃の胸内の不安を解っている様子で、

 

 「当然別れたきりにはしない」

 そう言い足してくれても。

 

 冬乃には、それ以上に片時も離れたくないその想いを、

 

 今ここで更に訴えることもできず。

 溢れそうになる涙に、慌てて下を向いた。

 

 

 (江戸で・・本当にもう別れなきゃいけないの・・・?)

 

 

 沖田とて、

 いくらそれきりにはしないと、まるで願うようにして言ってくれても。これでは、

 

 避けられぬその命のさだめの時までに、

 

 あと幾度互いに逢えるのか、定かではないと、

 事に依ってはもう、それきりで逢えないかもしれないと。

 

 きっと思っているだろうに。







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