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なにより心を覆い始めている懸念に、じわじわと圧し潰されそうになっていて。
この先は、更に、沖田達が戦いに赴く間ずっと冬乃は近くに居させてもらえず、身を切る想いで待つしかなくなるのではないかと。
今、大阪と伏見の間ですら遠く感じるというのに、
江戸へ帰還したのちの彼らが向かう各地の戦場と、
もし冬乃が江戸にでも置いて行かれてしまうならその距離は、今の比ではなくなる。
けれど冬乃がどんなに抗おうとも、行軍に一緒についてゆくことなど、きっと許してもらえるはずもない。
そして、
そうなれば。あと何回、沖田に逢えるというのだろう。
一気に溢れてきた涙を、冬乃は慌てて手に払った。
戦地へむりやり同行なんかして彼の心配の元には、邪魔には、決してなりたくなどない。
けれど、
遠く離れた地で唯、待つままなんてことに耐えられるとも、到底思えずに。
(・・それに・・・)
近藤の最期についても。
伝えるその時期を、逃すわけにはいかないというのに。
(・・でも今から伝えるわけには)
早い時期からでは、
彼らが知らなくていいはずの、否、知るべきではないはずの、未来の状況までを
先回りして多く説明しなくてはならなくなってしまう。
その残酷な歴史を打ち明ける勇気が、そもそも未だ冬乃に出ないとはいえ、
多くを伝えることによる影響への不安に、苛まれていることもまた、先延ばししてしまう理由のひとつなのは確かで。
歴史の波の、かき乱し方を
誤ってはならないと。
それはもう幾度も自身に訓戒してきた事だ。
(どうしたら・・いいの・・・)
答えになど。何夜、思考を重ね続けても結局当然のように、辿りつけずに終わり。
その時が来たら、その時の沖田にとって最善であろう選択肢を採るしかないと。
そんな、答えにもなっていない先送りの結論にだけ辿りついてから、冬乃の思考は停滞している。
(ばか私・・)
全てが未だ不確かだった頃ならいざしらず、
元の歴史で沖田が発病した時期を、確かに越したその時からは、
思えば戦地に赴く沖田と離れ離れになる未来など想像できてもよかったものを。
そんなふうに思い至ってのち冬乃は、己に呆れて嘆息してばかりだった。
尤も、早くに想像できていようと、導き出せる結論には、かわりなかったのかもしれないけども。
第一、この先の事を考えたくもない。
それは此処に来た時から、そして今この瞬間も変わらず。
できるかぎり考えないように、
冬乃はそうしてずっと、この先に向かう未来に向き合うことから逃げて、思考を閉ざしてきたのだ。
向き合うべき時は、
もうとっくに来ているというのに。
「本日もこれで失礼させていただきますが、御用の節はいつでもお呼びつけくださいませ」
「ありがとうございます・・おやすみなさい」
「ごゆるりとおやすみなさいませ、姫様」
閉められてゆく襖を見守り、冬乃は横の火鉢に手をかざした。
去る三日に開戦を迎え。
やがてまもなく討幕側に翻った錦の御旗により、諸藩が続々と『官軍』に与し、戦況は一気に悪化し。
六日の今夜にかけて、旧幕府軍は続々と大阪へ退却してきている。
今頃、新選組も近くまで来ているはず。
いま城内は、先日とは別の喧噪で満ちていて、
治療中の兵の絶叫が、此処まで聞こえてくるたび侍女が不安げに外を見遣っていた。
入城してくる負傷兵の数は増え続けており、本丸から派遣された御殿医や市中から動員された医師達が、昨夜から寝ずの対応にあたっているも、西側屋敷に収容しきれなくなるのは時間の問題だろう。
明日になれば新選組も、入城してくる。
そしてその前――今夜遅くに、
慶喜は城を、つまり旧幕府軍の兵達を、捨てて、江戸へ帰ってしまう。
のちにそれを知った彼らの失意を想うと、冬乃の心は締め付けられた。
でも同時に一方で、沖田との再逢を待ち望んできた日が、明日漸く来ることにどうしても浮き立ってしまう心も抱え。
今夜も簡単には寝付けそうにないと。冬乃は早くも諦めの溜息をついた。
凍てついた乾風の吹き荒れる、曇天の下。
真っ先に、逢いたかった存在を見とめて、冬乃は駆け寄りたくなる衝動を必死に抑え、
冬乃の居る屋敷の前に居並んだ新選組の面々を、広い玄関口で出迎えた。
侍女は、すでに今朝早く本丸へ呼び戻されている。
併せて冬乃の部屋と隣の重要書類を納めてある部屋以外、全て荷物も出されて空になっているはずだ。
入れ替わるようにして今朝から、西側屋敷を遂に溢れ出た兵士達で、此処の屋敷一帯も徐々に埋まりつつあった。
「それでは皆の方々、何時でも召集に応じられるよう準備は怠りなさらずも、今のうちにしかと休んで英気を養ってください。では一時解散」
(あ・・)
近藤の合図を皮切りに、皆が玄関を入ってきて適当に空部屋を求めて廊下を行き出すなか、
沖田がまっすぐに冬乃へ向かってきてくれるのを、冬乃の目は一寸も離せずに追う。
まもなく冬乃の前に立った沖田を、冬乃はかける言葉も忘れて見上げた。
遠目で見ても怪我一つ無い様子で既に安堵してはいたものの、こうして近くで見ても確かに無事なさまに、深く息をつく。
「・・お、おかえりなさ」
何か言葉をと咄嗟に思い出して口奔った冬乃の、片頬へ大きな手が添えられる。
「ただいま」
おかえりなさいの挨拶は適切なのか、口にしてから分からなくなったけれど、
沖田が合わせて返してくれたので、冬乃は思わず微笑み返した。
「おい」
そこへ急に、横から土方の声がして。
冬乃はぎょっとして声の主を向いた。
「書類の部屋は何処だ」
(・・あ)
見れば土方の背後には近藤たち幹部も居た。目が合うと近藤が、邪魔してすまないと言うかのような表情で、冬乃を見返してきて。
「・・・こちらです」
沖田が自然に冬乃から手を離す前で、冬乃は残念な気持ちに見舞われるのを急いで隠し、皆を案内し始めた。
「あの、・・山崎様と井上様は・・」
書類を納めている部屋に、幹部達がひとまず腰を下ろしてゆくのを見守りながら、
冬乃は誰に対してともなしに、問いを投げた。
真っ先に土方が冬乃を向く。
「山崎さんは重傷を負って、動くのは厳しいため、京屋で安静にしてもらっている」
(あ・・)
京屋とは、大阪淀川の船着場にある新選組の定宿だ。
冬乃は少しばかりほっとした。
生きていてくれるならまだ、会える機会も残っている。
「井上さんは銃弾を受けて死んだ」
だが続けられた土方のその回答に、冬乃は肩を落とした。
「おまえなら知ってるんじゃねえのか」
投げ返された問いに、
冬乃はどきりと顔を上げる。
「はい・・、でも後世に遺されている記録が、不正確な時も無いわけではありませんので・・」




