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79.

 


 侍女が、当たり前のように一緒に厠の中まで突入してこようとしたので、全力で阻止し、

 

 (なんで入ってこようとしたんだろ・・)

 たとえば着物の裾が邪魔にならないよう押さえてくれるつもりだったのか何かと、考えてみるも真相は分からぬままに、

 

 元来た廊下を連れられての帰路、そうして考えるにつけ何度も首を傾げてしまいながら、とにかく無事部屋へと戻ってきた冬乃は、

 食膳を取りに一旦去ってゆく侍女を、襖の手前から気の抜けたように見送った。

 

 

 (つかれた。・・)

 

 この先これが繰り返されるのだろうか。どうしても毎回呼ばなくてはだめなのだろうか。げっそりと、冬乃は肩を落とす。

 

 

 まもなく膳を手に戻ってきた侍女が、てきぱきと一式を整え始める前で、冬乃は畏まって座っていると、

 

 「それでは失礼させていただきますが、」

 手際よくあっというまに用意を終えた彼女が、膝でにじり下がって再び手をついた。

 

 「お近くには控えさせていただいておりますゆえ、“どのような” 御用の際でもお呼び付けくださいますよう・・」

 

 なんだか、どのようなを強調されたような。

 またも念押しされた様子に、冬乃は更に畏まって頷く。

 

 といっても平伏されているので、今の咄嗟の首肯は彼女の目に届いていなかった。

 

 「はい、ありがとうございます」

 急いで声でも返しながら、

 もはや監視されていると言った方が正しい気がすると内心、涙目になる。

 

 

 

 幕府が消滅したとはいえ、依然として世の人々の意識の内には、幕府も身分制度も健在なまま、

 

 ましてや将軍の『家』たる城内にお勤めの彼女達にとっては、新政府誕生など何処吹く風だろう。

 

 

 冬乃はこの幕末へのタイプスリップの中で、いま更なる過去、まるで徳川全盛期の頃にまで二重タイムスリップでもしたかの気分に、陥っていた。

 

 すきあらば平伏してくる侍女の慇懃さからして、

 徳川全盛期を扱った時代劇で冬乃が観ていたそれよりも、此処ははるかに輪をかけて仰々しい世界だけども。

 

 

 (この“世界観” に、合わせるとすると・・・)

 

 冬乃の身分は、下級旗本の娘なので、この城内にもしかしたら居るかもしれない他の姫君のなかでは、最も“下っ端” だろう。よって、

 

 もし上級旗本以上の姫君に、ばったり会ってしまった時には、冬乃はどうすれば失礼にならないのだろう。

 

 

 (時代劇で観たような、横に避けてお辞儀、とかだけで大丈夫なのかな・・そも誰が誰とかわかんない・・・あ)

 

 誰かに鉢合わせた時の侍女の様子や採る行動を見ていれば、何か手がかりになるかもしれないではないか。

 

 そう考えてみると、廊下を冬乃ひとりで行かないほうが確かに賢明である。

 (ちゃんと呼ぼ・・)

 

 漸く前向きに思い直せた冬乃は、期待していたより残念ながら美味しくない食事だけども、食べきることにひとまず集中することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣室での重要書類の整理も終わり、夕餉も済ませ、入浴までも侍女にべったり付きまとわ、いや、付き添われながら、

 さすがに自分で洗えますからと、ここでも全力阻止を行使してなんとか済ませ、

 

 そうして部屋に戻ってきた後。何もすることがなくなった冬乃は、此処の世に来てからもしや初めてではないかというくらい、早い床に就いていた。

 

 

 (総司さんに逢いたい)

 今日一日で何万回と胸内に呟いている想いを、またも再生しながら、

 

 灯りを消して薄暗い中、遠く外の変わらぬ喧噪を耳に、目を閉じてみる。

 

 怒涛の一日だった。目を閉じればよけいに疲労感が冬乃を覆って。

 

 とはいえ、目を閉じてじっとしていると喧噪もよけいに際立つ。

 こんなに人が多いわりには、おもえば今日一日、他の姫らしき人に鉢会う事がなかったと、冬乃は思い出した。

 

 いま二の丸にお邪魔しているよそ者の女性は自分だけなのかもしれないと、

 考えてみたらこんな時世なのだから、いや、こんな時世でなくても、此処は姫君たちの来る場所ではないのかもしれないと。

 内心ほっとしつつ。

 

 

 現在、同じ二の丸敷地内なれど冬乃が行くことはないだろう遠く西側一帯の屋敷群には、

 

 宿泊地の城下から、居てもたってもいられぬ思いで登城してきて詰めている幕兵たちなどで、どうやら溢れかえっているようだった。

 

 日も落ちて久しいというのに、その方向からは怒号までが未だ響いてきて止まない。最早、憤りのあまり酒でも浴びているように思う。

 

 (仮にもお城の中なのに)

 

 とても近所迷惑だが、開戦までやり場のない彼らの憤怒は押して測るべしなので、本丸のほうからクレームは来ないだろう。

 

 ドカンと鬱憤晴らしの空砲でも、そのうちまた放ちそうな熱気まで感じる。じつはすでに昼に一度、彼らは撃っている。

 

 

 

 (あの方、だいじょぶかな・・?)

 

 今も近くの部屋に控えてくれている侍女のことが、おもわず心配になった。

 

 冬乃にとっては慣れきっているこんな物騒な喧噪も、

 冬乃の世話に急きょ駆り出された、元は本丸勤めだったはずの彼女にとっては、いろいろ悩ましいのではないかと。

 

 きっとこの人事は、下級旗本とはいえ今や慶喜直々の信頼厚き近藤の、その娘だからとたっての計らいだったのだろう。

 彼女にしてみれば唐突で不本意な異動なのではなかろうかと、思えばよけいに冬乃は申し訳なくなる。

 

 それにしても此処を去るまでに彼女とは世間話すらせずに終わりそうだと嘆息しながら、

 つと、

 彼女もまた冬乃と同じ頃か、むしろ冬乃よりも前に、この城を去ることになるのではと。

 続けて思い至っていた。

 

 

 これから開戦のち、旧幕府軍が大阪へ続々と敗走してきた折には、

 新選組隊士を含めて怪我人の収容と治療のために、いま冬乃が居る屋敷の一帯も使われることになるはず。

 

 そうなれば彼女はさすがに此処には居られず、本丸のほうへ戻ってしまうだろう。けれどその前後には、

 『家』の主、慶喜は、少数の配下だけ連れて江戸へと、夜陰に紛れて帰ってしまうのだ。

 

 つまり世話役たちの仕える相手がもはや居なくなり、

 彼女たち侍女も含めた全員は、大阪城を出されてしまうはず。

 

 

 (でも・・)

 

 むしろそれが速やかに成されることを、冬乃はおもわず祈った。

 

 この城は、

 慶喜が捨て去り、旧幕府軍も去ったのちに、まもなくその治安を地に落とし。

 やがて薩長側へ明け渡され、更には出火して、丸二日以上も燃え続けてしまうのだから。

 徳川の世の、確かな終焉を象徴するように。

 

 

 

 

 

 寝付けそうになく。冬乃は諦めて目を開け、遠い天井を見上げた。

 

 こんな時世の最前線、伏見の方角へと、

 再び想いは向かい。

 

 (・・・本当に。総司さんに逢いたい)

 

 またも胸内に繰り返してしまい、嘆いていても如何にもならない侘しさに、続いて溜息が出る。






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