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76.




 度々寂しそうな表情で見上げてくる冬乃に。だが何を言う事ができるのか、

 

 冬乃をきつく抱き締めながらも沖田は、相変わらずの答えの無さに自ら辟易し。

 冬乃の様子では、やはり早々に何かしら勘づいているに違いなくとも。

 

 (御免)

 先程はつい声に出してしまったその想いを、沖田は胸内に繰り返す。

 

 ただ一方では、疑問も過ぎり。

 

 冬乃は沖田と、まさに出逢った初めの時から、既に世がこうなることも、沖田の死期も、

 全てを、知っていたはずだ。そこまで知っていてなお彼女は、

 此処の世での永住を、沖田と結ばれる事を選んだということではないか。

 

 己はだが、もしも初めから知っていたのなら、冬乃の永住を認めはしなかっただろう。つまりは、

 冬乃と想いを通じ合うことも、せず。

 

 

 そんな沖田の想いとうらはらに、冬乃がそうしてじつに初めから、

 その身を脅かすこの先の危険などとうに覚悟の上で、それでも此処の世での永住を望んできたというのなら、

 

 冬乃はあの場で沖田に約束こそしてくれたが、その時が来れば、沖田の願いを聞き入れてくれる気など本当は無いのではないか。

 

 

 それとも、何か他に、冬乃が未だ沖田に伝えていない事でもあるのか。

 

 

 

 つと腕の中の冬乃が、更に沖田へ擦り寄り。その小さな手で精一杯に沖田の服を握り締めてきた。

 

 離れたくないと、

 今も全身で伝えてくる冬乃を沖田はたまらずに、よりきつく掻き抱く。

 

 

 冬乃が。もし本当は此処の世に留まろうとしているのなら、己は何を抑える必要がある。

 

 (冬乃・・・)

 いっそ、

 只々この愛しい想いのままに抱けたなら、どんなにか。

 

 

 

 このさき冬乃が此処の世に居てはその身に迫るであろう事態を思えば、だが一瞬にして掻き消えるその衝動を。今も沖田は、己で廻らす箍の内を毟られるような感情ごと流しきり、

 

 反して常のふたりを求めるように、確かめようとするように、沖田を見上げるなり目を瞑る冬乃を、

 沖田を迎えようとそっと小さく開かれる艶やかな唇を、見下ろした。

 

 

 

 掠めるような口づけだけが、返され。冬乃は、呆然と目を見開いた。

 

 すぐに大きな両の手が冬乃の肩を支えるなり、冬乃の身は離される。

 

 「食事にしよう」

 

 淡々とした声音が続き。

 再び体に心に纏わりだす冷気で、冬乃は震えた。

 

 「総司・・さん」

 

 たまらず呼びかけた冬乃へ、盆の横に座り込む沖田が、「おいで」と一言その胡坐の膝上を叩いて冬乃を見上げて。

 

 優しく冬乃を慈しむような、あの常の眼差しだった。

 

 

 先の一瞬に蘇った違和感も寂寥も再び、冬乃はむりやりに心の奥へと押し遣り、沖田の温かな膝の上に夢中で滑り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝えられずじまいだった。

 

 元の歴史では今日、伊東一派の生き残りによる、

 近藤妾宅で療養していた病床の沖田を狙った、襲撃未遂があった事を。

 

 

 奉行所の一室を与えられた冬乃の部屋で、

 沖田の腕の中、いま冬乃は何事もなく終わった一日を振り返り、そっと息をついた。

 

 

 そもそもいま沖田が病に臥せてはいないのだから、彼への襲撃自体が起こらないはず、

 しかも元の歴史においても未遂に終わったのだから、たとえ何か起こったとしても、同じく何事もなく済むはずと。

 

 そう思ってみようとはしても、

 

 沖田に関してはあまりに今、元の歴史と大きくかけ離れたために、

 半年後の避けられないその死期へ向かって、彼がどんな過程を代わりに辿るのかは、もはや未知も同然であり、

 

 言い換えれば、今日も明日もこの先最期までも、

 彼にいつどれほどの危険が迫るのか、もう冬乃には全く分からないのだと。

 

 そんなふうに思い至ってしまった冬乃は、内心不安に圧し潰されながら今日一日を過ごした。

 

 

 (もう総司さんの役に立てないのかもしれない・・)

 

 いま温かな腕のぬくもりに包まれながらも、冬乃は浮かんだその思いに凍える。

 

 この先の沖田の歴史を、予測することがもう出来ないのなら、

 彼の望む散り方、生き様へと導くために、冬乃が役立てることはもう何も無いのではないのかと。

 

 もし沖田に、彼の望む最期を迎えることも叶わなくなるような事態が、この先に万一起こるとしたら。つまりその剣を握れなくなるほどの、事態が。

 

 その日その時を、もう予測できない冬乃には、

 当然その事態を回避するための情報も何一つ伝える事ができないのだから。

 

 

 (・・総司さんなら大丈夫・・もしこのさき何か起こっても、総司さんなら・・)

 

 冬乃は、懸命に己に言い聞かせるも、心に一度巻き付いたその恐怖は、冬乃を解放してはくれず。

 

 

 沖田には、せめて彼の本来の歴史で起こった事を、まともに伝えることからして、もうできないのだ。

 その歴史は、今後全て、病ゆえのものなのだから。

 

 

 どうか気をつけていて

 唯そんなことなら冬乃が言う言わないに拘らず、元々沖田は常日頃から充分に警戒をしているはずで、

 

 具体的な事を伝えられないのなら、何の意味があるというのだろう。


 

 今朝も冬乃が唯一口にできたことは、

 

 鈴木達からの報復活動が、本格的に始まる時期であり、

 

 「・・今日、近藤様の件とは別に、総司さんも狙われたとだけ記録があるんです・・お怪我もなく済んだはずですが詳細が記録されてなくて・・・ですから、どうか念のため警戒なさっててください」

 

 そんな、遠回しの言葉だけだった。

 

 

 

 

 「今朝は有難う」

 

 穏やかな声が頬へ直に響き。冬乃ははっと我に返り、顔を擡げた。

 

 「幸い俺もこの通り、何事もなく無傷だよ」

 

 見上げた冬乃の瞳に、冬乃を安心させようと微笑んでくれる沖田が映る。

 

 冬乃は胸内を奔った刹那の辛苦を見せないように急いで頷くと、再び沖田の襟元へ顔を隠しうずめた。

 

 実際は無意味に等しい今朝の冬乃の言葉にも、沖田はそんなふうに言ってくれて、

 冬乃はその優しさに救われているけれど、

 

 彼の望む散り方へと無事に導くすべを失ってしまったのだとすれば、それはどうしようもなく冬乃の心に圧し掛かる。

 

 

 「冬乃」

 そっと頭を撫でられ。冬乃は今度は顔を上げられず、返事のかわりに小さく身じろいだ。

 

 「近藤先生の襲撃の件も、改めて、本当に有難う」

 

 

 (あ・・)

 継がれた沖田の言葉は、遂に再び冬乃の顔を擡げさせた。




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