75.
尋ねるのは――訳を知るのは、怖かった。
勘違いだと、己に言い聞かせながら、それでも拭えないままでいる違和感の。結局冬乃は何も言葉が出てこないままに、ふたり屯所へ戻ってきて。
沖田のほうもあれから一言も無く。
軽快に歩む馬の上、かわらず温かな腕に抱かれていても、冬乃の心を確かな寂寥が覆い尽くしていた。
「おかえりなさいませ」
人の往来がひっきりなしの姦しい門前で、沖田たちを見上げた門番が迎えてくれる。
「ただいま、ご苦労様です」
にこやかに返した沖田の腕の中で、頭巾をしたままの冬乃も慌てて会釈を送った。
門をくぐった先、屯所の内でも、あいかわらずの混乱が続いていた。
荷物を運び出す隊士達の波をぬって、
叫びながら遁走してゆくニワトリの後ろを、必死に追いかけてゆく農家の人々が向こうに見える。
豚たちはすでに捕獲されたのかは分からないけれど、この様子では未だかもしれない。
それに新選組は当然いつの日か此処へ戻ってくるつもりでいるために、“断捨離” が叶わず奉行所へも持っていけない荷物を各々懇意の所へ預ける隊士も多いのだろう。
みるからに荷物を抱えて他所と何往復もしているかの、疲弊しきった隊士が散見する。
二条城にはじまる一連の移動騒ぎの末に、急きょ決まった奉行所への引越しをこうして本日最短で迎えたのだけど、
果たして日没までに完遂できるのやらと、冬乃はおもわず心配になりながら彼らを見送り。
「お、居た」
幹部棟に近づいた時、横合いから井上の声がした。冬乃がはっと声のほうを見下ろすと、
何故か薪を手にした井上が、馬上の二人を少しスス汚れた顔で見上げている。
彼は沖田の背負う土堀用のすきを一瞬、不思議そうに見遣った後、
「書状の処理に手が足りんのだ、ふたりとも来てくれ」
と、まさにもくもくと煙が上がっている裏庭の方向を指さした。
(あ・・)
昨日までに近藤と島田と冬乃で懸命におこなっていた、燃やすべき書状と持ち出す書状に分ける整理は、昨夜なんとか一段落したはずなのだが、何か追加でまたおこなわれているのだろうか。
荷造りが途中だった冬乃は、今朝近藤から「今日はこっちの仕事はいいよ」と言われていたとはいえども、
こんな騒動のさなかに屯所を抜けた事を改めて申し訳なくなりつつ。さてどうするのかと、沖田のほうを見上げた。
沖田が一瞬冬乃に目を合わせてくると、すぐに井上へ承知と返事をし、
冬乃を先に降ろす様子で、冬乃の両脚をふわりと持ち上げた。地面の側へと傾けてくれるのを冬乃は伝って、まもなく足元の砂利を踏みしめる。
「馬を小屋へ戻したら俺もすぐ行きます」
井上へ断りを入れると遠ざかってゆく沖田の背を、冬乃はどうしてもせつなくなりながら見送った。
(うわ・・)
井上と冬乃が早足で到着した幹部棟裏の庭先では。みごとに盛大な焚火祭りが、催されていた。
居残っている幹部の面子が皆して、石の重しの下から書類を取っては、あくせく火にくべている。
もちろん彼らに祭りの意図はないだろうが、
「燃やせや燃やせーい!」
ひとり愉快そうに音頭をとっている原田だけは、そうかもしれない。
どうやら仕分けまでは終わっていて、あとはひたすら燃やしているところの様子だ。
ただ昨日までに冬乃たちで整理した分も未だ残っているような量が、ところ狭しと山積みされている。
(あ)
見渡せば先日から漸く帰屯していた斎藤も参加していた。皆と同じだけ動いているはずなのに、常ながらきっちりと乱れのない襟元のまま、淡々とこなしている。
「総司も後から来るよ」
井上が、手に持っていた薪を火に投げ込みながら皆へと伝える横で、
目が合うなりおまえら何処行ってやがったと言いたげに睨みを利かせてくる土方へ、冬乃は慌てて頭を下げる。もちろん冬乃から何か言う気はない。
(おわった・・・)
そして漸く全てを燃やしきって後片付けまで済ますのに、四半刻以上かかってしまい、
真冬だというのに皆して遂にはほかほかになった身で、各々したくへ戻ってゆくなか。冬乃と沖田は一旦軽食をとるために、広間へ向かうことにした。
昨夜のうちに茂吉たちが、漬野菜や日持ちのする食べ物を今日の行動予定がバラバラな隊士たちのために、好きな時に適当に食べられるようにと広間へ並べておいてくれたのだ。
着いてみると、大分種類が減ってはいたが、冬乃と沖田は好きなものを幾つかは確保できた。
見れば隅には、隊士たちが各々できちんと洗ったらしき、空の小鉢が並んでいる。冬乃はちょっと感心してしまいながら、
引越先の奉行所は今、京都町の管轄となっていて人は不在と聞いているものの、物に関しては処分されず放置されているらしい在庫を借りるはずだから、
あの小鉢も諸々の食器も、組として何処かへ保管を頼むことになるのだろうかと、頭の隅でぼんやり考える。
(ん・・・?)
たしか、預けた先で後日、出火したと記録があったような。冬乃はふと思い出し、土方に伝えておかねばと慌てて脳内に留めた。
とはいえそれでもし無事に済むかもしれない物たちを、隊士達が各々個人で他所へ預けた物も然り、新選組がまた京に戻ってきて使う日はどうせ来ないのだと思えば、冬乃はうら哀しくなる。
「此処じゃなく俺の部屋で食べよう」
つと、沖田がそう言って冬乃を向いた。
(あ・・)
そんな些細な声掛けさえ嬉しくなりながら冬乃は、もちろんすぐに大きく頷いてみせる。
お孝の気配りなのか、幾つか盆まで用意されてあるので、冬乃はさっそく取りにいった先で盆に自分の小鉢や箸を乗せると、沖田の元へ戻った。
「これで持っていきましょう」
冬乃が差し出した盆に、沖田が手にしていた小鉢などを乗せると、そのまま冬乃の手から盆ごとそっと攫ってゆく。
当たり前のように、
そうして冬乃を促して歩み始めた沖田を前に、
冬乃は今日までずっと浸ってきた、沖田と過ごす日々の幸せな気持ちを、漸くなぞるように想い起して。
彼は優しいまま、ほんの些細なひとつひとつの言動も、そうして冬乃を大切にしてくれている彼のままだ。
だから、こんな違和感のほうがやはり間違いで。
冬乃が想像したようにきっと、いま沖田は自身の内面に深く向き合っていて、あれから口数が少ないのさえも、何かそのせいなのだろうと。
己に何度も言い聞かせている言葉たちを冬乃は、そうしてまた胸内に繰り返した。
ふたりはまもなく玄関が開けっ放しの幹部棟に入って廊下を歩み、沖田の部屋の前へ着いた。盆を右手に持つ沖田が、左手で部屋の襖を開ける。
「入って」
先に冬乃を部屋へ入れると、続いて入り襖を閉じた沖田は、部屋の中央へ適当に向かってゆく。
後を追う冬乃を、
盆を畳に置くなり沖田が、振り返り、
瞬間、引き寄せられた冬乃は、分厚い胸板へ頬から雪崩れ込んだ。
(総司さん・・っ)
ふたりきりになった時には、いつも最初にこうして抱き締めてくれることも、
変わってはいない、
胸内を溢れ出すその確かな安息感に、冬乃は刹那に滲んだ涙を咄嗟に目に留め。温かく強い腕の中へ縋りついた。




