68.
高塀の内側ゆえ繋がずにおいた馬が、ゆっくり庭を周回して草を食べてまわっている。
例によって、熾された火鉢の前で沖田の腕に包まれ温まっていた冬乃は、
少し開けたままの障子の向こうに、美しいたてがみをついと覗かせた馬が、次には冬乃たちに気づき顔をあげてくるのをおもわず見つめた。
鼻を動かしながら冬乃と沖田をどちらともなく眺め返してきた馬は、口をもぐもぐさせるとすぐにまた、庭土へと顔を下ろして。
冬乃の背後では、ふっと沖田の笑う息がした。
後ろに見上げた冬乃へ、応えて沖田がまだ笑んだまま見下ろしてくる。きっと今の馬のしぐさを可愛いと思っての事だろうと、冬乃は自然と微笑み返した。
彼のお気に入りのあの馬を、このさき新選組が江戸へ帰る際には連れていけるのだろうか。
ふとそんな心配が脳裏を過ぎり、
引きずられるように、現へと。冬乃の意識は俄かに立ち返った。
今日限りの、この家で。
今まで以上に時の流れが止まればいいと、叶わぬ祈りを心の底へ圧し込めたまま、
こんな想いは背後の彼に気取られないよう、冬乃は自然を装ってふたたび庭へ向き直る。
夢中で晩翠の草をついばむ馬と、寒さを知らなそうに活き活きと歌う小鳥たち、雲ひとつなく澄みわたる碧空の穏やかな光景が、あまりにこの先迎える血に濡れた光景とは結びつかずに。冬乃はどうしてもこみあげる涙に刹那、きつく目を瞑った。
まもなく京の地が、そして日本が、討幕側の手に落ちる。
そんな日が来ると。
ほんの数年前には、おもえば誰が想像できただろう。
ときに後世では、幕政批判と攘夷と倒幕とが、たびたび同一に扱われて。
いずれ倒幕側となる志士たちが、じつに初期の頃から、先見の明のごとく、幕府の時代が終わる未来を見据え目指していたかの描かれ方をされることもある。
けれど本当のところ、今の時世を、このほんの数年前には誰もが想像すらしなかったはずで。
尊皇攘夷運動の魁となった水戸も勿論のこと、
今や討幕の中心となった薩摩も長州でさえも、また。
あの頃。幕府の変革を求めて未だ尽力していた薩摩においては、いうまでもなく、
長州においても、幕府の“不平等な“ 開国政策を糾弾して吉田松陰が企てた老中暗殺計画や、
続く初期の長州系志士が天誅と称して起こした、数々の要人暗殺や政略暴動も、
そもそも幕府を倒したい思いの上での活動であったかというと、全く定かではなく。
おそらく、当時彼ら多くの志士が幕府へ求めたものは、あくまで天皇の意志への忠誠で。
幕府の瓦解では無しに。
つまり幕府が天皇から政治を預かるだけの立場であることを、これまでの傲慢を、省みて、その“失政” を改める事。すなわち当時の直近においては天皇の意志に従った攘夷への舵転換。
尤もその天皇の意志が、“幕府統率下での” 着実な攘夷であったのに反して、
彼らは“朝廷統率下での” 攘夷即時決行を求めたが為に、当の天皇を悩ませていたとはいえ。
(・・もし)
その頃すでに、幕府を『討ち倒す』未来までを、本当に望んでいた者がすでにいたとしたなら。
それはまだ、当時では先見とはあるいみ真逆の、よくもわるくも盲目的な純真さからくる壮大な夢物語と、いわざるをえないかもしれない。
それほどに、幕府との全面戦争に武力で勝利するなどと。
それが叶うと、
今、この時点に至ってすらも、
本気で信じている者たちがいるとすれば、その思いは未だ奇跡を信じると同等の事なのだから。
徳川・幕閣を政権から排除するという、その試みひとつ取ってさえ、
多くの存在の思惑に阻まれ、薩摩ら武力討幕側の思うようには進んでいないというのに。
否、進まなくて当然なのだ。
第二次長州征伐以降、更に大きく幕府の威光は失墜したとはいえ、
泰平の頃のそれがあまりにも強大であり過ぎただけの事、
立ちゆかなくなった幕府体制から脱却すべく王政復古の成された今でさえ、
徳川・旧幕府の、諸大名への統制力は、あたりまえに残存し、
さらには諸外国も、徳川を政府の長と認識したまま。
ゆえに討幕側の焦燥は激しく。
めぐる人々の思惑も、いまや戦さがはじまる予感を前に、まさにかつてないほど分断されていた。




