67.
(・・だめ)
それを、言ってしまえば。
京にはもう戻らない未来が待っている、と告げてしまうも同然ではないか。
そして、旧幕府側の新選組が京の地には戻らない、それがどういう事を意味するか、当然に伝わってしまうだろう。
「・・・ごめんなさい、なんでもない・・です・・」
(伝えるものの選択を間違ってはだめ・・・)
そもそも冬乃が何を伝えようとも、
旧幕府軍を戦さに勝たせて明治維新を覆すことは出来ないというのに。
たとえいっときその場の戦さを勝利に導けたとしても、巡り巡って、行きつく先の結果は元の歴史の流れへと収束してしまうだろう。
この歴史の大流に抗うすべなど無いと。もう思い知ったではないか。
却っていたずらに流れをかきまぜれば、
戦いのなかで迎えるはずだった、彼らにとっての栄誉の死を、その運命を、別の死に変えてしまう可能性だってある。
それは、冬乃の最も懼れている事で。
尤も、既に歴史に新たな波を生じている沖田の存在が、別の流れを生む過程で、その可能性を引き起こすことも当然にあり得る。
または、その逆も。
つまりこのさき冬乃が成そうとしている事を、後押ししてくれる可能性もあって。
彼によってもたらされるかもしれない数多の影響だけは、冬乃にも予測しようがなく。
それでも彼が仮に、新選組に関わるこの先の戦況をすべて好転させ得たとしてさえ、遥かに多くの存在と意志が関わる歴史の大流だけは、変えられないはずなのだ。
そして冬乃もまた、それだけは変えるすべを持たなくとも、
この先を知る冬乃の、その言動であれば、確実に、向かう数多の波をかき乱すまでは出来てしまう事なら予測できて。
それも、
既に伊東一派、新選組、そして討幕側の三者が関わった歴史を別のかたちに変えてしまえた程に、決して小さくはない流れをも。
(だからこそ・・私のすべき事は、許されている事は・・なにも変わってない。“かき乱し方” を間違えるわけにはいかない)
それは、これからの出来事を沖田たちに包み隠さず伝える事でも、まして戦さのための情報を事細かに伝える事でもない。
それを忘れてはだめだと
冬乃は、幾度となく己に言い聞かせた言葉を胸内に繰り返し。
まもなく開戦とともに、何人もの新選組隊士が戦いの中で散ってゆき、そのなかには井上や山崎もいる。
それを知っていても冬乃が彼らのために出来る事は、きっと何も無い、
これまでのように。
それが彼らの望む死のかたちであるかぎり。
一方で戦いの中ではない、切腹でもない、伊東のように暗殺による死も然り、其々の望まぬ死の運命を背負う人達、
冬乃が変えられる、導ける可能性のある歴史は、そんな彼らの最期だけ。
(だけどそれだって全てが叶うわけじゃない・・)
伊東の時のように。いくら新選組の仲間からの誤解は免れたとはいえ、そして恐らく伊東自身は知らなかったとしても、彼を殺したのは彼のもうひと方の仲間だった。
何より伊東は未だ道半ばで、
望まない最期であったことに、無念の最期であったことに、やはり変わりなかったのではないか。
僧の示唆した通り、その者の最期に関わる者が多ければ多いほど、その波は容赦なく押し寄せる。
(だから・・同じように)
旧幕府側の揺るがない砦であり、討幕側にとって討ち取るべき絶対の対象である仇敵新選組の、
局長、近藤勇を。
元の歴史の波から救い出せるのかが。
決意と一縷の希望の傍らで、冬乃は漠然としたその不安を拭えずにいる。
つと馬が嘶き。
冬乃は、沖田の双眸から目を逸らした。
いつのまにか馬の走りが遅められていた事に、気付いて。
「冬乃」
心配そうに呼ばれ、冬乃はどきりと再び沖田を見上げていた。
「言っておくけど・・俺も土方さんも、たとえ戦さが始まろうと先の事を逐一冬乃から聞き出す気は無いから」
(・・え)
冬乃はもう目を逸らせないまま、
「冬乃が俺達に伝えられないと思う事は」
そう継ぎ足す彼の声に耳を傾ける。
「これからも当然言わなくていい。そしてそれを気に病むこともない」
(総司・・さん・・)
「第一、冬乃から何を聞き、何を試みたところで」
沖田が一呼吸置き。
「此の国の行く末が、変わらぬのならば」
冬乃は息を呑んで、沖田の眼を見つめた。
「その結末も、それ迄の道も、知っておく事に何の意味がある」
(・・あ・・・)
「さしずめ、とうに覚悟ができて“開き直った” 土方さんなら最早、」
沖田の穏やかな眼差しが、つと微笑った。
「如何しようとも変えられぬ行く末なら、それ迄は己の命の限り好きなように暴れてやる、何もかも知っていたらつまらねえ、といった心境だろう」
冬乃は。おもわず涙が溢れそうになり咄嗟に目を伏せた。
いつかに歴史の行く末について土方に聞かれ、手討ちにしてくれていいと跳ね退けたあの時も、
今に至るまでの選択をも含めて、
そうして冬乃がこれまで懸命に悩んで決めてきた事は、間違っていないと。
そう、肯定してくれるかのようで。
「ただ近藤先生の狙撃の件のように、」
そんな冬乃を抱く腕が、そっと強まった。
「この先、俺達の働きかけ次第で変えられる可能性がある事に関しては、最善の道を採る為に、これからもできれば聞かせてほしいと思っている」
冬乃は反射的に顔を上げた。
「それは勿論ですっ・・」
「同じように、」
沖田がその深淵の眼差しで、冬乃を見返す。
「俺の『死期』についても、ね」
そして少し困ったように微笑む沖田を、
冬乃は見上げたまま。息を凝らして。
「それ自体は変えられずとも、それを知っておくことで俺の今後の行動における判断を変えることがあれば、他の何かを変えてゆけるかもしれない。近藤先生に関わる事も、・・冬乃に関わる事も」
(え・・・?)
「勿論どうなるか分かりようもないが、それでも」
常の、冬乃を慈しむ沖田の眼差しが、冬乃の見開いた瞳に映り。
(私に関わる事・・て、どういう・・意味なの・・・?)
沖田が、つと視線を上げ、馬が更に減速したのを冬乃は次には感じた。
手綱を引いた沖田の手が視界を横切り、馬は横の小道へと入ってゆく。
「もうすぐ麓だ」
沖田が前方を見ながら教えてくれる。
「これからまた少し飛ばすから、続きは家で話そう」
そう言うと沖田は、馬の速度を再び上げた。




