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66.




 「家へ寄って行こうか」

 

 不意に落ちてきた言葉に、冬乃は沖田を見上げた。

 

 「伏見からなら遠くはないが、これからはあまり帰っていられないだろ」

 

 確かめるように冬乃を見返した沖田へ、

 冬乃は咄嗟に返事が浮かばずに只、慌てて頷いて。

 

 

 もうあと少しで京に入ることすら、できなくなる

 

 脳裏をよぎった言葉も、呑み込んでいた。

 

 

 

 今回の一連の移転は、

 先日ついに王政への復古号令が成されたため。

 

 大政奉還後も朝廷からの委任により勤めていた『将軍』を、これにより名実ともに降りた慶喜が、京の二条城を出て大阪城へと移り、

 

 新選組は“元” 将軍不在時の要所固めを任命され、二条城そして最終的に伏見奉行所へと移転することになったのだ。

 

 

 慶喜が在京の家臣団や会津などを引き連れて都落ちさながら京を出たのは、即時開戦の事態を避ける為でもあった。

 

 このたびの王政復古に附随した、慶喜に対する薩摩の推す領地返還や政治不関与など諸々の要求は、

 理不尽が過ぎるとして、旧幕閣や会津等の佐幕派が遂に「薩摩討つべし」と声高に訴えるようになっていたからで。

 

 これまで彼ら旧幕府側が反幕・討幕側に募らせてきた憤りからすれば、無理もなかった。

 

 この後に激化してゆくこととなる、薩摩首謀による挑発的な数多の暴動も、

 初めの頃こそ、これらは激派の勝手な活動であって薩摩内で実権を握る主導層はかわらず親幕派なもの、とばかり世間には印象づけられてきたのだが、

 

 その主導層こそが激派の側であった事は、今や大々的に知れるところとなり。

 故にこれ迄の暴動も謀略も、蓋を開けてみれば薩摩の藩としての意向も同然であった事、

 

 ましてそんな親幕の仮面をとうに見破っていた一部の者達からすれば、薩摩のその狡猾とすら呼べるふるまいと、

 長州の赦免を含め、反幕的な勅旨朝命の類いを彼らが昵懇の公家宮家を通じて“幼帝を操り” 引き出してきた事実は、すでに赦し難く、

 

 その上ここにきて極めつけに今回の徳川・旧幕府に対する過剰な要求とあっては、

 

 当の本人の慶喜ですら、家臣たちの激昂を鎮めきるすべなど最早、持たなかったのである。

 

 

 共に手を取り合い新体制を築く事など、こうなっては不可能であり、決着をつけねば日本国に泰平が訪れることはない

 薩摩を加えた『討幕側』を一掃すべし

 

 そう息巻く家臣たちへ、

 慶喜は「いずれ」と濁しながらも、戦争に向けた心構えを見せたという。それが本心ではなかったとしても。

 

 ただし、帝のおわす京の地で起こってはならない

 そう説いて慶喜は彼らを引き連れ、京を出た。

 

 

 

 もしも。

 せめて二条城の警固に新選組が参画し続けていられたなら、

 そうして帝の居る京の側に、留まっていたのなら。

 この後の歴史の流れすら変えるきっかけを、或いは生んでいたかもしれない。

 

 だけど現実は、新選組は京を出て伏見へ向かい、二条城に留まったのは、己らの権威をもって城から新選組を追い出した水戸藩。

 

 ――あの天狗党の悲劇を生んだ藩であり、慶喜の生家、

 

 だが、このころ京に居た水戸藩士たちを『徳川』寄りと、反幕府寄りとに大別するならば、

 彼らは、後者だった。

 

 慶喜は当然にそれも承知で。むしろ“新政府” 側を刺激しないためにも、

 元々反幕(ただし討幕ではない)の立ち位置の彼らを、適任と定め託したのだろうか。

 

 

 だが京に残った彼ら水戸藩士たちは、やがては討幕側へつくことになる、

 

 開戦ののちに。

 

 そうして京の側に、旧幕府の主要な戦力がひとつも残留していなかった事は、

 敗因の大きな一つとなって。

 

 京の地は、帝は、完全に討幕側の“手中” に落ちてしまう。

 

 

 その時は近く。

 

 (まだあとほんの少し日は残ってる・・けど・・)

 

 きっと、今日が最後の訪れになるのではないか。

 ふたりの家への。

 

 

 

 「総司、さん」

 

 ふたりとも荷物はいつも屯所から持ち込んでは持ち帰っていたので、家に荷造りが必要な物は特に無いはず。

 だけど、

 

 (伝えたい・・)

 

 冬乃は応えて見下ろしてきた沖田の目を見つめ返した。

 

 もしかしたら今日が、家に帰れる最後の機会かもしれないんです

 

 

 言いかけた冬乃は。だけど、咄嗟に口を噤んだ。




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