56.
(・・その日から夜中までは、藤堂様に絶対、外出はしないようお願いして・・・そして伊東様も、できるならば同じように)
伊東の命日でもある、その日を。
無事に生き抜ければ、
そうして本来の運命の日を避けることがもしも叶えば。
その先に奇跡が起こりうる可能性は増すかもしれない。
幕末史に刻まれる規模の歴史を、確かに覆せる希望を得た時からずっと、
冬乃の胸内で芽生えて息づいている、その祈り。
「・・もうひとつお願いがあります」
冬乃は意を決して近藤と土方を見据えた。
「もし伊東様が、代替日として十八日を打診なさられた場合は、・・その日をどうかお断りくださいませんでしょうか・・・」
「何故だ」
土方の探るような睥睨に、
「その日は・・」
冬乃は膝上に流した手を今一度握り締める。
「そもそも、本来なら何が起こったんだ」
聞かずともまるで察したように。土方が不意に問いを追わせてきて、
冬乃は言葉を呑みこんだ。
「近藤さんの暗殺の偽計画で俺達が踊らされることはもう無くなった、だったら俺達がおまえの話から想像していたこの先の事態も、回避したはずだ。今ならはっきり聞かせてくれても問題無いだろう?」
「・・はい」
冬乃は、まもなく緊張したままの息を小さく吐き出した。
「元の歴史では、・・十八日に伊東様は・・新選組に粛清されました」
場は静まりかえり。
「・・・改めてはっきり聞くと、辛いな」
近藤が、やがて。悲しそうにぽつり呟いて。
冬乃は近藤の目をもう見ていられず、唯小さく俯いた。
「藤堂もか」
土方が問いを重ね、
冬乃はびくりと肩を震わせて。
「はい・・」
なんとか頷いてみせれば、
「やっぱりな」
続いた土方の溜息と。
「実に想像し難い・・、何故俺達が藤堂君のことすら信じてやれなかったのか」
近藤の震えた声が。顔を伏せたままの冬乃に届いて。
「・・藤堂様まで誤解されてしまっていたのかは分かりません、・・ただ、藤堂様は伊東様のなきがらを引き取りにいらして・・・待ち構えていた新選組と闘って、それで・・・」
伝えるにはやはり辛すぎる元の歴史を冬乃は、声を絞り出すように続けてゆく。
「永倉様の遺された記録では・・近藤様たちは藤堂様を逃そうとされていたそうです・・ですが、それを知らなかった隊士の方に・・・」
「冬乃さん、辛い事を話してくれて有難う」
労わるような近藤の言葉に、冬乃ははっと顔を上げた。
事実、上げた刹那、冬乃の目からは涙が零れ落ち。
「・・ごめんなさ・・」
慌てて再び顔を伏せた冬乃を、
「で、その十八日を避けたい理由は何だ」
土方の問いが、だが間髪いれず追った。
「もう起こるはずのない事だろう。なのに何故その日、未だ伊東さんと俺達の接触を避ける必要がある」
「それは・・」
運命を変える希望に縋るため
「“そうすれば、藤堂の死期を変えられる” 」
襖が開いて。
戻ってきた沖田を、冬乃は吃驚して見上げていた。
「冬乃はそう考えているんだね・・?」
(・・・え)
沖田の、その確認に。咄嗟の声が返せぬ侭に。
(・・・どういう意味で・・言ってるの・・・?)
まっすぐ冬乃の横まで来て座る沖田を尚、見上げて。
死期、ということばを、冬乃は心内でだけでなく耳でもすでに聞き覚えがあった。
(・・たしかあの時、私が尋ねて)
おもえば、
沖田も聞いていた、あの僧の話で。
何と、言われていたか。
『全ての万象との縁が、其々大きくも小さくも作用したうえで定まるものでございますれば、』
―――人の“死期” についての答えを。
『往々にして、その万象に導かれし死期を変えることは到底、困難なことなのでございます』
(・・・そうだ・・・・)
すでに、
藤堂達が粛清される未来に沖田は気づいていたのだとすれば。
僧のあの答えを聞いた時点で、
ならばたとえ粛清を避け得ても、その運命の日から藤堂の“死期を変えること" は叶わない可能性をも、分かってしまったのではないか。
・・そしてそれなら、気づいているのかもしれない、
続きの僧の話から、
それでも今、奇跡を冬乃が祈っていることにも。
「・・・総司さんの仰る通りです」
こみあげた想いに圧され冬乃は、一瞬きつく目を瞑った。
親友の死が近いことを、沖田はとうに受け止めていたことに。
冬乃の胸内を切りつけるような痛みが奔り抜けても、
(・・今は)
希望へそれでも目を向ける如く、冬乃は次には瞼を擡げ、顔を上げて。近藤達を見据えた。
「その日は、本来なら命日だからこそ何が代わりに起こるか分からないため・・伊東様も藤堂様も外出をされずにいることが一番安全と思ってのお願いです」
それが叶って二つの大きな変化が、
運命をも変えることを願って。
「成程わかった」
すぐに近藤が大きく頷いた。
「必ずその日は避けよう。歳も、異存はないな」
「・・勿論だ」
(あ・・)
「有難うございます・・・!」
「こちらこそ有難う」
近藤が、未だ少し悲しげな色を残した顔で微笑んだ。
「・・さて、夜ももう遅い。お開きにするとしよう。斎藤君もご苦労様、明日からの滞在先については、監察から明朝には連絡があるはずだから待っててくれ」
「承知」
報告を終えたのちはずっと黙して静かに座っていた斎藤が、小さく返答した。
伊東一派と双方の行き来を禁じている以上、斎藤はほとぼりが冷めるまで暫く新選組からも離れて別所に潜伏することになる。
せっかく帰ってこれたのに、沖田と斎藤がまた稽古をできるようになる日は未だもう少し先になるだろう。
そして、斎藤がもう一度此処に戻ってこれる頃には。藤堂のことも、きっと答えが出ている。
冬乃は、震えてしまうままの手を再び握り締めた。
(どうか)
もう幾度も胸内に念じた祈りを、尚繰り返して。




