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55.




 普段ならば始まっている自主稽古の喧噪も、今朝はひっそりと静まり返り、響いてくることも無く。

 

 昨夜は出動した隊士のみならず待機も含め屯所じゅうが夜中に叩き起こされたのだから、当然だが。

 

 

 雨戸の隙間から遅い朝を告げる光の内で、沖田は己の腕に眠る愛妻を見下ろす。

 逢いたい想いのままに、昨夜はあれから風呂に入ってまっすぐに此処へ来た。

 

 いま微動だにせず深い眠りに安住しているその姿を、飽かずに見つめているうち、だが不意に人の気配が起こった。

 

 沖田は雨戸のほうへ視線を上げた。

 

 

 お孝だろう。

 

 どうやら想像していた以上に遅い時刻だったようだが、

 知ったところで手遅れだ。

 

 冬乃をこのまま寝かせておきたい沖田は、この腕枕の状態を解除する気にもなれず。

 (ままよ)

 腹を括ってお孝が雨戸を開けるのを待ち構えた。

 

 

 が、いつまでも入ってこないどころか、引き返したのか遠ざかる気配に、

 沖田はさすがに驚いて開かずの雨戸をおもわず眺めた。

 思い巡らすうち、

 成程お孝はこの時間でありながら未だ閉ざされた雨戸を前に、冬乃が未だ寝ていると思い至ったのだろうと。

 

 それ以上を気が付いたのかどうかは分からぬが、

 今もすやすや眠る冬乃を今一度見下ろしながら沖田は、お孝の気配りへ胸内で礼をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝は新選組の皆が皆して朝寝坊した様子だった。

 

 茂吉たちがちょっとばかり困っている。

 現在昼前だというのに、未だ朝餉の片づけをしているのだから、それはそうだ。

 

 「昼餉の時間は遅めたほうがええやろな」

 茂吉が諦めたように早口で呟いて、冬乃は慌てて頷く。

 

 

 近藤と沖田が外出したので、冬乃は、お孝から通常営業外の事態で混乱していると聞いた厨房へ応援に来ているところだ。

 

 そのお孝にも、今朝はいつもと違うことをさせてしまったようで、

 目が覚めてのち沖田から聞いた冬乃は、彼と別れてすぐ厨房へ駆け込んで、作業着に着替えないままで働いているお孝に平謝りした。

 

 だが今朝の屯所じゅうの静けさから、深夜遅くに何か大捕物でもあったのだろうとすでに想像していたらしいお孝は、

 冬乃が未だ寝ている様子で部屋の雨戸が閉ざされたままな事にも、さして驚かなかったという。

 

 「それに、今朝は庭下駄がなんやいつもより多いよに思たし・・」

 うふ、とお孝がそのとき言い足して。冬乃は赤面した。

 

 

 庭下駄は皆、建物から建物へ移動するための共有物となっている。

 

 そのため人の出入りの激しい建物にほど庭下駄は集まるし、

 時には何故か庭の真ん中で見かけることもあるが、基本はもちろん各建物の出入口に、多かれ少なかれ何組かが常に在る。

 冬乃たちの、女使用人部屋離れの出入口にも、利用者は少ないもののたいてい数組ほど在ったりするのだが、

 

 勘の鋭いお孝は、その数が今朝はたった一組増えていただけで、しっかり何やら感知した・・ということなのだろう。

 

 

 (ほんとお孝さんにもいつも頭が上がりません・・。)

 おかげでぐっすり眠れた冬乃は、内心お孝へ何度目かの礼を呟く。

 

 「今日、卵少ないわあ!」

 (わ)

 

 そんなお孝が不意に声をあげたので、冬乃は向こうの棚へ覘きに行っていた彼女を手元の包丁から顔を上げて見遣った。

 

 「ニワトリさんも寝坊しはったんとちゃうかー」

 横で藤兵衛が作業の手を止めずにさらりと答える。

 

 そのまじめな顔での台詞に、内心びっくりした冬乃だが、

 確かに昨夜のあの騒ぎで鶏も夜中に起こされてしまったのだとすれば、充分ありうる。

 

 (・・あれ?でも)

 そういえば平隊士達が毎朝持ち回りで鶏の卵を回収しているはずだから、やっぱり寝坊したのは鶏じゃなくて、単に平隊士達では。

 

 

 それにしてもこの広大な屯所で、点在する鶏たちの卵を毎朝探し回っているのだとすると、考えただけで涙が出てくる気がするのだが。

 

 

 「一品なにか増やしたほうがええんのやろか」

 棚の傍ではお孝が唸っている。

 

 今ある食材で増やすとすると何だろうと、冬乃も考えようとしつつ、

 まだ回収されていない卵がありそうなら頑張って探してくる方法もあるのではと、おもわず首を傾げ。

 

 (でもどこを探せば)

 

 案外、それぞれの鶏たちにはお気に入りの場所などがあって、卵を産む場所もいつも一定だったりするのだろうか。それならばまだ希望がありそうだ、と思ったところで、

 

 そうだとしてもその場所を見つけるまでは、

 

 (宝探しみたいになりそう。)

 

 結局その事に気づいた冬乃は、あっさり諦め。献立の追加考案の手伝いに向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 史実通りに、伊東たちの屯所から斎藤がひっそり戻ってきたのは、暫くのことだった。

 

 表向きは、分離組の公金を使い込んだ事を伊東に気づかれてもう居られなくなったから脱してきたという、

 およそ斎藤らしからぬ理由を置き土産に。

 

 

 そして斎藤は、ある事実をもたらした。

 

 伊東について新選組を出て行った者たちの中には今、『真に』討幕へ傾倒し薩摩の過激派と『本気で』通じている者たちが居る事、

 

 更に憂うことには、中核の内にさえそういう者が居るという事を。

 

 

 元々伊東の思想は、幕府の枠に囚われない非常に広い視野に立ったものであるからこそ、

 

 薩長内の反幕府側とも、元新選組であったが為に散々疑われながらもやっとのことで、ここまでのつながりを築いてくることが叶ったのであり。

 

 いいかえれば同様に、伊東一派の中にも、薩長と近い『受け取り方』で伊東の思想を認識していた者がいただろう事は、想像に難くはない。

 たとえ、

 伊東がどれほど彼らに、幕府の枠に囚われぬのと同じほど反幕府の枠にも囚われぬ視野を、説いてこようとも。

 

 伊東の思想が、志が、どこまで理解され伝わっていたのか。

 中核の篠原ですら、

 のちに彼が遺した話からは――もし明治政府に何か配慮したゆえの話と受け取らずそのまま受け取ってみた場合――

 その深度の程は、嘆かわしい。

 

 

 

 伊東は、だからいま波風を立たせる事は避けようとした。

 

 数にすればほんの一握りとはいえ、その者達から斎藤を『警戒』する声が秘かに届くようになった事態に、

 伊東はそうして表向きの理由を作り上げて斎藤を脱退させたのだった。

 

 

 元々斎藤は、

 同じ元近藤傘下であれど伊東とは師弟関係である藤堂と違い、どうしても伊東一派と相容れる素地には欠ける。

 その為すでに新選組分離の時点から、彼らの内には斎藤の参加を解せない者も在ったが、

 

 当時はそれでも未だ、四侯会議決裂以前の時期で、彼らもせいぜい幕府と一線を置いている程度であり、今のような武力討幕への傾倒は無かったはずで。当然に、当時は斎藤に対してどうこう言い出す者もいなかった。

 

 それがここにきて、伊東にわざわざ諫言する者が出てきた。

 

 “近藤の息がかかっている” 可能性のある斎藤を、

 

 『危険』だと。

 

 

 伊東は認識せざるをえなかったのだ。

 そのように新選組を警戒するという事は、

 

 いまその者達は過激派側に感化され、真に討幕へ傾倒しているが為、つまり、

 

 伊東の理想が、決して皆のすべてには伝わっていなかった事を。

 

 

 「私の責任です」

 

 斎藤を脱退させる夜、伊東は斎藤に頭を下げた。

 

 

 「彼らのことは、必ず説得します」

 

 

 だからどうか時間を欲しい、と。

 

 

 

 

 

 

 (・・・そんな)

 

 討幕派による虚偽の企てを、遂に阻止できたというのに。

 

 

 (他にも未だ、こんな問題が残ってたなんて)

 

 

 斎藤が内々に戻った今夜、沖田に呼ばれて近藤の部屋で一切を聞いた冬乃は、

 静かに坐す斎藤の横で、最早いたたまれずに顔を伏せた。

 

 

 この可能性も、冬乃には想定できたはずではなかったか。

 

 ・・勿論、想定だけで口にしていい事でも無かっただろうとはいえ。

 

 

 (何か私に、これからでも、出来ることはないの・・・?)

 

 

 「今は伊東さんに賭けるしかねえ」

 

 まるで冬乃の心の声に応えるような台詞を。

 土方が、コンと灰吹きへ煙管の内を叩き落しながら囁いた。

 

 「俺達にしてもそいつらだけ“粛清する” わけにはいかねえからな」

 

 

 土方の云わんとする事を冬乃は理解し。小さく息を吐いた。

 

 もし新選組が、伊東一派のうち一部だけの粛清に動けば、

 討幕側はどう受け取るか。

 

 粛清の対象にならなかった者達は、新選組の『味方』だと考えるだろう。

 

 そうなってしまえば、これまでの伊東達の努力は全て水の泡になる。

 

 

 

 「ま、誰にも俺達の仕業だと判らねえようにやるんなら良いか・・」

 

 (・・え)

 

 冬乃はどきりと顔を上げた。

 

 「歳、それは」

 近藤が声を途切らせ。

 

 ――暗殺

 

 

 この場の五人の内には、沈黙が落ちた。

 

 

 (・・・だめ、そんなことしたら)

 

 まもなく冬乃は、はっと息を呑み。

 

 

 

 当然、伊東だけは気が付くだろう。

 

 伊東が、そして動機こそ理解したとしても。

 

 

 (いったい、どんな想いに)

 

 

 時間を欲しいと頼んだ伊東を無視し、伊東の旧来の仲間を暗殺するなんて事。

 

 

 「・・・どうか、それは」

 

 冬乃はおもわず声を圧し出していた。

 

 「それはきっと伊東様に・・近藤様が、・・土方様や井上様を殺されてしまうのと、同じ想いをさせてしまいます、」

 

 「・・だから何だ」

 土方が冬乃へ睥睨を寄越し。

 

 「・・伊東様にそんな辛い想いは・・、」

 

 冬乃の声は震えても。

 

 「さしでがましいことを申し訳ありません、・・・ですが・・どうか」

 

 

 

 伊東の命の刻限は、もう残り少ない。

 

 近藤達の誤解を受けてしまう未来を、せっかく回避できたのに。

 

 (・・こんな)

 

 こんな結末が、

 あっていいわけがない。

 

 旧来の仲間を喪って、信じた近藤達仲間をも失って、

 

 そんな二重の苦しみのなかで、最期へと向かうなど。

 本来の運命とこれでは同じ程、伊東の最も望まぬかたちの終焉を迎えてしまう。

 

 一和同心

 伊東のめざしてきたその理想と、真逆の結末が、

 

 かけがえのない二つの仲間の間で起こるなんて事。

 

 

 そして藤堂も。

 そうなれば伊東の苦しみを背負ってしまうだろう。

 なにもできなかった苦しみとともに。

 

 それはもし無二の友人達を喪った近藤の、

 傍にいる沖田へと、置き換えてみれば。

 冬乃にも手に取るようにわかる。

 

 

 (そんな想い、絶対に藤堂様にさせられない・・)

 

 

 「先に裏切ったのは奴らだ、奴らとて粛清される覚悟もあっての事さ。伊東さんもまた、俺達に知らせた時点で奴らがそうなる可能性など覚悟してるだろう」

 

 (そんな・・はずない・・)

 「伊東様は時間を欲しいと・・待ってくださると、土方様たちを信じてらっしゃいます」

 

 そうでなければ。

 斎藤にまるで託すようにして帰隊させたりしないはず。

 

 土方達を信じていなければ、隠し通そうとしただろう。

 斎藤の話からすれば、その数名はなにも徒党を組んだり声を大にしては無かった、

 其々がたとえば伊東に秘かに『忠告』してきたりしていただけ。

 

 つまり伊東が斎藤に明かさなければ、いずれ明るみに出るとしてももっと先のことだったはず。

 

 

 (・・・あれ、・・でも)

 

 そもそもいろいろな事が冬乃のこれまでの想定と、明らかに違う。

 

 おもえば虚偽の近藤暗殺企てが起こらなくなった以上、斎藤が史実と同じ頃に戻ってくることも無くなっていたはずではないのか。

 

 永倉の記録通りならば、斎藤が戻ってくることになった理由は、伊東の近藤暗殺計画を『掴んだ』がゆえだったのだから。

 

 それがいま無くなったはずなのに、

 

 まるで斎藤の戻ってくる理由だけがすり替わって。史実通りに斎藤は、こうして秘かに戻ってきた。

 

 (・・どう・・して・・・?)

 

 

 「・・何だ。何か気になる事があるなら言え」

 

 土方が、珍しく冬乃に向き直るとそんなふうに促して。

 

 冬乃は、必死に思い巡らせる。

 何かこれまでの流れで見落としている事が無かったかと。

 

 

 「・・あ」

 

 冬乃はつとおもわず声に漏らしていた。

 

 (もしかして)

 

 むしろ斎藤が戻ってきた理由は、元からこちらだったということはないのだろうか。

 

 (元の歴史でも、伊東様が斎藤様を帰した・・・)

 

 分離組内で討幕を志す者達の存在を土方達に伝え、渦中の斎藤を離脱させる為に。

 

 (でもその場合、)

 虚偽の近藤暗殺計画はやはり、元々斎藤からもたらされたものではなく、

 何らかの別の方向から浮上していたものだったのだろうか。

 

 そして元の歴史では、きっとこの時期すでに、その真偽のほどの裏取りのため当然監察方が奔走していたはず。

 

 その疑惑が真と誤判断されてしまったのが実際はいつだったのか、これより前なのか後なのか、今となっては冬乃には分かりようもない。

 だが、

 

 斎藤によってもたらされた、分離組内部に生じた討幕派の存在は、

 新選組が、こののち伊東だけでなく、伊東一派全体を粛清しようとした事にも繋がるのだろう。

 

 (でももうこれは想像でしかない)

 

 

 元の歴史から、状況は確かに変わったのだ。今となっては元の歴史で何が起こっていたのかは、最早想像しかできない。

 

 だけど元の歴史でも、ひとつだけきっと冬乃にも間違えてはいない事があるとしたら、

 

 「伊東様は・・」

 

 最期まで、近藤たちを信じていたという事。

 

 

 「・・・敵や味方の枠を超えて、援け合える理想のために尽力してらっしゃると、藤堂様からお聞きしました」

 冬乃は両手をついた。

 

 「きっと伊東様なら、その方達のこともお導きになれるはずです」


 土方たちへと頭を下げる。

 

 「どうか、そのためのお時間を今暫く・・・」

 

 

 「そこで断言しないのは、伊東さんの試みが成功するかはおまえにも分からないという事だな」

 

 

 降ってきた、その言葉に。

 

 冬乃はおもわず顔を上げていた。

 

 

 「伊東さんがどういう理想を掲げてようが、俺達は目の前の反乱分子をひとつひとつ排除し、この先の災いの芽を確実に摘む。それが新選組としてすべき事だ」

 

 

 「鬼ですね、土方さん」

 

 不意に沖田が吐くように呟き、冬乃ははっと沖田を見やった。

 

 「・・おい。誰であろうと容赦はしねえ、俺達はそうやってきただろうが。何を今更」

 

 「その事じゃありませんよ」

 冬乃を見返した沖田が、可哀そうに、と溜息をつき。

 

 「これじゃ冬乃が断言しなかったのを決め手にするも同然だ。自分のせいだと冬乃は自責してしまう」

 

 (総司・・さん・・)

 冬乃は瞬間こみ上げた涙に、咄嗟に目を伏せて。

 

 「・・もしこれで粛清を決行してごらんなさい。冬乃は今後二度と歴史の一切に関して口を割らないでしょうよ」

 

 それでは貴方も困るでしょう

 そんな沖田の声を聞きながら冬乃は、畳についたままの震える己の手を見つめる。

 沖田の言う通り、冬乃はそうなれば自責の念に到底耐えられないに違いない。

 

 「それから、冬乃が断言していないのはなにも“伊東さんの試みが成功する” 事だけじゃない」

 

 「“伊東さんの試みが失敗する” 事もまた、断言してはいない」

 (あ・・)

 冬乃は沖田を再び見上げた。

 

 「そうだ、今は伊東さんが彼らをきっと説得してくれると信じて待とう。粛清はあくまで最後の手段だ」

 近藤が横で大きく頷いて。

 

 「できるかどうかも分からねえなら、そんな悠長な事言ってられるかよ」

 土方が声を怒らせた。

 「大体、討幕派からしたら伊東さんも邪魔なんだろ。伊東さんだって悠長な事してられんのか?」

 

 「・・奴らが伊東さんを斬らねえのは、」

 土方は更に畳みかけて。

 「情なのか、それとも奴らは伊東さんも討幕に加担していると信じているのだとすれば、・・まさか伊東さんもとうに心変わりし」

 

 「それだけはありえません!」

 

 おもわず遮った冬乃は必死に声をあげた。

 「その方たちは、たしかに伊東様のお志を誤解されてると思います、ですが、伊東様は本当に決して・・・藤堂様が断言された通り、討幕なんて今も考えてらっしゃいません・・!」

 

 冬乃は震えたままの両手を拳に握り締める。

 「伊東様とその方たちは・・、」

 

 「・・新しいしくみを樹立する、その点では同じ方向も向いてることでしょう・・。でも今も伊東様にとってのその方法は、戦ではなく、手をとりあうほう・・徳川様も元幕閣も薩摩様も長州様も含めて、敵も味方も分け隔てることのない、新しい統治のしくみを目指してらっしゃる点で、大きく違います・・!」

 

 

 「・・・改めて聞くと、やはり全く、絵に描いた餅だな」

 

 (・・・っ・・)

 

 「だが。それが叶うなら、それに越したことはねえがな」

 

 

 (・・あ)

 

 冬乃が目を見開く前で、土方が煙管を少しふくみ、ふうと煙を吐いた。

 

 「・・ようは、その理想で土佐あたりの穏健派を動かして長州や薩摩の過激派連中を巧く抑え込むなり宥めてくれるんならいいさ。そう易々と事が運ぶとは思わねえから、手っ取り早く連中を処罰しちまえば済むんだがな」

 

 「ああ、」

 近藤が溜息をつく。

 

 「伊東さんのその構想の草案ならば、未だ伊東さんが此処に居たころ俺もよく聞いていたよ。長州父子まで新体制にいま参与させる事は、明らかに無理があるが、過激派を厳罰に処したのちならば可能となる日もいずれ来るだろう。伊東さんは厳罰からして望まぬのだろうが」

 

 「だが過激派の連中がこっちと手を取り合うわけがねえ」

 

 コンと再び土方が、灰吹きへ煙管を叩きつける。

 「伊東さんは話し合えばいつか分かり合えると言うんだろうがな、どいつも伊東さんのような人ばかりだったら、元からこんな乱世にもなっちゃいない。流すしかねえ血もあるってことを分かってねえんだ」

 

 「まあ、」

 近藤が緩く微笑んだ。

 「そこが伊東さんの素晴らしいところでもあるのだよな」

 

 (近藤様・・・)

 

 「そうだ、伊東さんにはもう久しくお会いしていないことだし、考えを改めてじっくりお聞きしたいと思っていたところだ。総司からも藤堂君を通して会合の依頼があったと聞いているし、どうだろう歳、近々一度お招きして状況の詳細を聞かせてもらうのは。・・奴らの粛清の決断はそれからでもいいだろう?」

 

 冬乃は、息を呑んだ。

 

 「だったら明日か明後日だ。悠長にしている時間は無い」

 「歳・・、いくらなんでも明日明後日では急過ぎる。迷惑だろう」

 「そんなこと聞いてみなきゃ分からねえ。明日明後日が無理でもこれなら最短の代替日を言ってくるだろ。総司、今すぐ監察に使いを頼んで来い」

 

 「どうします、先生」

 「・・仕方ない。宜しく頼もう。場所は・・そうだな、どこかの店ではなく俺の妾宅でお願いしてみるか。あそこなら互いに外目を気にせず会えるだろう」

 

 沖田が早速出てゆくのを冬乃が見つめる前で、

 「そういや、」

 近藤が呟いた。

 

 「三浦殿には斎藤君のことでかなり御世話になったから、戻った事は連絡しとかねばならないな」

 

 近藤のいう三浦とは、国事に携わる紀州藩の周旋方であり、伊東と新選組の内々の関係を知る数少ない一人だ。

 

 「丁度先方とは、十八日の昼に別件で会う予定があるが」

 「おお。ではちと遅いがその日に書状を持って行ってもらえるか」

 「ああ」

 

 (・・十八日・・・)

 

 冬乃はぶるりと身を震わせた。

 

 

 (その日は、)

 

 藤堂の命日であり。

 

 

 必ず避けなければならない日である事に。

 

 

 






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