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50.





 「伊東先生が討幕派に命を?!」

 

 狙われていると。

 

 冬乃は、戻ってきた出合茶屋の部屋で、藤堂に膝を突き合わせるなり真っ先にそう伝えた。

 

 今回彼らが冬乃を囮にして藤堂を捕らえようとしていた理由も、恐らくその為だと。

 

 「・・てっきり、俺が奴らの個人的な仇かなにかで狙ってきたんだとばかり思ってた・・」

 

 驚愕したまま怒りにか震え出した藤堂が、まもなく、はっと思い出したように沖田のほうを向いた。

 「冬乃ちゃんから、伊東先生が受けることになるっていう誤解の内容はもう聞いた?!」

 

 「・・いや、」

 沖田が隣の冬乃を見る。

 「どんな」

 

 「この先、先生が近藤さんの暗殺を企てたなんて事になるって・・!」

 躊躇した冬乃に代わって即座に答えた藤堂の、

 今の台詞に。

 

 沖田が一寸のち、深く溜息をついた。

 

 「・・・そういう事か」

 

 

 (え・・?)

 

 全て納得したようなその表情を、見上げた冬乃のほうが戸惑い。沖田の次の言葉を待てば、

 

 「藤堂は」

 沖田が、藤堂を見据えた。

 

 「伊東さんがそれを企てることはありえないと断言できるか」

 

 「できるよッ、ありえないに決まってるよ!」

 もはや声を張り上げて即答で断言する藤堂に、沖田がすぐに「わかった」と頷いた。

 

 「土方さんに伝える。俺達が伊東さんについてこの先、誤解することは無い。・・・だから、安心しろ」

 

 ほっとした様子の藤堂が。

 

 「ありがと、頼んだよ!」

 

 一寸のち今度は冬乃を向いた。

 

 「伊東先生が、こんなありえない誤解されたっていう歴史と、いま討幕派に命を狙われている事って、関係があるんだよね?俺達が敵対したら喜ぶのはそいつらって事でしょ」

 

 「いえ、」

 冬乃は慌てて首を振る。

 「わかりません」

 

 新選組と伊東達が殺し合ってくれればいいとまで、

 そのための案について本当は彼らが話していた事、

 

 まさに討幕派こそが、その誤解によって伊東の粛清が起こるよう仕向けた張本人達である可能性を、

 

 そして起こってしまった歴史を。

 

 冬乃は絶対に肯定などできない。

 藤堂に、新選組と伊東達は訣別してそれきりとしか伝えられなかったように、この先も藤堂へ本来の歴史を明かす勇気など、冬乃には到底出ないだろう。

 

 

 「・・本当に伊東先生は大丈夫なんだよね?この先、討幕派が伊東先生を襲ったりし」

 「いいえ!」

 冬乃は懸命に藤堂を遮った。

 

 「私の知るかぎり、これから先の歴史でそのような事はありません・・!」

 

 安堵した藤堂の笑顔を前に、冬乃は、刹那に心奥を突き刺した痛みに必死で耐えた。

 

 

 「あれ、そういえば」

 

 つと。藤堂が首を傾げた。

 

 「冬乃ちゃん、奴らが討幕派だってどうして判ったの?」

 

 (あ・・)

 

 「それが、」

 これは言っても大丈夫・・・

 冬乃は一瞬に思考を巡らし、口を開く。

 

 「坂本龍馬のことも狙っているようだったので・・」

 

 「坂本龍馬って、土佐の??」

 「はい」

 

 藤堂の瞳が大きく見開かれ。

 

 「・・坂本は討幕も辞さないとその筋からは聞いてたけど、そっか・・“歴史” では、そうじゃないんだ?」

 

 冬乃は、

 藤堂を見据え。しっかりと頷いてみせた。

 

 「きっと大政奉還が実現するか分からなかった頃は、そうだったかもしれません。でも今は」

 

 「伊東先生と同じ志、ってことなんだね・・!」

 藤堂の期待を籠めたような双眸が、まっすぐに冬乃を見つめた。

 

 はい、と冬乃は胸に燻るままの哀痛を押し遣り、返す。

 

 藤堂が沖田を再び向いた。

 

 「沖田、土方さんにこれも伝えて。伊東先生が近いうち、朝廷への建白書を近藤さんにもぜひみてほしいと言ってたって。だから会う準備を始めておいてほしいんだ」

 

 「了解した」

 冬乃が再び横に見上げた先、沖田のひどくほっとしているような表情が、そこにはあった。

 

 

 (あ・・・)

 

 もしかして沖田は、

 藤堂が新選組を出て行ったあの日、冬乃の話から、歴史通りであれば新選組が“敵方に寝返った” 伊東達を粛清する未来が待っている事まで、はっきり判ってしまったのではないか。

 

 (それならさっきの反応も・・それで)

 

 寝返った伊東が近藤の暗殺を企てている、

 それを近藤達が真と結論づけるに至った何らかの原因も討幕派の謀り事であった可能性まで含めて、

 

 その致命的な結論がゆえに、伊東達の粛清という信じ難い結末へ辿ったのだと。得心が行ったからだろう。

 

 そして今、

 その結論が、確かに誤りで。

 伊東の志は新選組に反してゆくことは無いと。

 

 冬乃も確信し深く安堵したように、沖田も同じ心境に違いない。

 

 大政奉還を経て過渡期を迎えた今に至るまで、一番近くで伊東の志をみてきた藤堂が、伊東の裏切りなどありえないと断言したことで。

 

 

 (・・・違・・う、)

 

 きっと沖田は、冬乃以上に安堵しているはずだ。

 

 この先の誤解と粛清を防げば、

 藤堂は生きて、いつか無事に新選組に戻って来られるものと。

 

 

 (・・総司さん、・・ごめんなさい・・・)

 

 それだけは防げないことを、冬乃が沖田へ打ち明ける時が来るのか、冬乃には未だ分からなかった。

 

 本当は藤堂を喪う日が来てしまう前に、先に沖田には伝えなくてはならない事なのではないか。そう感じていても。

 

 (だけど)

 どんなに抗ったところで防げないその事だけは、

 知らずに済むのなら知らないままでいたほうが。その時その瞬間まではせめて、苦しまずにいられるのではないか。

 そう思っては、切り出せずに。

 

 

 「じゃ、帰ろうか」

 

 つと呟かれた沖田の台詞に、冬乃は引き戻されるように目を瞬かせた。

 

 「そしたら俺、先に出るよ」

 藤堂が声を挙げ。

 「帰りに俺たちが一緒に居るところ、誰かに見られないほうがいいでしょ」

 

 「あー、宿の主人には、間男に妓を取られたみたいな雰囲気出してしょんぼり帰るから。ここで別れよ」

 続けて肩を竦めてみせる藤堂に、

 沖田が微笑う横で、冬乃は瞠目する。

 

 「じゃあまたね!」

 

 (あ)

 「どうか、お気をつけてお帰りください」

 「気をつけて帰れよ」


 冬乃と沖田の声が重なって。

 

 「うん」

 藤堂はにっこり微笑むと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 襖を開けて出てゆく藤堂の背を寂しそうに見送る冬乃を、沖田は横に見下ろしながら内心溜息をついた。

 

 安全な、己の目の届く処にずっと彼女を閉じ込めてしまいたいと。今日ほど、そう思った日は無い。

 

 

 あの時、道を来る沖田を見留めるなりすぐさま浪士達へ抜刀した藤堂から、冬乃が人質になっていると聞き、

 共に浪士達を片付け、藤堂と路地を急ぎながら、

 

 冬乃をこの目に捉えるまで生きた心地がしなかった。

 などと、わざわざ彼女に打ち明けるような事でもないが、

 

 もし今日己が、奇跡的ともいえる偶然にも冬乃を迎えに来ていなかったならば、

 冬乃はどうなっていたのか。想像したくもない事態が、起こり得ていてもおかしくはなかっただろう。

 

 「・・・冬乃」

 

 

 沖田の零した声音に驚いた黒曜の瞳が、沖田を見上げた。

 

 「伊東さんの件は・・いや、この件に限らず。もうこれからは」

 

 沖田の言おうとする言葉を察したかのように、冬乃の瞳が大きく見開かれる。

 

 沖田は、一呼吸おき。そんな冬乃を見据えた。

 

 「冬乃は一切動かず、俺達に全て預けてほしい」

 

 「・・同じことを」

 冬乃が、やはり察していたかのように弱く微笑んだ。

 

 「藤堂様にも念押しされてしまいました。ですが、私にもできることはしたいのです。私はこれから先なにもしないでいるなんて、」

 「冬乃」

 

 「・・頼む」

 

 絞り出した己の声の重さに。

 

 受けた冬乃ははっとした様子で、沖田を見返してきた。










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