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49.



 (総司さん!!)

 

 「どういうことだ!?」

 

 「くそっ、どうする!?」

 

 急速に、冬乃を包み出した強烈な安堵感で、冬乃はおもわず脱力した。

 

 「ひ、怯むな!奴は一人だ!」

 「だが・・っ」

 一方の冬乃の周りの浪士達は、恐怖と不安を露わに激しく緊張してゆく。

 

 

 「其処で何をしている」

 

 そうこうするうち、未だ道の向こうから、

 鋭い威圧的な声音が向かってきた。

 

 「往来の邪魔だ」

 

 (え?)

 

 けど。そのまるでただ通りかかったかの台詞に、冬乃は目を瞬かせ。

 

 傍らでは、慌てきった浪士達が、いずれも手にさげたままだった刀を咄嗟にばらばらと沖田に対して構えだし、

 冬乃ははっとして駕籠のほうへと寄り、息を凝らせば。

 

 「・・大層な出迎えだな」

 

 懐手で近くまで歩んできた沖田の、

 ふっと哂った息だけが、静まった路地に落ちた。

 

 

 (たしかに・・。)

 沖田は浪士達に退けとばかりに声をかけただけ、といえばそれだけで。

 そこへ浪士達のほうはいきなり抜き身を構え出したのだから、

 抜き身を手にさげているだけでも怪しいのに、これではあまりにも不審すぎる反応であり。

 

 その事に漸く気が付いたのか浪士達は、今さら後戻りもできず狼狽えた顔を互いに見合わせたのち、構えたままじりじりと沖田から距離を取りだした。

 

 「き、貴様は新選組の沖田だろう、何故ここに・・!」

 「そうだっ、わしらに何か用なのか!」

 

 「天下の往来だ」

 居て悪いか。とばかりにすげなく返す沖田に、そんな浪士達は更に戸惑った顔になる。

 

 よほど、

 いま沖田が来た道から確実に見えたはずの彼らの仲間とは、何かやりとりがあったのか、まして何かしたのか、なにより藤堂に事情を聞いて来たのか、知りたくて仕方がないのだろうけれど、

 

 それを聞けるはずもない浪士達は、震える剣を只々、握り締め。

 

 

 それにしてもこの怯え様。

 沖田の雷名が敵方に最早どれほど轟きわたっているのか、手に取るようだと。冬乃は目を丸くする。

 

 「大体、俺が新選組だと判った上でそうして刀を向けてくるとは、何か良からぬ事でも企んでいたのだろう」

 

 もはや憐れなほど浪士達が狼狽えた時。

 

 沖田の視線が、冬乃を一瞬だけ捉え。

 (あ)

 

 「そこの妓は、」

 

 浪士達は更にびくりと身構えた。

 

 「おまえ達の知り合いではなさそうだな」

 

 

 (そっか・・!)

 彼らは、冬乃と沖田の関係を知るはずもない。

 

 藤堂の妓かと確認してきたくらいだ。尤も彼らに、藤堂と沖田が新選組での元同僚である認識は当然あるわけだから、冬乃と沖田も顔見知り、ぐらいは想像し得るだろう。

 

 だがそれさえ、否定すべく。沖田は今、まるで冬乃を初見のように振舞っている。

 

 藤堂に対してそうだったように、下手をすれば冬乃はこの場で沖田に対しても人質になりかねない。

 だからこそ、ほんの僅かだろうと浪士達に有利な材料を与えぬ為、完全な赤の他人を装っているのだと。冬乃は理解して。

 

 

 「その妓を拐かすつもりだったのか」

 

 浪士達が取った距離の分ゆっくりと近づいてきながら、沖田の尋問は続く。

 

 いわゆる未来の世でいうところの、職務質問である。

 先の大政奉還で幕府が形式上は消失したとはいえ、この時期まだ朝廷からの委任を受けて実質、幕府の統治下も同然であり。新選組も変わらず市中警固を続けている。

 

 土台、二百六十年もの間続いた体制が昨日今日で突然人々の意識から消え失せるわけがない事は、

 いかに討幕を志す彼らにとて同じで。ついこの前までその体制側の新選組を見るなり逃げ隠れしていた感覚から抜け出せているはずもなかった。

 

 「ま、まさか」

 しかもその新選組の、

 よりによって一番隊組長が、いま目の前に居るのである。

 

 「なら駕籠かき達は何処に居る」

 

 遂に答えに窮した様子で、男達は強張った顔を再び見合わせた。

 

 「逃げたのだろう?つまりその駕籠は、その妓が乗っていた。それをおまえ達が駕籠を襲って止めたと見るが自然だろう」

 

 (総司さん、刑事みたい・・!)

 

 沖田が来てくれた時点で既に安心しきっている冬乃は、そんな感想まで胸に懐いてほっこりしているけれど、

 浪士達のほうはもう、たまったものではないだろう。

 

 一刻も早くこの場を逃げ出したい様子が、冬乃にもひしひしと伝わってきていた。

 

 「誤解だ!わしらはこの妓が駕籠を止めている所に、たまたま通りかかっただけだ!」

 

 (・・・なにその嘘)

 

 彼らの中で先程からよく発言しているこの男は、首領格なのか単に口達者だから代表してるのか不明だが、

 冬乃は呆れて文句を言いたくなるところを抑え。今のうちに男達から距離を取るべく、駕籠づたいに後退ることにした。

 

 冬乃の動きには男達の数人がすぐに気が付いたが、たまたま通りかかったと言った以上、もう冬乃の動きを見過ごすしかないのだから。

 

 

 だけど。

 

 「やましいことは何も無いだと?」

 「そっそうだ!」

 

 時間の問題かもしれない。

 窮鼠猫を噛む、のは。

 

 人数だけでいえば浪士達のほうが、ずっと有利なのだから。

 

 第一、沖田も、彼らを見逃しはしまい。

 

 「慌てて刀を向けておいてそのような言い逃れが、通じるとでも思うのか」

 「っ・・!」

 

 冬乃はできるだけ浪士達から距離を取りながら、手の内の簪を確かめるように握り直す。

 

 沖田が本当に向こうから偶然歩んできたはずがなく。藤堂が来ないという事は、藤堂の人質となっている冬乃の安全の為に、沖田へ託したからこそなはず。

 

 沖田が如何して丁度良く藤堂に会ったのかは、冬乃にも分からないけども。

 

 ともかくもきっと、藤堂を追っていた彼らの仲間は、今ごろ地に斃れていることだろう。

 

 そして、今ここにいる彼らも、

 

 「詳しい話を訊かせてもらう」

 

 

 もう間もなく。

 

 

 「屯所へ同行願おう」

 

 

 

 (あ・・!)

 窮鼠、いずれも抵抗に転じた。

 

 ――一斉に、沖田へと斬りかかってゆく浪士達を

 沖田が抜き打ちで薙ぎ払った一閃の、

 

 残像を。次には冬乃の瞳が映して。

 

 

 朱の飛沫の中を、仰向けた四人が声も無く倒れ込んでゆく。

 

 その背後の列では、残る三人が剣を振り被ったまま仲間の血を浴びながら、今しがた一瞬にして眼前で何が起こったのか、

 

 受け止められずに。硬直し。

 

 

 チャキリ、と鍔の鳴る音に、三人も冬乃もはっと我に返った。

 

 「縄か死か。選べ」

 

 沖田の刀の切先が、中央の男の喉元に真っ直ぐ当てられ。

 

 息を殺した男の、左右で、

 「両方御免だ・・!」

 残る二人が叫んだ。

 

 「この妓を連れて逃げてやるさっ・・!」

 そのまま冬乃に向かってきて、急いで冬乃が簪を構えた時、

 

 「それ以上動けば、こいつが先に死ぬだけだ」

 喉の切先が僅かな一寸を突いたのか、沖田の前で男の呻き声が続き。

 

 冬乃に迫っていた二人が、再び硬直した。

 

 「い・・、いいのか!?」

 だが間もなく、一人が冬乃へと刀を振り被り。

 

 「貴様がそいつを殺せば、この妓を即時に斬り刻む・・!」

 

 「そ、そうだっ!この妓は藤堂の馴染みだぞ!」

 続く男が喚き出した。

 「貴様にも情けがあるなら藤堂の妓を見殺しにはしまい!」

 

 「妓を盾にしといて何が情けだ」

 「っ・・!」

 

 「それから、」

 

 (あ・・)

 つと沖田が二度目に冬乃と目を合わせてきて。

 

 「そっちは“縄” だ」

 

 

 刹那、

 沖田の左手に鞘ごと抜かれた長脇差が、

 

 冬乃へと向かって、投げ渡され。

 

 パシッと、咄嗟に受け取った冬乃の両掌で音が鳴るとともに、

 冬乃は抜き払った。

 

 からん、と冬乃の落とした簪が足元で跳ね。

 

 「・・・え」

 

 一連の躍動に瞠目する男達の、

 冬乃の前に居るほうの喉元へと、同じく冬乃も切先を向ける。

 

 「そうです。おとなしく縄についてください」

 

 

 二人が、

 「こ、・・の・・!」

 一瞬の放心ののち、我にかえったように冬乃へと討ち降ろしてきた、

 

 よりも前、

 冬乃は今や得意ともいえる逆袈裟を繰り出して、彼らの腕を下から斬り上げた。

 

 「うぁあああ!!」

 浅い傷とはいえ痛みに悲鳴をあげながら男達が、次々に刀を手から零しかけるを、

 待つ間も無く、沖田に背から峰打ちで打たれた彼らはそのまま失神し、未だ刀を半分握ったまま地に倒れ込んだ。

 

 見れば沖田の前に居た男も、とうに失神した様子で地に伏している。

 

 「有難う」

 

 冬乃の目の前まで来た沖田の、穏やかな声に冬乃はどきりと顔を上げた。

 

 「冬乃のお手柄だ。これで話も聞き出せる」

 (あ・・)

 「今回も見事な剣だったよ」

 

 まるで“援け合って” 闘ったのだと、

 再びそう言ってくれていることに、冬乃は思わず破顔した。

 

 「こちらこそ、助けに来ていただいて有難うございます」

 冬乃は長脇差を納め、両手で沖田へ渡す。

 

 「ああ・・」

 それなら、

 と長脇差を受け取り腰に差しながら沖田が溜息をついた。

 「冬乃を迎えに来たら、茶屋の手前で藤堂が浪士達ともめてた」

 

 (あ)

 「迎えに来て良かったよ。虫の知らせだったか」

 

 するとやはり沖田は藤堂に加勢した後、藤堂から託されて冬乃を助けに来てくれたのだ。

 

 (やっぱり援け合って闘ってなんて・・全然ないのに)

 

 沖田が地の三人を縛り出す横で、簪を大切に拾い上げながら冬乃は、小さく息を吐いた。

 

 

 お手柄と言ってくれたこの捕縛にしたって、そうで。

 先の四人を抜き討った直後に沖田は、放心した残りの三人に生じたその隙を狙わなかった。

 相手が戦意を喪失した段階で、可能な限り殺すことなく捕らえるほうへと切り替える。沖田は新選組としてそのように動いた迄。

 

 言うなれば今この三人が事実お縄になっていても、沖田の采配であって、冬乃がどうこうした結果ではなく。

 

 大体、彼らは既に沖田の間合いの内に居た。

 

 つまり、あのとき男達が沖田からの降伏するか否かの問いかけに対して仮に『死』を選び、再び沖田に向かっていたとしても、

 まして冬乃が刀を受け取るよりも前に冬乃へ斬りかかっていたとしても。どちらにせよ彼らの刀は冬乃に掠ることすら無かっただろう。

 

 

 結局今回もまた、本当のところは“援け合って” ではないけれど、

 沖田は冬乃をいつものように労ってくれているのだと。

 

 「ありがとうございます・・」

 おもわず冬乃は頭を下げた。

 

 

 だから。と立ち上がった沖田が微笑った。

 「それは俺の台詞」

 

 「でも・・」

 「冬乃の剣になら安心していられた」

 

 

 冬乃は今度こそ、溢れ出る嬉しさで大きく破顔してしまい。

 

 そんな冬乃へ伸ばされた腕に、次には抱き寄せられた。

 

 「そして・・御免」

 (え?)

 ぎゅうと冬乃を抱き締める腕が強まり。

 

 「藤堂には、置屋で会わせるべきだった。前回のように」

 

 冬乃は驚いて顔を擡げた。

 「・・ですが、それは」

 

 今回置屋の部屋を借りなかったのは、前回と違って込み入ることになる話を置屋に居る抱えの遊女たちに聞かれてしまわないためだ。

 

 「おもえば多少の無理を言っても人払いしてもらうぐらい出来た」

 「そんな・・今回の事なんて、」

 

 事態は、

 藤堂達の屯所を避けて会うことで、新選組と関わりのある冬乃を万一にも覚えられないようにする・・云々どころでは無くなっているのだ。

 

 「初めに想像できたはずがありませんし・・っ、だってこの人達は伊東様を、」

 はっと冬乃は息を呑んだ。

 

 「総司さんっ、この人達が話してた事、藤堂様にも早くお伝えしなくては・・!」

 

 

 「何を聞いたの」

 

 酷く焦りだした冬乃を見下ろして沖田が、落ち着かせるかのように冬乃の片頬をその手に包んできた。

 

 「殺そうと・・してたんです、伊東様を・・っ」

 「理由は」

 「伊東様のご活動を、阻止するため・・」

 

 「わかった、」

 冬乃の震える頬を尚も心配そうに包みこんだまま、沖田がまっすぐに冬乃の瞳を見返した。

 「藤堂が戻ったら茶屋で話そう」

 

 「はい・・」

 冬乃は幾分ほっとして、小さく頷く。

 

 (て、藤堂様が戻ったら?)

 

 「藤堂が番所の者を呼びに行ってる。そろそろ此処に来る頃合いだ」

 

 冬乃は今度は驚いて目を瞬かせていた。

 「では藤堂様はこの場所をお分かりに・・?」

 

 「実はね、」

 沖田が先程来た道のほうへ視線を遣る。

 「先刻あの角を曲がる手前までは、藤堂も冬乃の様子を確認しに一緒に来てた」

 

 (そうだったんだ・・)

 沖田の腕のなか、吹き付ける風から今は守られながら、冬乃が寒々とした道の向こうを同じく見遣った時。


 「来たか」

 沖田が冬乃をそっと離し。

 

 その通りに、まもなく角を曲がって藤堂と役人達が駆けてきた。

 

 「冬乃ちゃんごめんね、俺が奴らに気づかなかったばっかりに・・!」

 目の前に来るなり開口一番謝ってきた藤堂に、冬乃は慌てて首を振る。

 

 冬乃だって、置屋から乗ってきた駕籠を一本道の手前で降りた後、背後なら見渡して怪しい者はとくに見留めなかったのだ。

 よほど彼らは、巧く人波へ身を潜めて来たに違いない。

 

 

 「藤堂、冬乃から伊東さんの事で話がある。この後、茶屋へ戻ろう」

 「え・・三人で?」

 

 (・・・あ。)

 そういえば、出合茶屋の主人にはやはり顔を見られはしなかったけども、

 それでも先刻の男女とおぼしき同じ服装の二人が戻ってきたうえに、今度はもう一名男性が追加ともなれば、いろいろおかしい・・気がする。

 

 「仕方ないだろ」

 沖田が事もなげに微笑った。


 そうこうするうち、藤堂が番所の役人を通してさらに新選組にも知らせをいれていたのだろう、

 役人達が四人の骸ろを戸板に乗せ終わり筵をかけてゆく頃には、新選組の隊士達も駆け込んできた。

 

 沖田から指示を受けた隊士達に、失神していた男達が叩き起こされるや否や蒼ざめた顔で屯所へと連行され出すのを、冬乃はそっと沖田の背後から見つめ。

 

 その先の角からは入れ替わるように、更に数人の役人が筵のかけられた戸板を運んで来る。

 茶屋の方向から運ばれてきたということは、藤堂のほうへ行っていた浪士達なのだろう。

 

 

 冬乃は、

 もう何人もの血塗れの骸ろを、そしてその死の瞬間を、此処の世に来てから見てきた。慣れてしまったのだと、

 心の隅で何も感じないように努めながらも今また気づかされる想いで、並べられてゆく彼らからつい目を逸らした。

 

 これが当たり前な光景の、幕末の世。

 まして日ごと更に。討幕派はこの先も諦めることはないのだから。

 

 そして歴史の波は、最後には日本を分断する戦さへと向かっていってしまう。

 

 こんな世に終止符を打つために、これ以上血を流さない終結のために、

 いま伊東や龍馬が懸命に活動しているというのに。こののち彼らを喪うことにならなければ、彼らの活動がもっと数多へ拡がる時の猶予があったならば、

 この先の歴史の波は或いはゆく先を変えて、多くの命が救われた可能性だってあったはず。

 

 

 (だけど、変えることはできない・・)

 

 冬乃は常の無力感に打ちひしがれる。

 

 伊東がいま討幕派に命を狙われていることを藤堂に伝えて警戒したところで、

 伊東の死そのものを、そして藤堂の死をも。回避するすべはない。

 

 きっと叶っても唯、

 彼らの道半ばの功績をまるで無に帰して“只の仲間の裏切者” として喪う、そんな歴史をなぞることだけはないように、

 導く迄で。

 

 

 (それでも・・絶対に、それだけは)







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