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47.





 「冬乃ちゃん」

 冬乃の姿を見るなり。

 

 藤堂がそれは嬉しそうに破顔した。

 

 「今ね、先生がかつてないほど張り切ってらっしゃるんだ」

 

 冬乃からの呼び出しの訳を、当然のように分かっている様子で。

 

 

 「大政奉還がなされてからさ、これまで先生がご胸中に温めていた具体的な新体制案を次々とまとめてらして、俺、建白書を拝見したけど、そのどれもが素晴らしいんだよ・・!」


 

 小声ながらも藤堂の興奮する声音に、道の向こうを駆ける犬の親子がこちらを一瞬見やって、

 

 この待ち合わせ場所は人通りのない裏手の小路とはいえ、冬乃はおもわず周囲を見渡す。

 

 

 今日、漸く出かけられる機会を得た冬乃は、

 事前に沖田に相談してあった待ち合わせ方法として、今回も藤堂たちの屯所へ変装して訪問するでは無しに、

 

 島原から御忍びで外出してきた太夫のていを装って、此処、出合茶屋に向かう一本道に藤堂を呼び出したのだった。

 

 

 見渡した冬乃の瞳に、人は映らない。

 このぶんなら、実際にふたりで出合茶屋に入る演出までは、しなくて良さそうだ。

 

 置屋から乗ってきた駕籠を降りてこの一本道へ折れる際に、背後の駕籠かき達に会釈するふりで振り返った時も、誰か怪しそうな人は見なかったし、この一本道をずっと来る間も誰ともすれ違わなかった。

 

 

 とはいえ。初めて武家駕籠以外に乗った冬乃は、いま車酔いならぬ駕籠酔いによる消耗中で、正直このまま立ち話も辛くはあり。

 

 せめてどこか腰かけられる場所はないかと、改めて見渡した冬乃を、

 「冬乃ちゃん?具合悪いの?」

 やはりまもなく気が付いた藤堂が、心配そうに覗き込んできた。

 

 「いえ大丈夫です、すぐ治るとおもいます、」

 

 冬乃は無理やり微笑んでみせた。

 

 「ちょっと想像していた以上に・・駕籠に酔ってしまったみたいで」

 言いながらも続いている嘔吐感に冬乃は閉口する。

 

 しかも先程から、一本道に佇む冬乃たちに強い風が吹きつけていた。

 「あ・・今日は来てくださってありがとうございます」

 と、今更ながら礼をした瞬間も、ひときわ強い風が駆け抜け。

 

 冬のこんな冷風は、酔いは酔いでも酒酔い時になら気持ちいいのかもしれないけれど、駕籠酔いの冬乃には酷なだけ。

 

 「そんな蒼い顔して・・本当に大丈夫なの・・?」

 

 身震いしながら顔を上げた冬乃を、藤堂の更なる心配そうな瞳が見つめてきた。

 

 「ただでさえ冷えるし、立ち話にせず茶屋に入ろ」

 「え」

 「もちろん変なことしないから」

 

 苦笑してくる藤堂に、冬乃は慌てて頷いた。

 

 

 

 

 

 

 通された部屋は、いつかに沖田と過ごした、あの部屋と似て。

 中央に幾層もの深紅の布団と、大きな大きな屏風。

 

 対称的に小さな格子窓から薄光が漏れ入る、しっとりとした昼下がりの。

 

 「さて、と」

 

 そんな雰囲気ごと蹴散らすように、

 藤堂がさっさと布団を折りたたむなり部屋の隅へと押しやった。

 

 そのあまりの素早さにあっけにとられる冬乃の前、藤堂は袴を捌いて座ると冬乃も座らせるなり、

 「具合はどう・・?ましになった?」

 いつもの優しい笑顔を向けてきて。

 

 「はい」

 冬乃はつられて微笑んだ。

 「ご心配おかけしてすみませんでした」

 

 先ほど宿の主人の手ですでに火が熾された火鉢を背に、温まってきた冬乃はぺこりと頭を下げる。

 確かに酔いによる気持ち悪さのほうも、おかげで大分治まっていた。

 

 「じゃあ話の続きね」

 ほっとした様子で藤堂が、さっそくそんなふうに切り出した。

 

 「まず、伊東先生と近藤さんが“口論” するような事態なんて、到底ありえないよ」

 

 そう確信を籠めた表情でしっかりと冬乃を見据え、藤堂は断言し。

 

 「一和同心。いま大政奉還を経てその実現を本気でめざしている先生が、近藤さんの思想を汲まないはずがないんだ」

 

 「・・一和同心・・?」

 冬乃は横座りの居ずまいを正しながらも、聞き慣れないその言葉に首を傾げる。

 

 「うん。この国の皆が、争うのではなくて、各々の力を合わせ、志おなじくして国難に当たろうってことだよ」

 

 (あ・・・)

 

 

 「だから、近藤さんと口論するなんて、ありえないんだ。先生なら近藤さんの志にも必ず寄り添おうとする」

 

 

 冬乃も、また。

 今、確信をもって藤堂を見据えていた。

 

 

 (やっぱり心配なんて要らなかった・・)

 

 

 伊東が、

 近藤を裏切ることはない。

 

 周囲によって記録に残されたような近藤に対する敵対的活動は、伊東の真実ではない、

 

 

 彼が、討幕に向かうことはない、と。


 

 

 「・・・お伝えしなくてはならない事があります」



 「え?」

 「口論という言い方をしてきましたが、本当は、・・訣別です」

 

 見開かれる藤堂の目から、逸らさずに、

 「真相は、わかりません」

 懸命に冬乃は勇気を、奮い。

 

 続けてゆく。

 

 「ですが、未来に伝わっている事は」

 

 この先に向かう悲劇を必ず阻止するため、

 今こそきっと藤堂に伝えるべき事を。

 

 

 「伊東様が近藤様を暗殺しようと企てた、と・・・」

 

 

 

 「・・・嘘・・だ・・・!」

 

 

 当然に、

 

 「そんな事は先生が最も嫌う事だよ!それだけは絶対にありえない・・!」

 

 藤堂の憤慨する声が部屋じゅうに轟いだ。

 

 「はい・・私も何かの間違いだと・・」


 「間違いに決まってるよ!どうして、そんな」

 

 

 「わからないんです、ただその後まもなくお二人は訣別してしまいます」

 

 「・・・・訣別・・してからは・・?」

 

 藤堂の瞳に瞬時に奔った不安の色を、

 冬乃は用意していた返答を胸に、まっすぐ見返した。

 

 「程なく」

 そう問われるだろうことは、覚悟していたが為。

 

 「程なくして新選組は、御上の命令で京を去ることが決まって、京に留まった伊東様とはそれきりになります」

 

 

 「・・・・」

 

 

 冬乃は。

 

 嘘は言っていない。

 未来の出来事で嘘を言っても、きっと追及されれば綻びからすぐに気づかれてしまうのがおちで。

 

 これはだから、此処の世に来て冬乃が学んだ躱し方。

 

 嘘ではなく。只、事実を繋ぎ合わせる。

 

 

 伊東が京に留まるのは、嘘ではないから。

 たとえもう生きてでは、なくても。

 

 

 

 「京を去るって・・それきりって、それじゃ伊東先生も、俺も・・二度と新選組に戻れない、という事?」

 

 

 冬乃は、覚悟していたはずが。それでもその問いには涙がこみ上げそうになり、慌てて顔を伏せていた。

 

 (二度と戻れないどころか)

 

 一瞬強く目を瞑り、冬乃は溢れそうな想いごと涙を圧し留める。

 「未来は・・」

 次に言うべき言葉を決め、懸命に顔を上げ。

 

 藤堂も伊東も、まもなく訪れる死を

 避けることだけは叶わなくても


 「未来は、変えられる可能性があります」

 

 誤解されたまま

 仲間と袂を別ったままで

 

 その命を終えることがないように

 

 

 「そのために、お伝えしました・・未来を、変えるために」

 

 「伊東様が暗殺の計画を立てたという『誤解』が、何故起こったのか、それを突き止めたいんです」

 

 間髪入れず続けた冬乃の、

 必死な眼を。藤堂が受け止めるように大きく頷いた。

 

 「俺、探ってみるよ。・・けど」

 

 つと藤堂の瞳が、再び不安げな色を浮かべ。

 

 「冬乃ちゃんは何もしないで」

 

 「え?」

 

 「そんなありえない話がこの先出てくるという事は、伊東先生と近藤さんの内密の協力関係を知る誰かが、関係を壊し敵対させようとして謀った可能性があるでしょ・・その場合、」


 「冬乃ちゃんがそれを食い止めようとして動いてるなんて知ったら、冬乃ちゃんに何かしてこないとも限らない」

 冬乃ちゃんを危険な目に遭わせたくない

 藤堂の縋るような声が追い。


 「それと、この話、沖田たちは聞いてるの?」

 

 「あ、いえ、まだ・・・先に、大政奉還後の伊東様のお考えを確認させていただきたかったんです。その、伊東様がたしかにこの先、近藤様を裏切るはずが無いという事を・・」

 

 「無いよ、絶対に無い」

 改めて藤堂が強く否定する。

 

 「なにより朝廷の元に大樹公も幕府も大名も一和同心の新体制を説こうとしている先生が、近藤さんを裏切るなんて、まして暗殺を企てるなんて、理由からして無いよ」

 

 「はい」

 冬乃は深く頷いてみせる。

 

 「沖田と土方さんに伝えて。俺は斎藤に話して俺らにできること考えるから。もう一度頼むけど冬乃ちゃんは沖田たちに任せて、何もしないでいて」

 

 「はい・・」

 「冬乃ちゃん、」

 

 「約束してくれる?」

 

 冬乃の返答の声が弱いのが気になったのか、藤堂が念を押してきて。

 冬乃は、

 曖昧に頷いてみせた。

 何かこの先、冬乃にもできることがある時はきっと動いてしまう、

 そんな予感を抱え。

 

 「・・・」

 

 いや、藤堂にはお見通しだったのか、

 尚も困ったような表情が続いた。

 

 「もてあます沖田の気持ちが分かるよ・・」

 「え」

 

 「どうしたら約束してくれるの」

 

 「そ・・れは」

 冬乃はもう、俯くしかなく。

 

 「その時が来たら、何もしないでいるなんてできないかもしれません・・でもなるべく何もしないように・・・します・・」

 

 「・・・冬乃ちゃん」


 冬乃は驚いて顔を上げた。

 藤堂の、声音の変化に。

 

 それは強く。

 

 「約束してくれるまで帰さないよ」

 

 意思を籠めた声で。








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