43.
格子窓の外が夕の色へと向かいゆくなか。
「冬乃ちゃん・・どういうことなの、これ」
ひどく狼狽えた顔の藤堂が、やがて女将に案内されて冬乃の待つ部屋へ入ってきた。
(藤堂様・・っ)
久しぶりの藤堂への嬉しさと併せて冬乃はだが、「ええと」咄嗟にこれを何て説明するべきなのか戸惑う。
「今ってその、藤堂さ・・んを、私からもう簡単には訪ねられないので・・」
「・・・」
明らかにあれこれ問いたげな顔が、冬乃を見返してきた。
よほど弁解したいが、沖田の存在について現在彼には口止めされているため、冬乃は何も言えない。
「と、とにかくなんとかして、お会いしたかったんです」
「え」
「藤堂さんどうしてるかなって思ったら・・」
「冬乃ちゃん」
途端、嬉しそうに微笑んでくれた藤堂を前に、やっとこの笑顔に再会できたのだと冬乃も嬉しくなった。
が。
「でもまさかと思うけど身売りしたわけじゃ・・ないんだよね?」
(あた)
「あたりまえです!!」
叫んでしまった冬乃の目に、ほーっと胸を撫でおろす藤堂が映る。
一体どうするとそこまで飛躍するのだ。
「だけどどうやって此処を・・」
首を傾げた藤堂が、きょろきょろと部屋を見回す。
「置屋なんて、よほど女将と親しくなきゃ使えないでしょ」
「それに、」
冬乃の背後の窓から漏れ入る夕の光にか、藤堂は眩しそうに目を細めた。
「そんな恰好してるなんて」
吹き込む風に冬乃の簪が揺れる。
「あ・・これは」
これも沖田に着るように言われたからだとは、冬乃はやはり弁解できず。
「・・俺に会いたかったとか、その恰好で迎えてくれるとか、普通だったら勘違いしそうになるじゃない・・・」
(え)
「沖田!!」
だが突然そう声をあげた藤堂に、冬乃は目を丸くした。
「どうせ居るんだろっ、出てきなよ!」
「バレたか。」
沖田が隣の部屋から襖を開け、おとなしく出てくる。
「久しぶり、藤堂」
あいもかわらず悪びれない沖田に、藤堂がわざとらしく嘆息した。
「久しぶり、じゃないよもう。冬乃ちゃん使って何やってるの!こんなのは監察に任せなよ」
「人聞き悪いな。べつに仕事でおまえを呼び出したわけじゃないよ」
「え、違うの?」
「冬乃が理由言ったろ。おまえに会いたかったと」
「じゃあほんとに・・それだけ?」
視線が向かってきて、冬乃はこくんと頷いた。
「まあ俺も会いたかったし」
沖田が継ぎ足す。
「そうなんだ、」
照れた様子の声が藤堂から零れた。
「俺も冬乃ちゃんにすごく逢いたかった」
「・・俺には?」
沖田の不満そうな声が続く。
「沖田にもついでに会えて嬉しいよっ」
「だから、ついでは余計だ・・」
げんなりと沖田が呟くのを冬乃は目を瞬かせて見ながら、こうして二人が久しぶりに揃って居ることに嬉しさが更にこみ上げる。
(ここに斎藤様も居たら・・)
「斎藤も呼べばよかったな」
同じことを想ったのか、沖田がさらに呟いた。
「でも斎藤じゃ“冬乃太夫” で艶文きても、あんまり気に留めてくれないんじゃないの」
(う)
確かにスルーされかねないと、冬乃は内心唸る。
「じゃあ“総司太夫” で艶文だすか。さすがに何事かと思うだろ」
「・・・オエ」
沖田の太夫の恰好でも想像してしまったのか藤堂が呻いた。
(総司さんが太夫?)
冬乃もおもわず想像して冬乃は冬乃で、想像のなかの厳つい不格好な沖田に笑いそうになり慌てて下を向く。
「それはそうと!冬乃ちゃんが戻ってきてくれててよかった・・!」
藤堂の続けたその言葉に、冬乃はだがすぐ顔を上げた。
「ずっと監察からは、帰郷してて居ないと聞いてたからさ、また冬乃ちゃん未来に帰っちゃってるんだって思ってた」
「はい、でももう、」
冬乃は。
「此処にずっと居られます」
急いで口奔る。
「そっか良かった!」
藤堂が安堵の表情を浮かべ。
「・・あれ。でもどうなってるの?」
けれど、つと再び首を傾げた。
「此処にもうずっと居られるって、前もすでにそんなこと言ってなかったっけ」
「・・それが私はそのつもりだったのですが、未来との行き来を起こす人に呼び戻されてしまいました。もうずっと此処に居させてほしいとお願いはしてあったのですが・・」
冬乃は手に握る汗を感じつつ、慎重に言葉を探す。
「ですがもう一度きちんとお願いして、今度こそはずっと此処の世に永住させてもらえることになったので、もう大丈夫なんです」
「ふうん」
ひと呼吸のち。藤堂は微かに眉間を狭めた。
「でもそんなだったんじゃ、その人の考えひとつでまたどうなるか分からないってことはないの?」
(あ・・)
「大体さ、その人はじゃあ、冬乃ちゃんがお願いしてても無視するほど何かそんなに強制的に行き来させる力を持ってるってわけでしょ。逆に考えれば、いっそのことこれからも行き来させてもらえるようにだってしてもらえたんじゃないの?」
だよね。と藤堂が沖田を見遣って。
「え・・」
瞠目した冬乃の横で、沖田が頷いた。
「ああ。それもあって冬乃に聞いたが、そもそもその人が何の意図で冬乃を行き来させていたのか分からずじまいだったと」
「あ、そうなんだ」
藤堂が溜息をついた。
「理由が分からないままじゃ、自在に行き来させてもらえるのかも分かりようがないか・・」
「あ・・の、なんで行き来ができるようにって・・」
話がつかめないままの冬乃が、戸惑って聞き返すと、
「え?」
むしろ藤堂のほうが驚いた顔をした。
「だって、元の世にご家族が居るんだし、冬乃ちゃんだってずっと行き来が続けられるんだったらそのほうがいいでしょ?」
(・・あ・・・)
「冬乃ちゃんが、あくまで此処の世に永住できるなら、つまり必ず戻って来れるなら、時々また未来へ帰ったって沖田はもう安心して待っていられるんだから」
まあ、
と藤堂は今一度小さく溜息をつき。
「もしもう行き来できなくても、これから永住させてもらえることの許可はもらえたというなら・・それなら冬乃ちゃんのその一番の希望は叶うわけだよね。だったらいいのかな・・」
でも叶うと信じて大丈夫なんだよね?
藤堂が尚も確かめるように、冬乃の双瞳を覗き込んだ。
「本当に、冬乃ちゃんがまた帰されてしまって、・・考えたくもないけど、そのまま戻ってこれなくなるなんて事は絶対に起こらないよね・・?」
冬乃は向けられた藤堂の表情をおもわず息を呑んで見つめた。
それはまるで、あの時“意図” について沖田に聞かれ、彼に垣間見た表情と重なり。
今やっと、あの時の沖田の思いをはっきりと知ることができたかもしれない。冬乃は、咄嗟に隣の沖田を見上げていた。
今回戻ってきた冬乃を優しく迎えてくれたあの時も、
統真の意図を確認してきたあの時も。
彼がその心に思い心配していた事は、
(私がまた帰ってしまって長く居なくなることなんかじゃ、なかった・・・)
いつかは二度と此処の世へ戻って来られなくなる
冬乃にとっては、それは恐らく確実にやってくる未来。
一縷の希望に縋りつきながらも、長くそれを当たり前のように覚悟してきた冬乃にとって、
あくまで一番の不安は、
このさき沖田の命の終焉までの間にまた帰されてしまう事のほうで。
だけど、未来を知らない沖田にとっては違う。
(総司さん、ちゃんと気づけてなくてごめんなさい)
すべては、
冬乃が統真に頼むことでもう冬乃の意思で行き来を制御できるようになったことを、
そうして前回頼んできたから、もう二度と帰らないことを、
沖田に誓ったにもかかわらず。沖田たちから見ればまるで冬乃のその希望など無視されて再び帰されてしまったが為。
藤堂が言ったように、それならいつかまた冬乃の意思に反して帰されて、そのままもう永久に戻って来られなくなってしまう、
そんな結果になる可能性をも危惧させてしまったのだと。
(藤堂様、教えてくださって・・有難うございます・・)
藤堂が今回そのつもりで話してきたわけではなくても、今回も彼は沖田の思いを代弁してくれたようなもの。
冬乃は未来を知るがゆえに言葉を選ばなくてはならず、あまり思う事を口にはしないでいるが、
おもえば沖田も、そうなのだ。
よく冗談ばかり言って周囲を笑わせて、一見、無口の形容とは程遠い彼だが、反してその心の内を語らない事も多い。
千代の看病の時だってそうだったではないか。藤堂が敢えて話してくれたからこそ冬乃は、沖田の思いをはっきりと知ることができた。
冬乃と沖田の関係は、
沖田にとって、冬乃が此の世に永住するからこそ始まった。
だから。冬乃はあの時、咄嗟に口にした。
此処に永住させてもらえるように
その願いを今度こそしっかり受け止めてもらえた
そんな祈りを籠めた、嘘を。
沖田の思いをはっきり分かっていたわけでは無くても、
それでもその答えが沖田を一番安心させられる、そんな感がして。
正しかったと言えるのだろう。
冬乃の想像していた以上にきっと、その返答は、あのとき沖田の胸内の懸念を拭い去れていたのではないか。
「・・もう大丈夫です、万一また返されても必ず、戻ってこれて」
今一度冬乃は、するべき返答を胸に、想いに力を籠め。
二人をしっかりと見据えた。
「此処に、永住できます」
二人の表情に再び灯った確かな安堵を目に。
冬乃もまた、そっと息をついた。
「・・あ。そうだ」
程なくして、
「ついこのまえ原田さん見かけたんだけどさ、」
藤堂が話題を変えて話し始めた。
久しぶりで話の種なら山積みなのか、そのまま饒舌に語り出す藤堂に耳を傾けながら冬乃は、
自身の本当の行く末へ、
なによりもあと残り僅かな藤堂の命の刻限へと、
意識が向かわぬように。
懸命に踏み止まり。
彼の大きな笑顔を前にすれば常以上にこみ上げてくる数多の想いへ、冬乃はそれから、ずっと抗い続けた。




