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37.



 冬乃は仕方なしにそれだけ言うと、ひとつ大きく息を吸ってもう一度統真を見上げた。

 

 

 当然ひどく驚いている様子の統真が、冬乃の懸命な眼差しを見つめ返してきて。

 それでも。

 

 「お願いは・・」

 冬乃は声を押し出すように、続けた。

 

 「次にまた私が昏睡したら、三日・・いえ、せめて一週間は、私を起こさないでほしいんです。つまりその間は私から離れていて・・いただきたいんです・・・」

 

 

 「その夢の中の人と別れてきたら、もう昏睡することはなくそれで最後になると、そのために長い日数が必要だと、考えているんだね?」

 

 「はい・・っ」

 あいかわらずの荒唐無稽な話だというのに。前回のように統真は、冬乃に合わせてくれたようだった。

 

 声を聞かなくても近づいただけで覚醒から目覚めるという冬乃の主張からして、そもそも荒唐無稽な話だろうけども。

 

 「俺の声・・存在が、確かに貴女の覚醒を援けるのだとすれば、」

 それでもやはりそこも冬乃に合わせて言い直してくれる統真を見上げながら、冬乃は彼の返事を待つ。

 

 「貴女の望む一週間は、来ないようにするよ」

 

 (あ・・)

 

 「ただし、」

 

 承諾の返事におもわず目を輝かせた冬乃を、統真は注意深く制した。

 

 「もしその間に貴女の容態が悪化するなど、何らかの緊急事態が起こった場合にはこの限りではない事も、分かっていてほしい」

 

 「はい」

 とさすがに答えるしかなく。冬乃はそんな事態がないことを祈りながら、それでもひとまずの安堵に胸を撫でおろした。

 

 (・・・お願いします)

 統真の――沖田の、魂へと。そのまま冬乃は語りかける。

 

 この声は、きっと届いているはずだから。

 

 (どうか、叶えてください・・・)

 

 

 「貴女のお母さんには、その夢を見ていることは話した?」

 質問にはっと冬乃は、統真へと焦点を戻した。

 

 「いえ・・」

 

 「これからもしまた昏睡すれば今度は長くなる可能性がある以上、話だけでもしておいたほうがいいね」

 

 冬乃は統真の理解のある台詞に心底感謝して、大きく頷いた。

 

 「俺から話しておいてあげようか。少し精神医学的な観点から・・そのほうがまだ安心してもらえるかもしれない」

 (え)

 「そうしていただけるならぜひお願いします・・!」

 

 もはや腰からお辞儀してしまいながらも、冬乃は目を瞬かせる。

 (どんなふうに話してくれるんだろう?)

 

 「・・あいかわらず貴女には、他にさしたる思考の乱れがみられないので、」

 どきりとして顔を擡げる冬乃の瞳に、どこか苦笑ぎみの統真が映った。

 

 「その夢に関する貴女のこれまでの言動は、覚醒直後の錯乱状態とは全く関係なしに、本気で貴女がその夢と一連の病状との関連を信じているからこその言動だと、そう思えてきたから、」

 「そうなんですっ」

 

 冬乃はつい遮って、大慌てで頭を下げていた。

 

 「ごめんなさい・・!本当はちゃんと、おかしな事を言ってるのは自覚してました、でも、仰るとおりどうしても必要な事だったんです・・!」

 

 「それはいいよ」

 あのとき錯乱症状のふりをして薬を用意させてしまったというのに、

 統真は怒っている様子もなく頷いて。

 

 「貴女が昏睡中に見ているというその夢が、潜在意識の表層化だと仮定すれば・・その夢の中の人に貴女が別れを告げようとしていることは、何らかの課題解決の示唆かもしれない、」

 見開かれる冬乃の瞳を、見守るようにして彼は続けてゆく。

 

 「その別れによってその後は昏睡しなくなると貴女が予感しているなら、その通りになる可能性は大いにあると・・俺も思う」

 

 貴女のお母さんにはそのように伝えてみるよ

 と、統真は締めくくった。

 

 (あ・・)

 「ありがとうございます!」

 再び大きくお辞儀をして冬乃は、深まる安堵におもわず息をつく。

 

 統真がつと、胸のポケットから携帯を半分出して液晶画面を確認すると、またポケットへ戻した。

 バイブの音が続いているので着信中のようだが。

 

 (・・あとでかけ直すのかな?)

 

 一度離れたら次に会う時が冬乃の昏睡に落ちる時だと、それも伝えた方がいいのではないか、

 そんな思いが冬乃の頭によぎった。

 

 けど、それこそ荒唐無稽の極みのような話。

 

 (でも・・・)

 

 行き来のタイミングを間違えるわけにはいかないのだから。

 (言うしかない、か)

 

 「あの」

 バイブの音が止まった頃合いをみて、冬乃は声をかけた。

 

 「信じていただけないかもしれませんが、まだお伝えすることがあります」

 つい居ずまいまで正す冬乃に、統真が何事かと注目してくる。

 

 「さっき私は、統真さんが近くに来ると昏睡から覚めると言いましたが」

 

 冬乃は統真を見つめ返した。

 

 「統真さんが近くに来るときは、昏睡に入るときでもあるんです・・つまりその、交互に起こるんです。

 今回は昏睡から目覚めた後なので、このあと統真さんから離れると、次お会いした瞬間、昏睡に入ることになります・・・」

 

 

 「・・・」

 これまで冬乃に合わせてくれていた統真だが。さすがにどう答えていいか分からなそうに、冬乃の見守る前、彼は困ったような表情をした。

 

 と思ったら、

 「成程ね」

 少し置いて。彼は溜息をついた。

 

 「前回の貴女の言動の理由が、これでやっと全て理解できた気がする」

 

 (え)

 

 「どうりで、俺が去ろうしたら慌てて引き留めたり、次に会った時に倒れると言ったり・・」

 

 (あ・・)

 

 「本当なんだね?俺が近づく時、そうなるというのは」

 

 再び困ったような顔になって確認してくる統真に。

 「はいっ、本当に起こるんです・・!」

 冬乃は懸命に頷いてみせる。

 これは、信じてくれるということなのだろうか。

 

 またはきっと、そのままを信じてくれるわけではなくても、

 『声の周波数説』同様、何かしらの原因から、近づいただけで昏睡したような現象が結果的に起こっていると、

 そんなふうに一旦受け止めてくれたのかもしれないけども。

 どちらにしても、

 

 「俺はこれから出ないといけないけど、次に会うとき貴女が昏睡してしまう可能性を覚悟しておいたほうがよさそうだね」

 そんなふうに完璧に理解を示してくれた統真に。

 

 「はい・・またご迷惑おかけしてしまいますが・・」

 深々と、冬乃はこの短時間でもう何度目かのお辞儀を返し。

 

 (・・あれ、でも今)

 

 出かける、と言わなかった?

 

 耳に残る統真の言葉に、だが次には弾けるように顔を上げていた。

 

 「いつ、お戻りに・・・?」

 縋るような声が喉を出てしまいながら、ハラハラと答えを待つと、

 「今日は戻れないと思うから、明日かな」

 そんな回答が落ちてきた。

 

 (ど、どうしよ)

 

 「少しでも早く昏睡に入らなくてはいけないんです・・っ」

 

 焦りだした冬乃を見下ろし、統真は一瞬黙した。

 

 「・・じゃあ俺はこれから一度、部屋の外に出て、すぐ戻ってくればいいのかな」

 (あ、そうか!)

 「はいっ」

 「・・ただ、それだと可能性として、貴女のお母さんが戻られた時にはもう貴女は昏睡してしまっているわけだよね。お母さんが戻られるのを待って、さっきの話をしてからにする?」

 もう少しくらいならまだ時間はあるから

 そう提案してくれる統真に、

 冬乃は本当のところ母が戻るのを待つ時間すら惜しいだなんてことは、再び燻っている罪悪感と相まって言い出せず。

 

 (・・せめて)

 「また昏睡する前に顔を見せれたらそれで・・私は充分です・・」

 

 なんとか声を圧し出した冬乃に。

 「そう」

 統真がどことなく分かったような声を出した。

 「じゃあ戻られたら、俺はお母さんをお連れしていったん部屋を出るよ」


 「・・はい・・ありがとうございます」

 

 再び携帯を取り出して何やらメールを打ち出す彼から、冬乃は礼とともに目を逸らして。ふと、己の体の状況に気が向かった。

 これまで何度もお辞儀をしたことで、腰のあたりの下着でもずれたのか、妙な違和感をおぼえたからだ。

 

 (・・・ああ、そっか)

 

 おむつをしているのだと。

 次には思い至って、よく見れば服も冬乃の私服ではないことに今さら気がついた。病院が用意したのだろう服に着替えさせられている。

 

 その日のうちに意識が戻った前回は私服のままだったので忘れていたが、

 東京で病室に母が泊まりにきたあの時も、日をまたいで昏睡したからか服が替えられていて腰にはおむつをしていたことまで、思い出し。

 

 (着替え・・)

 やっとボストンバッグの中身に想像が及んだ。

 きっと母がまた冬乃のクローゼットから、適当に選んで持ってきてくれているだろう。

 

 「・・・」

 このあと統真が部屋を出ている短い間に着替えなくてはならないと、冬乃の脳内を思考が巡る。

 (絶対、おむつのままで総司さんの前に戻りたくないし・・っ)

 

 いや、べつにすぐ服を脱ぎ去るような状況になるとは限らないけども。

 

 (でももし見られることなんてあったりしたら・・・)

 厚みといい形といい。

 一体これは未来のフンドシなのかと、訝られるに決まっている。

 

 そこまで思って冬乃が眉間に皺を寄せていると、

 がらりと病室の戸が開けられて、待ち人の母が入ってきた。

 

 「お時間、まだもう少しありますか」

 統真がさっそく母に声を掛けて。

 

 母は少し不思議そうに統真を見返してから、「ええ」と答えた。

 

 「では、戻られたばかりですみませんが、少し私からもお話させてください。・・冬乃さんはそろそろ休んで」

 

 (・・あ)

 統真が目くばせしてきて。冬乃は、母に暫しの別れを言うべきかもと、慌てて母を向いた。


 「お母さん」

 けど何て声を掛ければいいのか。咄嗟には思いつかず。

 「心配しないでね・・私は大丈夫だから」

 月並みな台詞を呟きながら冬乃は、内心溜息をついていた。

 

 (・・・何言ってるんだろ私)

 

 本当のところなんて、自分でもわからないというのに

 

 

 今度こそ最後になる。幕末で、冬乃は沖田の死を見届けて、その後、生きる気力なんてきっと失って此処へ戻ってくるのだろう。

 

 その時、冬乃は踏み留まれるのか。自信が無かった。

 

 統真が、此処には居るというのに。

 つまり沖田から継がれた魂は、きっとすでに此処に居る、いま冬乃のすぐ目の前に。

 

 冬乃が沖田の死後、己も死して追いかけてしまいたいと望む彼の魂ならば、

 もう此処に居るということ、

 

 今度こそ離れたくないと、

 千代から受け継ぐこの魂が渇望してきた、その存在が。

 

 それなのに。

 

 

 (・・だって・・・総司さん・・私は、まだ)

 

 

 貴方じゃなきゃだめで

 

 

 どんなに、目の前の統真が沖田の生まれ変わりであっても。

 まだ人という器を纏うままの冬乃が今も恋い求めてやまない存在は、一寸たりと変わっていない。

 

 

 今この瞬間も冬乃が、『沖田の』魂と片時も離れたくないと求めるは、

 それが『他の誰でもない沖田という肉体と精神に、包まれている』魂だからなのだと。

 

 統真ではなく。冬乃にとってはどうしても、沖田という存在でなくてはならない。

 きっと、冬乃が人の器から抜け出て、まっさらな魂へと戻るその時までは。

 

 

 (・・・それとも)

 

 縁を辿り、世を超え再逢した魂同士ならば、

 

 冬乃という一世限りの肉体と精神などいつか凌駕して、いずれは惹かれ合う時が来るのだろうか。

 

 まだ今の冬乃には、

 こんなにも、沖田しかみえないというのに。

 

 

 

 冬乃は、自嘲に息を吐いた。

 

 肉体と精神という、魂の器の側に、

 こうまで囚われていることに。

 

 これが、文字通り魂がそれに囚われ拘束されているがゆえの、当然の宿命なのだとしても。

 

 

 まるで振り出しに戻ってしまったかのようだった。

 

 平成の此の世に居て未だ沖田に出逢えていなかった頃、

 彼の実体を求めて、苦しんでいたあの頃に。

 

 

 せめて、

 統真が、沖田の記憶だけでも、取り戻したのなら。

 

 (・・・そうしたら、少しは違う・・?)

 

 

 冬乃は。けど次にはおもわず首を振っていた。

 

 此処は、あの僧の話によれば、『元の歴史』の向かう先の未来、

 つまり、もし統真が取り戻したとしてもそれは、『新たな歴史』である冬乃との記憶ではなく、

 『元の歴史』である千代との記憶のほうになるではないか。

 

 

 (・・・あれ、・・でも)

 

 そうではない。

 

 まるで『元の歴史』といま並行して存在するかの『新たな歴史』のほうへと、冬乃を送り込んでいるのは、この目の前の統真の魂、時をも超越する究竟の存在自身なのだから、

 “彼” は、すべてを観ているに決まっているではないか。

 

 なら統真が覚醒する時がもしも来るとしたら、

 統真はその時、両方の記憶を持つことになる、という事ではないのか。

 

 

 (・・・それでも、やっぱり記憶だけでは・・)

 

 人の精神は、記憶だけで成り立つわけではない。

 

 

 (統真さんが総司さんの記憶を全て思い出したとしても、中身が総司さんになるなんて事は無い・・・)

 

 否、なりえてはならないだろう。

 統真には統真の精神があり、彼がこれまで生きてきた軌跡がそこにあるのだから。

 

 

 それとも人として生きてきた事なんて、“覚醒” してしまえば、些細な事となってしまうのだろうか。

 

 (でもそうなっても、きっと統真さんは人の肉体をもっているままで・・・それなのに・・?)

 

 

 そもそも、“覚醒” だなんて事が、起こりうるのかどうかすら。

 究竟の存在だからありえると、冬乃が勝手に想像しているだけで、

 

 実際はどんなにその魂がすべてのことわりを超越する存在だろうと、器はあくまで人なのだ。

 人としての器が耐えられるだけの事しか起こらないとすれば、結局“覚醒” など為されないともいえるのではないか。

 

 

 

 

 冬乃は、母と部屋を出てゆく統真の背を見やった。

 

 

 (・・・もう、・・わからないよ)

 

 何もしなければ決まっている未来があった幕末での世界とは、此処はあまりに違う。

 この先どうなってゆくのか、全てが冬乃にとって未知の状態で。

 

 

 「・・での・・、・・あとは・・」

 

 統真の説明する声が扉の向こうから聞こえてくる中、冬乃はぼんやりと手元を見つめる。

 

 (そうだ、早く)

 着替えなくてはならないと。ふと思い出した。

 

 (・・・て、)

 

 そういえば今の統真との距離は、これで充分なのだろうか。

 近づくべき距離ならばこれまでの経験で想定できるものの、逆の時はどのくらいまでいったん離れなくてはならないのか、おもえば冬乃の経験上にデータは無い。

 (・・・大丈夫なのかな??)

 

 

 「・・です。・・それが・・・」

 

 (と、とりあえず急ごう)

 

 ベッドの端へ両足を出し、冬乃は繋がったままの点滴チューブに絡まりそうになりながらバッグまで手を伸ばした。





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