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33.


 (・・・え・・つまり・・?)

 

 いったいどんな存在なの

 

 

 おもわず、食い入るように僧を見つめた冬乃の、

 そんな無言の問いを聞いたかのように僧は、柔く首を振ってきた。

 

 「その御"存在" を、どう表そうといたしましても到底言葉が足りませぬ。私の拙い言葉でしいてお伝えしようとしますならば・・・その御方はまさに変幻自在な、ときに人の姿をなされながら、されど生死も時も、あらゆる万象をも超越され、」

 

 冬乃のどんどん丸くなる目を、僧が見据えながら続けてゆく。

 

 「それゆえに申し上げました様な驚くべき法力をお使いになられるのです・・いえ、恐らくその御力は最早、法力と呼べる範疇さえ超えたものでございましょう、

 そしてそのような深遠な御力ともなれば、果てしなき"慈悲" に縁るものに他なりませぬ」

 

 僧は恭しく重ねている両手を顔の前へ運び、目を瞑った。

 

 「然るに・・その御存在は"涅槃" の境地に達されながら、衆生の救済がために十方世界の内に留まられた・・」

 

 (ま、まって、"ねはん" って何だっけ)

 話についてゆくのが精一杯で、冬乃は懸命に、以前沖田が数多ある解釈のひとつとして話してくれた事を思い起こす。

 

 (たしか)

 

 浄土が、

 地獄界から天上界までの苦しみを抜けた先、

 肉体を脱して魂で存在する仏の世界

 であるとされるならば、

 

 涅槃とは、その極楽の世すら脱した先、

 

 真に解放された境地をさすのだと。

 

 

 「・・ひとつお話を挟みましょう」

 どうやら再び解説を入れてくれる様子の僧に、冬乃はほっと息をついた。

 

 「まず申し上げます事は、"存在する" ということは無常のことわりから解き放たれてはいない、という事でございます。

 魂をも含め、存在であるかぎり、常にその成り立ちは移ろい、永劫に恒常であることはございませぬ」

 

 (永遠に同じままの存在は無い・・)

 

 ひとつとして一律な舞をみせぬ桜花が、三人のまわりを風にゆだね流れゆくなか、冬乃はひたすら僧の教えに傾聴する。

 

 「極楽浄土は、輪廻というひとつの無常のかたちからは放たれた世でございましても、いうなればそれはひとつの特例であり苦しみの六道に戻らぬ確約がなされた世であるというのみの事・・」

 

 僧は一呼吸を置いた。

 

 「"存在" は無常ゆえ、御魂となられた御仏の住まわれる、即ち、"存在" なさられる浄土の世もまた、無常ということに変わりはございませぬ」

 

 ヒヒン・・と馬が嘶き。沖田が手を伸ばし馬の頭を撫でるのを、見上げながら僧がにっこりと微笑んだ。

 

 「かように極楽の世をも司る、無常のことわりでございますれば」

 その柔らかな微笑みにのせて僧は紡ぐ。

 

 「無常であることそのものは決して苦しみではない証、とも言えましょう」

 

 

 (“無常であること" は苦しみではない)

 

 冬乃は、僧の言葉を咀嚼した。


 (“永遠ではないこと" は苦しみではない・・・?)

 

 「それどころか無常こそが、十方世界を生きる者の救いなのでございます」

 

 (え?)

 

 

 話が逸れてしまいました

 つと僧は呟くと、

 改めて冬乃と沖田へ交互に目を合わせた。

 

 「十方世界を司る無常のことわりを超越することは、浄土におわす御仏でさえ叶いませぬ」

 

 「叶うは唯一、そのことわりの外・・涅槃・・に達せ得ながら、慈悲がため十方世界に留まられた、究竟の御"存在" のみでございます」

 

 

 (究竟・・究極のこと?)

 

 僧の肩先にひとひらの花びらが乗るのを目に、冬乃は先程からずっと胸内を渦巻いている混乱に、

 

 「此の世と元の未来の往来という、いうなれば真の奇跡を叶えられた御方は、そういう御存在なのでございます」

 

 

 遂に。悲鳴をあげた。

 

 

 (統真さんが・・そんな、究極の存在だっていうの・・・?!)



 「そのような御方から貴女様に授けられた、その奇跡の往来は、まぎれもない"慈悲" に縁るおはからいでございましょう」

 

 (・・・でも仮に)

 

 冬乃は声が出せず只々、僧を見つめ返した。

 

 

 (本当に、そうだとしたら)

 

 

 もしも、冬乃が感じ始めているように、統真が沖田の魂を継いだ存在であるとすれば、

 再逢を切望した千代の魂は、その統真と冬乃が出逢えたことで、一世を超えて遂に安らぎを得られたはずだった。

 

 けれど千代の魂は同時に、沖田への深い罪悪感の呵責に喘ぎ、出逢えてなお安らぎとは程遠い苦しみの渦にいた。

 沖田がその一片すら千代を責めてなどいないことを、哀しい程わかっていても。

 

 そして、そんなかたち無き罪は。

 それを生み出す自分自身が手放さないかぎり、消え去ることはない。

 

 

 あのとき母への罪悪感を、冬乃自身で手放したように。

 

 (お千代さんの・・私の)

 魂の呵責を

 拭えるのは。

 

 (私自身でしか、なかった・・・だから)

 


 慈悲

 と僧が表現した、この奇跡は。

 

 

 冬乃が宿命のように背負ってきた数多の罪悪感を

 冬乃自身の手で解放させるために、


 贖罪への祈りに苛まれていた、この千代の魂を

 浄化するために、

 

 

 統真・・沖田によって施された――――救済。

 

 

 

 

 

 

 冬乃は茫然と沖田を見上げた。

 

 

 (私・・お千代さんが、総司さんを救うためではなくて・・・私とお千代さんが救われるための奇跡・・だったの・・・??)

 

 

 

 視線を受けた沖田が、どうしたと微笑んで。

 冬乃はどんな形容でさえも表しきれない、その胸奥から込み上げてくる強烈な情感に圧され、咄嗟に顔を伏せた。

 

 「冬乃?」

 

 

 沖田を千代との運命から引き離す

 

 千代の魂の祈りであり、

 冬乃に課された、その使命は。

 

 

 無き罪への贖罪を請う千代・・冬乃が

 その祈りを叶えて、

 果てなき苦しみから自ら解き放たれるが為に。

 

 他でもない"彼" から、課された使命だった。


 

 統真が、たしかに沖田の二世先の生まれ変わりであるならば。

 

 (総司さん・・)


 だけどいったい、

 千代と天界で再逢しなかった彼の魂は、代わりにどこへ向かい、どれほどの修行に投じたのなら、

 更なる次の世で、千代を救いだせる究竟の存在にまで成りえるというのだろう。

 

 

 冬乃はおもわず沖田に手を伸ばし。

 

 返ってくる硬い温かな肉体の感触、息遣い。

 いま人として沖田が存在している実感に、ほっと息をついてしまって。

 

 

 ますますどうしたのかと覗きこむ沖田へ、冬乃は只々どうしようもなく、手に触れたままの着物をぎゅっと掴む。

 

 

 (・・・きっと)

 

 これが本当なら、

 

 千代と冬乃の魂が救われるための、奇跡だったのなら。


 冬乃の願いもまた、叶うのだろうか。

 

 冬乃は感染してはいなくて、

 沖田の望む最期を見届けられる未来を、迎えることが。

 

 

 

 さわさわと流れる風を頬に、冬乃は目を閉じた。

 

 それでも、沖田の命の長さを変えたい

 その願いのほうはきっと叶わない

 

 漠然と、そんな想いを懐きながら、

 

 「その力は」

 

 返されるであろう答えを覚悟しながら。冬乃は瞼を擡げる。

 

 「歴史を大きく変えることも、できるのでしょうか・・?」

 

 一縷の期待すら持てずに、

 それでも尚、確かめないままではいられず。


 「そして・・人々の死期も」





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