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28.




 どうしても選べない、選んではならない大切な人達の

 身代わりに

 

 己を犠牲にする第三の道を選ぼうとするのなら

 

 その道は

 ただ、逃げ道なのかもしれず


 

 

 

 護りたかったはずの存在に

 深い痛みを遺して

 

 

 救いになど

 まるでならないままで

 

 

 

 

 

 ――――それでも

 

 

 いつの日か

 

 また笑ってくれるようにと

 

 

 

 そんな祈りを籠め――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 庭先を飛び立つ鳥を千代の目が追って、

 冬乃はつられて振り返った。

 

 清らかな鳴き声とともに、鳥が高く高く舞い上がってゆく。

 

 

 晴れた日中には障子を開けていられるほどに、少しずつ春が訪れていた。そそぐ穏やかな陽光は、温かく静かな安らぎをもたらし。

 

 もう千代の瞳が翳ることは無い。

 それどころか床からみえる春の息吹にその瞳を凝らして、ひとつひとつまるで焼き付けるかのように煌めいて、

 

 その瞳の澄んだ光は、冬乃の心を柔く締めつけた。千代が、この世との別れを少しずつ進めているように思えてならずに。

 

 ただ幸いな事には、併せて千代が痛みに苦しむ頻度も格段に減っている事だった。

 それともそれは只、統真の処方の通りに与え続けている薬が鎮痛の強さを増しているからなのかもしれないけども。

 

 

 「・・また明日来ます」

 

 うとうとし始めた千代へ、冬乃は囁くように告げてそっと立ち上がった。

 

 藤堂に咎められた後も、変わらず冬乃は毎日のように千代を見舞っている。

 

 勝手、

 その通りの。冬乃には反論の余地など無い、これは許されない浅はかな愛。

 

 そう思っていても。



 (それでも私は・・・)



 

 

 

 

 

 「おかえり冬乃」

 

 屯所の門をくぐって数歩、想像もしない方向から降ってきた声に、冬乃は驚いて振り返った。

 

 「総司さん・・!?」

 門の横から覗いた馬上の沖田へ、冬乃は見上げた双眸を瞬かせる。

  

 「俺もいま戻ったとこ」

 馬に乗ったまま馬小屋へ行くのだろうか、沖田は降りる様子が無く。冬乃が首を傾げた時、見下ろす眼がつと悪戯っぽく笑った。

 「乗ってく?」

 と。

 

 「え、きゃあ?!」

  

 伸ばされた手に冬乃は。そしてあっさり引き上げられた。

 

 




 背後の沖田に腰を横抱きに抱きかかえられつつ、冬乃はいつもよりずっと位置の高い景色を瞳に映してゆく。

 

 どうにも仲睦まじく見えるのか、あいかわらずすれ違う隊士達はみな恥ずかしげに目を逸らしながら会釈をしてくる。

 冬乃のほうが彼らの数倍は気恥ずかしいはずなのだけど。

 

 そういえば、なぜ沖田は馬で出かけていたのだろう。冬乃はふと気になって振り返った。

 

 「どこか遠出されてたのですか?」

 

 なぜにも沖田は今日久々に夜まで非番だ。仕事の用事ではないはずで。


 「嵐山」

 駆けてきた、と。

 さっくり答えた沖田を、だから冬乃はそのままおもわず見つめてしまった。

 

 季節は初春とはいえ、未だ寒い山の中を馬で駆け回っていた、という事になる。

 「・・・」

 

 延々と道場で稽古していたり、かとおもえば子供の遊び相手をして壬生寺を走り回っていたり、

 どうも非番を冬乃と過ごさない時の沖田の行動は、休みの時はどちらかというと体を休めてゆっくりしたい自分とはまったくの正反対で、冬乃は今なお驚いてしまう。

 

 (・・川で泳いできたコトも一度や二度じゃないし)

 真冬なのに、である。沖田曰く稽古の一環らしい。

 

 幼少から鍛え上げた肉体、培ってきたその体力は、

 過酷な気候の京で一番隊組長としてこれだけ激務を極めていても、

 防壁となって、冬乃の心配していた時期にも沖田は体調を崩す事なく、こうして今年の冬もまた元気に越してくれたのだ。

 

 逆に言えば彼の人並外れた肉体と体力がなければ、新選組の一番隊組長は務まらない。

 

 

 そして。

 

 (そんな鉄壁の体をもってしても・・感染したほどに)

 

 それほどに。決して彼が、千代を辛い夜に独りにさせなかった――証でもあって。

 

 非番の日にずっと傍に居ただろう事なら、想像するまでもなく、

 毎夜、巡察から戻っては再び屯所を出て家へ向かい、夜を通して病と闘う千代に寄り添いながら合間合間に寝んで、朝には凍える寒空の下を屯所へ戻る、

 きっとそんな日々をも続けていたのだと。

 

 それでは睡眠もろくに取れなかったはずなのに。

 

 (・・それほど愛してらしたのですね・・お千代さんのこと本当に、すごく)

 

 だけどそんな日々を長期間にわたって、大量の結核菌に曝され続ければ、どんな人でも感染など防ぎようがない。


 だがそうして体調を崩した時期でさえも、きっと沖田は千代の看病を当然のように続けたのだろう。千代がかつて、己の体調よりも患者を優先したように。

 

 

 冬乃がインフルエンザに罹った時、彼が甲斐甲斐しく看病してくれた日々の事を、昨日のことのように思い出せる。

 

 苦しい病の床にあっても、どうしようもなく冬乃は幸せだった。

 

 きっと千代も、そうだったはずだ。

 

 

 それでも、

 のちの結末をみた千代の魂は、

 千代の想いは。

 

 (一緒に居る幸せを捨てて、総司さんを護るほうを選んだ・・)

 

 

 手に取るように。冬乃にもわかる。

 伝わってくる。

 

 どうしても護りたい、強い想いが。

 

 

 

 「冬乃・・?」

 

 泣きそうな顔になってしまったのか、気づけば驚いたような顔が見下ろしていた。

 

 「あ・・すみません、ちょっと考え事して」

 

 沖田の眼が心配そうに細められ。

 今の冬乃の表情は千代の病状を憂いてのものだと、思ったのかもしれない。

 「お千代さんなら」

 冬乃は慌てた。

 

 「最近は食欲も戻って、痛みを抑える薬も前より効いてくれてて・・」

 

 だから大丈夫とは、

 けど決して導けない。冬乃は結局、襲ってきた無力感に押し黙った。

 

 「・・冬乃は十分によくやってる」

 冬乃を抱く腕が、ふと優しく強められた。

 

 「冬乃が居てくれることでお千代さんは心強いはず」

 

 (総司さん・・)

 

 「同時にお千代さんならばきっと、冬乃が笑っていてくれる事を第一に望んでいるのではないかとも、思う」

 

 「え」

 冬乃の瞳はめいいっぱいに見開かれたに違いない。

 

 冬乃は瞬間、声も忘れて沖田の目を見つめた。


 (その・・言葉・・・)

 

 まさしく千代が、冬乃に言った言葉ではなかったか。

 

 「冬乃には、」

 それだけで泣きたくなるほど優しい眼が、冬乃を見つめ返した。

 

 「その時どちらの選択ともに辛いものになるならば、後に冬乃が少しでも苦しまないほうを選んでほしい」

 

 そうして冬乃が最も望んだ事が

 一番の望み

 

 「俺にとって。・・きっとお千代さんにとっても」

 

 

 そう言った沖田を。

 冬乃は溢れた涙で曇らせた視界に、受けとめ。

 

 頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃は、千代の家に滞在する時間を減らした。

 

 毎日訪ねることだけは変えなかったが、まるでもう様子を見るだけ、食事と薬を届けるだけの、そんな束の間の訪問となり。

 

 だけど千代は、心得たように何も言わなかった。

 只、ひどくほっとした表情でいつも、そんな冬乃を見送って。

 

 

 

 沖田の、最期の時まで傍に居たい

 なにより、

 彼に辛い想いはさせたくない。

 

 その想いが、冬乃の出した結論だった。

 

 一番の望みという名の。

 

 

 藤堂の言葉と、

 

 千代の言葉、

 

 沖田の言葉を。

 

 何度も何度も、冬乃は反芻して、導き出した。

 


 そして

 千代の、この魂が望んでいることが、何かを

 

 突き詰めれば、

 答えは自ずと出て。

 

 

 

 

 

 

 やがて桜が咲き。

 

 満開を迎えた頃、

 

 千代の命日まで、あと一月となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少しばかり前の頃の事。

 

 

 「どうしても行っちまうんだな・・本当に」

 

 原田の涙声が、静まった場に落ちる。

 この場に明るい表情でいるのは、藤堂だけで。

 

 開け放たれた障子の向こうには、穏やかに春の日差し、

 そして西本願寺の桜が咲き誇る。

 

 そんな白昼酒盛りでも始めたいような陽気だというのに、一様に浮かない顔をした者達が、その日、藤堂を囲んでいた。

 

 

 「だからさ、そんな今生の別れみたいに言わないでよ。別動隊に行くだけだってば」

 

 「だけどよぅ・・!」

 「もう、原田さん寂しがりすぎ!」

 「俺もだってのっ」

 「永倉さんまで・・って痛たた!二人していちいち抱きつくなー!」

 

 三人のいつもの戯れに、場は多少なごんだものの。

 部屋の隅で隠れるようにして座る冬乃は、自分が今うまく微笑むことができているのか分からなかった。

 

 

 伊東率いる隊の分離が正式に決まり。その予定日は刻一刻と迫っている。

 

 旅装の藤堂が、部屋に詰めかけていた試衛館仲間を今一度見渡して、ついに小さく肩を竦めた。

 

 「じゃあそろそろ行くからね」

 

 各方面に分離の決定を伝えてまわる役目を負って、藤堂は一足先に立つことになっている。

 

 

 立ち上がった藤堂を皆、名残り惜しげに見上げた。

 

 分離組の隊士は、もう新選組に戻ることは無い。

 統制の乱れを防ぐため、

 また、伊東の九州遊説の際に志士側には意見の相違と伝えてある以上、更に余計な懐疑を生まないためにも、分離後の両組間の移籍は禁じる取り決めを交わしたのだ。

 

 つまり藤堂はもう、この先、皆と寝食を共にすることも、巡察に廻ることも、共に稽古することも無くなる。

 

 

 (・・・藤堂様)

 

 だけど、

 それだけなら、まだ。

 

 現実はもっと、この先に冬乃しか知り得ない未来をも含んで。

 もし全てがうまく運び、藤堂たちが組の裏切者として粛清される未来を回避したとしても、

 藤堂の命の刻限までは残り僅かという、決して変えることの叶わない未来が。

 

 

 それを、

 もしも藤堂が知ったなら。彼の選択は変わっただろうか。

 

 江戸の頃からの仲間たちと共に過ごす最期の日々を、選んだだろうか。

 

 それとも尚、伊東の元で志に従って過ごす最期を選んだのだろうか。

 

 

 いま唯、冬乃にも分かっている確かな事ならば、

 

 藤堂が皆と共に暮らして共に笑っていた、今日までのそんな日常は、

 もう二度と、戻らない事。

 

 

 

 「気を付けて行ってこいよ!」

 「手紙よこせよ!」

 「手紙だすほど長旅するわけじゃないし・・」

 「違えよ、分隊に行った後の話だ!」

 「同じだよ、手紙だすほど遠くに移るわけじゃないんだから」

 「つったって、すぐ隣なわけじゃねえじゃんか!」

 「同じ京でしょ!大体いったん報告に戻ってくるよって言ったじゃん」

 「だったら、戻った後そのままもうどこにも行くなよぅ!!」

 

 「最後まで五月蠅えおめえら!!藤堂、いいからもう行け!!」

 

 恒例の土方の締めの一喝が落ち、藤堂が今度は大きく肩を竦めて部屋を出た。

 皆もぞろぞろと結局その後に続く。

 

 「え、どこまで見送ってくれる気」

 

 「門まで行くに決まってら!」

 原田と永倉が藤堂の肩に腕を回し。

 「歩きづらいよ!」

 すかさず藤堂が抵抗するも。

 

 「おまえはなーもうすこし置いてかれる俺らの寂しい気持ちを察しろよー!」

 原田がそんな藤堂をさらに引き寄せて頬を膨らませる。

 

 「俺だって寂しいし!でも落ち着いたらまた呑みに行く約束してるんだしさ」

 「だからって俺ら、もう表立ってこうやって肩組んで呑み歩けるわけでもねえんだろ?これだけでも寂しいと言わずして何と言う!?」

 「おうよっ、寂しいのなんの」

 永倉が横から同調した。

 「もうおまえの寝顔にいたずら書きすることもできねえんだぞ!?」

 「それ俺、何も寂しくないよね?!」

 

 わーわー喚きながら数珠つなぎのようになって歩いている藤堂たちの背を見つつ、一団の最後尾をゆく冬乃は、

 

 少し向こうを歩む沖田と斎藤が始終無言でいる事に、ふと気づいた。

 

 気になって二人の背を見つめはじめる冬乃の、すぐ前では、あいかわらずの喧しさにか土方が小さく舌打ちする。

 

 いや、土方なりの寂しさの表現なのかもしれない。

 「もうあのやりとりも聞けなくなるんだな・・」

 土方の隣でぽつりと近藤が、そんな土方の代弁をするかのように呟いた。

 

 

 

 

 

 「こっちのことは任せたよ」

 

 前夜に、

 風呂場の先ですれ違った冬乃を呼び留めた藤堂は、そんな言葉で託してきた。

 

 伊東と近藤の仲に、これまで遂にさしたる変化は無く。

 やはり分離した後になって二人がどこかで違えてゆくのだとしたら、

 この先ますます冬乃にとっては、伊東に働きかける機会など得ようもないだろう。

 それは藤堂にとっても、近藤に対し同様で。

 

 ならばこそ。

 

 (近藤様のことは、私が必ず)

 

 「はい」

 

 (だから、伊東様のことは・・)

 

 「どうか宜しくお願いします、藤堂様も」

 

 想いを籠めて冬乃は、藤堂を見つめ返した。

 

 「うん」

 藤堂が頷き。

 

 刹那、冬乃は強く抱き締められた。

 

 瞠目した冬乃を離さないままに藤堂が、

 「おしおき」

 そんな柔らかい声音で微笑うのを、冬乃は耳元で聞いて。

 

 (あ・・)

 

 「藤堂さ、ん」

 

 「今さら言い直しても遅いから」

 

 「・・元気でね」

 直後に続いたその言葉は、

 

 刻一刻と迫る別離に冬乃が堪えてきた涙を、一瞬で溢れさせた。

 

 「藤堂さんも・・・お元気で」

 

 震えそうになる声を懸命に押し出して冬乃は、咄嗟に藤堂の肩越しに空を仰いで。

 

 抑えきれなかった涙が、一すじ冬乃の頬を伝い落ちても、

 きっと気づかれずに済んだほど、

 それから長いあいだ藤堂は冬乃を抱き締め続けていた。







 

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