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26.


  

 

 線香の細い糸けむりが立ち昇る。

 かじかむ手を合わせ、冬乃はそっと目を閉じた。

 

 (山南様)

 

 冬乃の隣で同じく手を合わせる藤堂の、温かく優しい気配。

 

 (藤堂様を、ぜったいに新選組の裏切者で死なせはしません)

 

 祈るように誓い。震えた息を静かに吐いて目を開ければ、くゆるけむりがまるで返事をしてくれたように揺らめいた。

 

 天へと向かうその白霧が、本当に山南の所へ冬乃の想いを届けてくれたらいいと。

 

 「また来年も来ようね」

 

 「・・はい」

 

 冬乃は、藤堂の笑顔を見返して今一度祈る。

 

 もう来年、藤堂と此処へ来ることは決して、叶わなくても。

 

 

 (山南様。どうか、見守っていてください)

 

 

 

 

 

 

 藤堂にはもう少しだけ考える時間をもらい、冬乃は幹部棟の前で別って部屋へと帰ってきた。

 

 伊東が討幕に転じたと、誤解されなければ、悲劇は起こらなくて済むかもしれない。

 誤解されないために、彼の近藤とのやりとりに先回りして気を配ってゆく事。

 冬乃が結論付けたその答えは、

 

 だが言い換えれば、もしも伊東がこの先、万一本当に討幕に転じることとなった場合には、答えには成り得なくなる。

 そしてそのとき彼の弟子である藤堂が、どんな決意をすることになるかも分からない。

 

 まだ藤堂に向かって安易に口にしていい答えではなく。

 

 (あともう少し・・)

 

 伊東が、確かに討幕をめざしたわけでは無かった事を、確信できるまでは。

 

 

 だけどすでに冬乃は、どうしても伊東がそんな黒か白かの解決では無しに、幕府にも反幕府側にも歩み寄る解決を最後までめざしたように思えてならなかった。

 いつかに感じたように、伊東は坂本と境遇上、近いものがあったのではないだろうかと。

 

 そして、だとすれば、その眼が見据えるは大局。

 周囲の親しい者たちですら、いったい何人が伊東の志を完全に理解出来得ていたか。

 

 

 伊東派閥の中核である篠原泰之進や阿部十郎の遺した話には、まるで伊東は佐幕思想の強い近藤を良く思わず、分離の前も後も、近藤の裏をかいて活動していたかのように窺わせるものがある。

 

 (でも・・・)

 

 本当に、そうだったのだろうか。

 篠原たちの話からは、近藤の思想を少々誤解している様子も垣間見れて(またはのちに近藤たちと敵対した彼らは、振り返って記録を残す際に、敢えて敵意の元そのように記したのかもしれない)、冬乃は史料を前に何度となく首をかしげたものだった。

 

 

 当の近藤はといえば、いずれは、幕府擁護一辺倒の姿勢は変更せざるをえなくなる。

 この先の四候会議失敗のち、それでもなお諦めずに幕府専政ではなく雄藩による合議化を平和的にめざした土佐が、

 

 その時は未だ合議化の細かな具体案こそ起草の段階であれ、薩摩長州の激派による武力討幕に向けた動きへの対抗を兼ね、最終的に大政奉還案を打ち出したからで。


 大政奉還とは、幕府体制による統治を廃し、政権を朝廷に返す事。

 

 そしてその案を、幕政の頂点の徳川家自身が受け入れた。そのような経緯で手放された以上、もはや近藤も、受け入れるより他なかっただろう。

 

 そんな近藤が大政奉還後に努めた事は、

 徳川家の強大な権威が結果的に残るを良しとしない考えを、大なり小なり有した雄藩たちへの、牽制と、

 大政奉還後に至ってもなお、武力討幕(正確にいえば武力討"旧" 幕)を画策する動きをみせる長州、そして、不穏な朝廷工作の動きをみせる薩摩らへの、警戒。


 幕府という政体での統治では無くなったとしても、徳川家が依然として政局の中心に在るを求めての事。

 これまで二百六十年にもわたり日本国を統治してきた徳川家を今すぐ排除したところで、国政においては未経験の他者に、いきなり代役が務まるはずがないと。

 

 

 つまり近藤は、

 

 冬乃のこの先の伊東に関する予想が正しければ、旧幕府側と反幕府側双方の歩み寄りをめざし、徳川家を排除せず政局に温存しようとするであろう伊東の構想に、

 

 寄り添える方向へと、ついに向かったはずなのだ。

 

 

 そんな近藤と新選組にとって、つまり大政奉還後は殊更、伊東と分離組が敵対する存在になりえたはずがないのである。

 

 

 伊東への誤解が、生じない限りは。

 

 

 

 (・・・討幕どころか・・たしか永倉様や島田様の回想には、伊東様が近藤様の暗殺を企てたとあったっけ・・)

 

 

 伊東が、本当は近藤をどう思い、

 何を考えて新選組を分離し、どんな国事を志したのか。

 

 周囲によって記録に残されたような敵対的活動は、本当に伊東の真実だったのか。

 

 

 (もしも、そうじゃないなら)

 

 そして、そうじゃないと。確信できれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃がまた難しい顔をして考え込んでいる。

 

 己の腕枕に乗る彼女を見下ろし、だが沖田は少しばかり安堵していた。

 こころなしか、以前のように悲嘆で思い詰めたかの表情とは違い、今の冬乃のそれはどことなく晴れやかに、希望を見出したかの表情にすらみえるのだ。

 

 (いや、むしろ)

 

 強く未来への祈りを、籠めるかのよう。

 

 

 「きっと大丈夫・・・」

 

 ついに無意識に呟き出した彼女に。

 

 「冬乃」

 そして沖田も、ついに声をかけた。

 

 

 はっとした顔になって沖田を見上げてくる冬乃の、長い睫毛が扇ぎ、艶やかな黒曜色の双眸が大きく見開く。

 

 何度見ても可愛らしい、その我に返った時の表情に、沖田は相好を崩しつつ。

 「何か良い事あった?」

 直に聞いてみた。

 

 

 加速する政局の不安定な状況下、昨今ふたたび強化している巡察に、沖田は朝から晩まで屯所を留守にすることが多い。

 寂しそうな冬乃が、それでも唯、ろくに休めていない沖田を心配して、毎晩そっと滋養に富んだ夜食を沖田の部屋に置いていく。

 

 沖田も帰屯後の夜更けに冬乃の部屋を訪ねるのは長く控えていたが、漸く得る久々の休みを前に我慢も限界にきていた昨夜、冬乃の部屋を覗いてみたのだった。

 

 まるで待っていたかのように起きていた愛妻を目にし、自制のぎりぎりのところで健闘し。

 それでも情交の名残なお強く、つい先程までびくとも動かず眠っていた彼女を腕に。今朝に至る。

 

 

 (さて)

 

 冬乃が眠りから覚めて目を開けたと同時に、沖田は冬乃が見上げてくるより前に一瞬目を瞑ったのだが、冬乃のそれと違い、沖田のそんなたぬき寝入りに彼女が気づくことは無い。

 

 今も沖田が声をかけるまで延々と考え込んで、きゅっと眉間に皺を寄せたり、かと思えばぱっと両眉を上げたり、例の百面相を繰り広げていた冬乃に、

 沖田はどうするとこんなにも可愛い生きものが世に存在するのかと、感慨深くさえ思いながら。

 

 「良い事・・ですか」

 びっくりした顔のまま聞いてくる冬乃に、

 「そう、良い事」

 おうむ返して促してみせれば、冬乃のほうは心外そうに再び目を瞬かせた。

 

 「そんなふうに見えました・・?」

 

 「違うの?」

 

 

 「いえ、・・・・・・そうかもしれません」

 

 随分と間延びした返答が、返ってきた。

 

 

 

 

 

 いつのまに起きていたのか、冬乃をその優しい眼差しで見下ろしてくる沖田に、冬乃は頬肉が崩れそうに緩むのを内心懸命に抑える。

 

 漸く、こんな朝を迎えられたのだ。

 もう長い間、沖田は多忙で、顔を合わせることも数えるほどで。

 

 (・・狂っちゃうかと思った)

 

 それも今、沖田は本来の運命でなら千代の看病も同時にしていた時期だ。

 そして、冬乃が想像した通りならば逆算してこの時期、沖田は体調を崩した可能性が高い。

 

 気が気でなかった。

 

 激務で休めていない分せめて栄養たっぷりの食事を摂っていてほしいと、冬乃は連日のように夜食を作って沖田の部屋に置いておいた。

 

 少しはその功もあったのだとしたら嬉しい。今のところ沖田の体調は問題なさそうだった。

 

 (昨夜もあんなに・・・だったし)

 

 

 思い出してしまい頬が一瞬で蒸気した冬乃は、慌てて顔を伏せる。

 

 沖田の言うような良い事といえば、冬乃にとってはまさにそれなのだけど、彼はもちろん別の事を示しているのだろう。

 

 伊東と近藤の事であれこれまた考えていたところを見られていたようだから、冬乃が彼らの件で解決策が出つつある事を、冬乃の様子から感じ取ったのかもしれない。

 

 (良い事・・・だよね。確かに答えとなりえるのなら・・)

 

 

 「近藤様と伊東様が"口論" しなくて済む方法が、もしかしたら見つかりそうなんです」

 

 冬乃は沖田を見上げた。

 

 「・・その時がきたら、総司さんに真っ先に相談させてください」

 

 「有難う」

 彼はそんなふうに返し、冬乃の片頬を撫でた。

 

 「待ってるよ」

 

 

 冬乃は再び沸き起こる歓喜に、染まる頬を微笑ませた。





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