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25.




 儚げに身を縮めたその姿は

 枯れゆくなかにあってなお美しく

 凍てつく風にただ静かに命の火をゆだねていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酒井から、江戸へ夫の法事に向かっていた喜代の、突然の他界を聞いたのは、年の瀬も迫る頃だった。

 

 道中での事故だったという。その地の管轄の役場からの手紙で、江戸の檀那寺へ連絡が行き、まもなく親戚を通じて京の千代まで知らせが届いた。

 

 冬に入り千代の容態は、もはや誰の目にも明らかなまでに悪化の一途を辿っており、千代を残して喜代だけが江戸へ向かった矢先だった。

 自分も一緒に旅路についていたなら何か違ったかもしれないと嘆く千代に、駆けつけた冬乃が掛けられる言葉など無く。

 

 まもなく酒井がつけた供の者と共に、病を押して駕籠を乗り継ぎ江戸へ弔いに出向いていた千代が、その無理が祟って暫く親戚の家で寝込んだのちに、少し良くなるや否や江戸を発ち京へ戻ってきた。

 

 戻ってすぐ再び寝込んでしまった千代を、冬乃は只々毎日食事を作って訪ねた。

 やがて、起き上がっていられる時間が長くなってきても。

 

 

 今は千代を独りにしたくなかった。

 そんな想いは、

 千代の本来の運命においてなら、沖田の抱いたものだっただろう。

 

 そして、千代を看病し共に過ごす残りの月日も、また。

 

 そうして内縁の夫として沖田が、喜代を亡くした千代にとっての最も近い縁者となり、千代を最期まで看取り、弔ったはずだった。

 

 だが運命が変わった千代にとって、いま最も近い縁者は、江戸に居る彼女の親戚であり、

 そして避けられない時が来たとき、冬乃が千代を無縁仏にしないためにできる事は、彼女の親戚へ弔いを願う事であり。それとなく冬乃は、親戚からの手紙を見せてもらい、連絡先ならば控えてある。

 

 それでも江戸と京の距離ゆえ、どうにもならない時には、縁者でこそなくても友人としての縁で弔うと。

 

 

 「お千代さん」

 

 そんなことを考えながら。

 今も冬乃は淹れた茶を手に、千代へと向き直った。

 

 「どうか少し、食べてください」

 持ってきた食事に手付かずの千代へ、冬乃は茶を差し出しながら促して。

 

 千代が、力なく首を横に振った。それでも湯呑は受け取って口へ運んでくれるさまに、冬乃はほっと小さく息をつく。

 

 

 いつも、翌日に冬乃が来てみると食器は空になって、そしていつからか綺麗に洗われて置かれるようになっていた。

 冬乃が帰ってから少しは食べてくれているのか、どこかへ破棄されてしまっているのかは分からない。でも千代が冬乃の作ってきた食事をそんなふうに扱うとも想像できなかった。

 

 きっと食べてくれているのだと、冬乃は祈るように信じている。

 本当はできれば、この目の前で食べてほしいものの、冬乃は千代の意に反した事をしているのだから、そんな望みはきっと今日も叶わないのだろう。

 

 千代はかわらず冬乃に、もう来るなと繰り返し言うのである。

 いつかに千代が初めてそう言ったように、千代の病が日に日に進行してゆくなかで、千代のその頑なな拒絶は強くなっていた。

 

 

 「お千代さん、私は何と言われてもまた来ます。・・もう、だから」

 

 そんなふうに拒むことを

 諦めて

 

 

 去りぎわに、冬乃が残す言葉もかわらず。

 

 立ち上がる冬乃に目を合わそうとはせず、正座の膝上に組んだ手を強い眼差しで見つめる千代に、そして冬乃は背を向けた。

 

 すぐに千代の視線が冬乃の背へと移ってくるのを感じながら、もう前までの、ぼんやりと視線が定まりさえしなかった千代ではないことに、それでも心の底から安堵し。

 

 

 

 「また明日来ます」

 

 冬乃は振り返り、千代の視線が急いで逸らされるのを見届け、襖を閉めた。

 

 (・・せめてお千代さんが、自分で食事を作れる気力が戻るまでは)

 

 食材の存在が全く無い土間を抜けて、引き戸に手をかける。戸の横壁には心張り棒が、ひっそりと立てかけられて在る。

 

 冬乃が来る頃を見計らって毎昼、千代が外してくれていた。

 普段より早く来た時、戸は開かなかった。それで冬乃は気づいたのだった。

 

 本気で冬乃に来るなと口で態度で拒みながらも、聞き入れず訪ねてくる冬乃を門前払いにまではしないでいてくれる事に。


 

 

 澄み渡った冬空をひとつ仰ぎ、冬乃は帰路へ踏み出した。


 

 

 

 

 

 

 

 

 この冬は、

 年越しにあっても、浮かれた者はいなかった。

 

 年の終わりの、孝明帝崩御の報により、京の町は一様に静まり返って。

 

 冬乃にとってはこの世界で初めての年越しだったが、来年もきっと同様に、ここでの正月騒ぎはついぞ経験することなく終わるのだろう。

 

 

 (永倉様の・・あれはいつの記憶だったんだろう)

 

 永倉の遺した記録には、伊東達とこの年の正月に遊興で外泊し続けて、謹慎処分まで受ける騒ぎになった、とあったはず。

 

 だが孝明帝を亡くして悲嘆にくれるこの新選組にあって、永倉も伊東も、そのような行動に出る事は無かった。

 

 (違う年の記憶と混同されたのかな・・)

 


 「冬乃ちゃん」

 

 あ、と顔を上げた冬乃の前。藤堂が、常の優しい笑顔で立っていた。

 

 「もう今日の仕事は終わった?」

 「え、はい」

 「これからちょっと一緒に出かけない?・・ちょっと早いけど山南さんの墓参り」

 

 (あ・・)

 

 もう少しで、二年になる。山南の死から。

 胸に急襲した切なさに押されるように冬乃は頷いて。

 

 「良かった。じゃあ、温かいかっこして来て」

 俺も着てくる、と廊下で踵を返し、藤堂が部屋へ帰っていった。

 

 

 しっかり着込んで顔も頭巾でぐるぐる巻きにして出てきた冬乃は、藤堂に「すごい着膨れ」と笑われつつ。

 墓参りとは別にもうひとつ、きっと誘ってくれた理由があることを想像していた。

 

 今、伊東は太宰府に居る頃だ。

 

 冬乃はもう藤堂と、伊東の件で長らく話をしていない。

 藤堂がこの時期にあえてこんなふうに二人で歩く機会を作ったということは、遊説中の伊東について何らかの話をしてくれるのではないかと。

 

 

 伊東が訪れている大宰府は、はるか前の八一八政変で都落ちした長州派公家たちが匿われている場所であり。その後に多くの志士たちが訪れ、情報交換を行ってきた地。

 

 記録でならこのとき伊東は、都落ちの頃より公家たちに随従護衛している久留米の真木や土佐の中岡らに会っている。

 

 新選組からの分離を計画している事、分離後に国事にあたって協力体制を望む事を伝えるとともに、大志を伝え、一志士としての信頼を得るために。

 

 

 だがこの真木は、八一八政変後の禁門の変で、兄を新選組に追い詰められて喪っている。当然、新選組への直の恨みもあったはずで、

 伊東は未だそのとき入隊していなかったとはいえ、このたびの来訪は一個人としてではなく新選組として内情を探りに来たのではないかとの嫌疑を受けた。

 

 伊東は計画中の分離が意見の相違によるものと伝えることで、その点の嫌疑を晴らそうとしたが、難儀したという。

 


 「今回の伊東先生の遊説が、」

 

 案の定、歩み出してまもなく囁くように切り出した藤堂に。冬乃は続きの言葉を求めて藤堂へと顔を向けた。

 

 「うまくいけば、分離も近いうちに為せると思うんだ」

 

 

 冬乃は、藤堂の顔を見据えていた。

 

 「伊東様と近藤様に、今すれ違いはありませんでしょうか・・?」

 

 足を運ぶ先で、凍てつく風が小さく弧を描いて落ち葉を回す。

 藤堂は冬乃を見返すと、ふと、少し憂いた表情を見せた。

 

 「長州の事でさ、・・ほら、前にちょっと話したじゃない。伊東先生は寛容的な考えをなさってるって。最近はほんとに、そのお考えがはっきりしてきていてさ」

 

 冬乃は促すように頷いてみせる。想像はついていた。

 

 「一方の近藤さんは、一貫して長州には厳しい対処をって言ってるから。・・先帝が崩御なさられてから、いっそう頑なになってるところあるでしょ」

 

 近藤を傍で見てきた身として冬乃は、もう一度、頷いてみせた。

 

 やはり現段階の心配は、その点なのだと。

 

 

 亡き孝明帝の遺志をなんとしても継いで、長州や台頭する雄藩を押さえ、幕府を絶対的中心に据えた改革をいっそう推し進めんとする近藤と、

 

 同じ尊皇の思いにかわりなくとも、長州を温存する事は国の改革に不可欠と考えているであろう伊東との間には、確かな見解の相違がある。

 

 伊東からすれば、近藤の尊皇も、幕府の権威なくして国がまとまるはずがないとの考えも、思想として凝り固まっているように見えるだろう。

 もっとも近藤の思想が今も主流であり、伊東や薩摩長州のほうが少数派なのだが。

 

 この後には四侯会議も控えている今の時期、近藤の幕府擁護の思想が未だかつてないほど強まってゆくのは目に見えている。

 

 しかも先だって新選組は、会津のお預かりを抜けて幕臣としての身分を与えられる内示も受けているのである。

 

 近藤を中心として幕府の権威を重視する思想以外を受け付けなくなってゆく新選組に、伊東派の隊士たちが居づらくなってゆくのも時間の問題なのだ。

 

 

 (それでも・・)

 

 それでも。

 根幹は同じまま。

 

 彼らの尊皇も、国を良くしようと願う思いも。

 

 変わってなどいない。

 

 

 (相容れなくなってしまう前に、)

 

 

 この後もし、伊東が近藤に誤解されてしまうのだとしたら、

 やはりその誤解とは、

 伊東がもはや"討幕" に傾倒したのだと。受け取られる事ではないか。

 

 この先、本当は、そうではないのなら。

 

 そして伊東が、最期までその誤解を解こうと、していたのなら。

 

 

 

 (藤堂様、)

 

 「もしかしたら・・お二人の"口論" を避ける方法が、見つかるかもしれません」




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