23.
「おめえさんら!」
とたん嗤い出したのはスズたちである。
「ちょいと動いたらほどけるなんざ!」
「帯の結び方も知らへんのか!」
「な、」
「へ!?」
「なんやこれ?!」
男達が顔を見合わせて、いま自分達に起こった出来事を理解できずに目を白黒させ始め。
そんな彼らを見ながら、
冬乃は、先ほど沖田がまさに瞬きの間に、彼らの帯へ“切れこみ” を入れたのだと。
気づいて。
見えたあの残像は、やはり見まちがえではなかったのだ。
冬乃はずっと沖田の背を見つめていたからこそ、刹那の残像なら掴めたが、
おそらくスズたちは、あのとき男達が取り出した匕首に目が行っていただろうし、
男達は勢いよく向かってきた沖田の、頭巾から覗く鋭い双眼に、例によって蛇に睨まれた蛙のごとく視線を捕らわれていたことだろう。
そのうえに瞬きの一瞬をつく最速の抜刀から納刀。
ならば常人の目に認識されなくとも、
むしろ常人には最早、妖術遣いの類いであって、
当たりまえの。
「みっともねえ恰好直して出直してきな」
沖田がその“侠客口調” で、からりと笑った。
未だに状況に混乱している男達が、真っ二つになっている帯を拾い上げてますます狐につままれた顔になりながら、
沖田が踵を返して向けた背へ、一寸のちにはっと顔を上げ、
「ま、待てや!」
「待ちい!」
其々焦った声をあげた。
「女は置いてき!」
「そうや!わしらの縄張りに踏み込んだおめえさんらが運の尽きや!」
「まだ言うんかア!」
スズが再び匕首を今にも抜かんと構え、
今のスズの一喝に慌てて男達が、前をはだけたままで匕首を構え直し、
それを見たキンとギンも、傍まで戻ってきた沖田の横で身構えた時。
「此処に俺が踏み込んだ時点で、すでにおまえらの縄張りではない」
腹の底に響くような沖田の低い声が、
「そして其処からあと一歩でも来れば、次は」
男達へと向けられた。
「帯だけでは、済まさぬ」
今度はそんな“武士口調” を用いた沖田が、同時に、
それまで彼が消していた気配――そこに居るだけで周囲を圧倒する、剣の達人の纏うそれを、
どころか、闘気―――殺気を。
瞬間に、放ち。
襲ってきた重圧で呼吸を奪われた冬乃の、凝視した先。
男達がいずれも腰を抜かして、ぺたんとへたり込んだ。
「あ・・あ・・・」
そのまま動けなくなったのも当然だった。
沖田のことだから手加減しただろうとはいえ、彼らは剣豪の放つ本物の殺気を真面にくらったのだ。
冬乃は今一度、憐れみの眼差しで、口をぱくぱくさせている彼らを見渡した。
勿論以前に沖田が烏を追い払う時に放った剣気とは、鋭さも重さも違うもの。
冬乃が沖田からこの闘気もとい殺気を感じたのは、思えばあの来たばかりの頃に見た沖田と斎藤の試合の時以来ではないか。
沖田たち超一流の剣客ほど、これら殺気の一切を闘いの最中に発することが無いためだ。文字通り、気取らせないという事。
だからこそ好敵手との試合の時や、今のように、武士同士で剣を交えるのでは無しにただ相手を威圧するという明確な意図があっての時でなければ。拝めない。
武者震いの感動さえおぼえて、冬乃は戻った息でひとつ大きく深呼吸をした。
沖田の傍では、スズたちがやはりブルブルと震えている。
直に向けられたわけでもなく、冬乃のように剣の修行を積んできたわけでもないスズたちであっても、今の気の重圧はあまりに異様なものとして感知したらしい。
「あ・・あんた、いったい何者や・・」
地べたに尻をつけたまま、男のひとりが絞り出すように声をあげた。
「ただの旅の者だよ」
沖田が答えながら、旅装の手甲で、再び彼らに見せたその広い背に掛かる包みをポンと軽く叩いた。
「行くぞ」
震えているスズたちに穏やかに声をかけ、冬乃の前へ戻ってくる。見上げた冬乃の頬をそして優しく撫でてくれる沖田に、冬乃は先の感動の名残りを胸にうっとりと微笑んだ。
「「「お控えくだせえ!」」」
目的の侠客の家の前、応対に出た者へ最初に仁義を切ったのは、スズたちメタル三人組である。
まるで時代劇をすぐ目の前で見ているかの光景に、冬乃はどきどきと、繰り広げられる彼らのやりとりを見守って。
次に出てきた子分達の代表と冬乃の挨拶も、特訓の甲斐あって滞りなく終わった頃。
最後に出てきた主人、目的の侠客、が玄関に立った、
その刹那。
沖田の草履が、ザッと地の砂利で小気味いい音を奏でた。
「どうぞ御控えください」
「貴方様こそ御控えください」
まっすぐ斜め下へと伸ばされる沖田の腕の向こう、ほぼ同時に主人もまた堂々たる仁義を切り返し。
沖田の後ろで。冬乃は、ごくりと息を呑んだ。
「手前、しがない旅の者、」
沖田の朗々とした声が響く。
「親分様こそ何卒、御控えください」
「手前、此の小さき界隈の不調法な博打うち、貴方様こそ是非とも御控えください」
すぐに主人も返してくる。
「ますます御言葉、重きに至ります。然るにどうか御控えください」
「度々の御言葉に従いまして控えます。前後を間違えましたら御容赦ください」
こうしてやっと家の側が謹んで引いてみせたところへ、訪ねた側が名乗るという流れが、彼らの作法とされるそうで。
ようするに、先に名乗る側が下位であるため、このやりとり、相手に先の名乗りを控えてもらうように言い合うことで、相手を立て合っているのであろう。
「御控えくださり有難うございます。手前、生国を武州、名を宗次郎と申し、」
そして沖田は名乗りながら背から前へ持ってきた手で、顔の頭巾をゆっくりと外した。
家の者たちの目が見開かれる。
そう、いま沖田は恰好で変装した上に、顔にも火傷の痕を施しているのである。
まさに江戸時代版、特殊メイク。
その火傷の痕の化粧は、ふだん監察業で変装に慣れている山崎が担当したらしい。
「先程そこのスズより発させてもらいましたとおり手前、縁ありて井上一家二代目を継ぎましてこのかた細々暮らして参りましたが、今年このお冬と夫婦になり、生涯に武州の田舎しか知らねえとあっては哀れと想い、こうして花の京へ旅に連れ参った次第でございます」
「左様でございましたか。長旅大変ご苦労様でございます。どうぞごゆるりとお寛ぎください」
博徒はいわゆる檀那寺を持たない。かつての冬乃のように社会から排除された存在で。そのため関所を通過する為の公式書類も無い。
だからこそ、旅といってもただの旅ではない命がけの旅となる。捕まれば死罪もありうる関所破りを、続けてゆくのだから。
そんな関所破りを陰で手助けし、一宿一飯を与えるのが、その地その地の侠客たちなのだ。
ゆえに互いに持ちつ持たれつの側面があるとはいえ、自分が一生の内に世話になるとも限らない突然の見知らぬ者を家に泊めるその心意気には、平成の東京から来た冬乃からすると感嘆の念を禁じえない。
「此度のお計らい、大変に有難うございます」
「「「有難うごぜえやす!」」」
(あ)
スズたちが大きく礼をするのを目に、そして冬乃も急いで頭を下げた。
ちなみにスズたち三人は、江戸からの帰り旅で、沖田もとい井上二代目宗次郎に出会って惚れ込んだという設定だったらしく。
冬乃は先の三人の名乗りの最中に、その設定を初めて知った。念のため挨拶以外は無口を貫くよう言い含められている冬乃には、細かい認識合わせは不要なのだ。
なおかつ、親分の妻は顔を隠していることを許容されているのだそうで、冬乃はこのまま頭巾を着けたままで過ごすことになる。
「宜しくお頼み申し上げます」
全員の挨拶が終わった沖田たち一行は、こうして無事、疑われることなく侠客の家へと潜入を果たしたのであった。




