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12.




 前回は結局、皆の予定が折り合わず、千代からは「悪くなってしまう前に」と佃煮になった山菜が届けられ。

 再び山菜の束をもらったと、千代から嬉しそうな連絡を受けたのは、その僅か半月ほど後だった。

 

 律儀な酒井のことだから、前回に都合が合わなかったことを申し訳なく思ったのかもしれない。

 (あの方だったらありえる・・)

 都合が合わなかったのは当然酒井だけのせいではないし、なにより元々自分の持ってきた土産なのだから、気にすることではないというのに。

 

 (ほんと良い人なんだなあ・・)

 冬乃が感嘆したのはいうまでもない。

 

 これは冬乃からも前回予定していた以上にきっちり御礼しなくてはならないと、ついに決まったお呼ばれの日の早朝、冬乃はむくりと起き上がった。

 

 沖田が未だ寝ている横で、気だるい体に鞭打って起き出すなんて初めてではないだろうかと、冬乃はこっそり思いながら、

 秋晴れになりそうな澄んだ朝空の下、井戸の水を汲んで早速準備を始める。

 

 カステラを作ってみようと思い至ったのだ。

 もちろん、江戸時代版である。茂吉に頼んで調理指南書いわゆるレシピもしっかり入手した。

 

 昨夕までに行商に驚かれながら買い占めた大量の卵と、茂吉から分けてもらったうどんの粉、そして沖田に頼んで組いきつけの料亭から分けてもらった上質の白砂糖を並べて、冬乃はいざ袖を捲った。

 戦闘開始、である。

 

 (失敗しても時間はあるし・・)

 

 ここは奮闘あるのみ。

 

 

 そして。

 少量ずつの試行錯誤の末、四度目にしてついにそれらしきものが出来たのは、すっかりお日様が頭の上まで昇った頃。

 

 時間があるなんて高をくくっていた己に、もはや冬乃は呆れていた。

 

 沖田が、途中何度か様子を見に覘きに来るたび、冬乃は「次こそは大丈夫ですっ」とすっかり煙で焦げ臭くなった台所で苦笑いしてみせていたが。

 いいかげん本当に、のんびりしている場合ではない。お呼ばれしている昼の予定時刻までに冬乃は終わらせなくてはならないのだ。

 

 (昨夜のうちにやっぱり練習しとけばよかった~!)

 

 やっと二人して迎えた非番の今日一日。このところの情勢の悪化は、巡察強化中の沖田にも、近藤について仕事をしている冬乃にも、多忙をもたらし、昨夜も久しぶりに家へ帰ってきたくらいで。

 

 そんな積もった疲労を言い訳に、

 朝早くに起き出してがんばればなんとかなると楽観的なことを考えた昨夜の自分に、今さら後悔しても遅い。

 (あうう)

 四度目でやっと成功した方法を腕が覚えているうちに、今度は全ての材料を投入して完成させなくては。

 

 

 冬乃は、まともに食べる時間なく残したままだった朝餉を立ち食い状態で口に運びながら、覚悟を決める。

 

 (うまくいきますように・・・!!)

 

 

 

 

 

 

 「・・・え」

 

 喜代からの飛脚の手紙を届けてくれた井上を前に、

 香ばしい香りがいっぱいに広がる台所で、冬乃は声をなくした。

 

 千代が熱を出したと、

 手紙には、今日は中止にしたいとの詫びのことばが記されていた。

 

 (お千代さん)

 

 「あの、私お見舞いに行ってきます」

 沖田を振り返り、冬乃は口奔ってから、行ったところで何ができるのかと次には思ったものの。

 まだ鎮痛薬を使う時期でもないというのに。

 (でも)

 「・・このかすてらを渡してきます。卵で滋養があるので、・・」

 熱が出ているなら食欲も無いかもしれないが、冬乃は何か少しでもできることをしたかった。

 

 冬乃の泣きそうな顔に、沖田が少し訝しんだ表情をみせたが、彼は黙して頷いてきた。

 (・・あ)

 ただの風邪ではないのかと、

 未来を知る冬乃の様子から感じ取ってしまったかもしれないと、気がついた冬乃は慌てて言い足す。

 「時々咳が出て調子が悪いと、お千代さん言ってたんです。以前の風邪をぶり返したんだと思います」

 

 尚も心配そうな眼が、冬乃を見返した。

 きっと千代への心配と、また何かを胸内に一人で抱え込む冬乃への心配が、入り混じったような、そんな眼ざしだった。

 冬乃は咄嗟に逸らした。

 「行ってまいります」

 

 成功したカステラを手に、沖田と井上を背に。冬乃は土間を出た。

 

 

 

 

 

 喜代を手伝って、眠り続ける千代の看病をしながら、冬乃は胸を刺し貫いたままの辛苦に抗っていた。

 

 血の赤が滲んだ懐紙が、千代の枕元の屑入れを埋めていた。

 喜代は恐らく薄らと気づいているのではないか。否、気づかないはずがなく。

 

 「冬乃さん、今日は本当にありがとう」

 

 帰り際、何度も頭を下げて礼を言う喜代に、冬乃はうまく返す言葉が見つからずに、早く良くなりますようにとそんなありきたりな台詞を置いて帰路についた。

 

 

 澄みわたる快晴の下を、冬乃は澱んで凍えた心をひきずるように歩んでゆく。

 

 残酷なまでに晴れやかな天は、いつかの夏の時と同じだと冬乃はつと思い出す。

 この帰路はもう何度も涙で霞んだ。あの一番最初の、沖田と酒井と共に訪ねた夏の日から、

 

 千代の選択をただ受け止めるしかなかった日も、

 

 そしてきっとこの先も。千代の最期の日まで繰り返すのだろう。

 

 

 (・・・あ・・)

 

 昼下がりの活気あふれるこの道で、談笑する母娘とすれ違いながら冬乃は、

 不意に浮かんだひとつの懸念に胸を突かれていた。

 

 

 沖田と千代が内縁の夫婦だった時は、共に暮らしていただろう沖田が千代の最も近くに居た人だっただろう。けれど千代の運命が変わっている今、千代が実家を出ていない現状で、今もこの先も千代の一番近くに居るだろう人は喜代ということになる。

 

 冬乃は喜代の寿命を知らない。しかしこのまま彼女が千代の傍に居続ければ、千代の魂が遠ざけたはずの沖田と同じ運命を辿ることになってしまうのではないか。

 

 

 (・・・でも・・ちょっと待って・・?)

 

 千代が、沖田の縁者として組ゆかりの寺に埋葬されたことが、今更ながら引っかかる。

 

 そもそも結婚が内縁の場合、制度上は、千代の所属先は未だ実家の檀那寺である。


 それなのに千代は実家の寺には埋葬されなかった。

 

 

 千代たちが江戸から京へ来る際に、檀那寺となる寺を京に移していないことは千代から聞いている。父の法要に江戸まで帰っていると、彼女は以前に話していた。

 

 (それで、お千代さんは江戸でなく京で亡くなったから、代わりに総司さんを通して組ゆかりの寺に埋葬した・・?)

 

 

 だがそうだとしても、なぜ千代は、千代の実家の名の下では無しに、沖田の縁者として埋葬されたのか。

 沖田の他に、より近い縁の身寄りがいたなら、その人が千代を家の名の下で弔うのが自然だ。

 

 けれども実際には沖田の縁者として為された。

 ならば千代には、

 ある時点から、内縁の沖田以上に近しい身寄りが存在しなかったという事にならないか。

  

 

 (・・でも、それってつまり、・・・)

 

 千代の母である喜代は。

 

 この先、千代よりも更に前に亡くなってしまうという事・・・

 

 

 

 「・・そんなのって、」

 

 おもわず声に出てしまい、冬乃は道端で立ち止まった。

 

 それなら千代は、母亡き後、本来なら沖田の縁者として供養されるはずが、

 この先も誰と婚姻するわけでもなく亡くなった時には、無縁仏になってしまうのではないか。

 

 (・・ううん、親戚が江戸に居るって、前にお千代さん言ってたはず・・!)

 

 だったら突き止めておかなくてはならない。

 酒井は千代たちの親戚を知っているのだろうか。

 

 もし酒井が知らなくても、千代たちの檀那寺が発行した証文が家のどこかにあるはずで、そこから親戚を辿ることさえできれば。

 

 いや。もしそれが叶わなくても、無縁や薄縁の仏を弔う寺はここ京都になら多いはずで、組ゆかりの寺もそのひとつともいえるのだろうことを考えれば、千代の眠る場所は歴史どおりであってもいいのかもしれない。

 

 

 (だけど、それより、・・お喜代さんが)

 

 もし冬乃の予想どおりになってしまうなら。

 

 

 誰が、この先、千代に付き添って看病できるだろう。

 

 

 (総司さんとお千代さんが本来の運命だったなら、・・総司さんだった・・)

 

 

 けど今は。千代にとって、その存在はいない。

 

 そうしてしまったのは、まぎれもない冬乃だ。

 

 

 

 (私が、付き添う。)

 

 

 冬乃は震えている息を無理やり吐き出した。激しい鼓動を落ち着かせるために、大きく吸い込む。

 

 横を通った人々が、立ち止まったままの冬乃を一瞬見やって去っていった。

 

 (大丈夫、私が感染することは無い)

 

 違う。

 感染するわけにはいかないのだ。

 

 千代がその運命を捻じ曲げてまで、護った沖田を。今度は冬乃が危険に曝すなんて事が、絶対にあってはならない。

 

 千代が望んだこの奇跡に、そんな結末があるはずがない。

 

 

 そう思ってみても。

 先がわからない不安に、大きく呑まれゆくような感覚で。

 

 冬乃は、咄嗟に道の塀に手をついた。

 (こんな)

 未来がみえても、みえなくても、苦しむのなら。

 

 (みえるほうが、まだマシ・・・・)

 

 それなら、

 望まぬ未来へ向かう沈没船ならば。冬乃は今すぐ飛び降りるのに。

 もしも冬乃が感染する未来を先に知ることができたなら、

 

 沖田から離れる――のに。

 

 今度は自分自身へ、どんな手をつかってでも。

 

 

 

 (きっともう・・役目なら終えてるのだから)

 

 千代から、運命の恋人を奪い。

 彼の愛を掴んで。

 

 千代の魂から課されたその使命ならば冬乃は完遂している。

 

 

 今はきっと、沖田の傍に未だ居ることを許されているだけの、

 

 彼の最期を、

 彼がこれでもう、本来の望んだ死を確かに迎えることを、

 

 見届けるまでの。束の間の猶予期間。

 

 

 (そうまるで、“ご褒美” のように)

 

 

 そんなもの手放していい。

 それで彼さえ護れるのなら。

 

 

 

 

 冬乃は、震えたままの息を今一度圧し出した。

 

 (・・最悪の事態なんて、未だ何も起こっていないうちから悩んでいても仕方ない)

 

 

 冬乃は幼い時に結核の予防接種を受けている。それでも大量の結核菌に曝される場合は危険なことに変わりない。千代の病状が悪化した後は、できうる全ての予防をしながら鎮痛薬を飲ませるつもりでいた、

 だから当然、長居もしないつもりでいた。

 どんなに傍にいてあげたくても、その結果起こりうる事態を考えれば、それは千代の、千代の魂の、望みではないと。わかっているから。

 

 (・・・だけど)

 

 

 『あの患者さんはご家族にも会ってもらえなくて、か細い体でご自分では何もできなくなっているのに、面倒をみる人が誰もいないのよ・・一日も放っておけない』


 千代の、あの日のことばが甦る。

 

 

 (お千代さん・・)

 

 千代が結果その命を懸けて看病し通した患者と、

 同じように、いずれ起き上がることすら困難になった時、

 

 (誰も傍にいないなんて・・そんな想い、させれない)

 

 

 千代と、この千代の魂が望まなくても。

 その時が来てしまったら冬乃が選ぶ道は、かつて千代が選んだ道なのだと。

 

 

 

 ふらつく足に冬乃は力を籠めた。前を見据え。

 かわらず澄みわたる晴れやかな空、影を落とす足元、

 目の前の道は。

 ただまっすぐに続いて、此処から終点を見ることはできない。

 

 

 この奇跡から、もし千代に付き添う事さえも使命として課されていたのだとしたら、必ず成るべくして成ってゆくだろう。

 

 感染することは無いか、

 

 感染するなら、

 沖田とは――冬乃の希望より少し早く、訣別する、

 

 そんなどちらかの結末に向かって。

 

 

 すべて、千代があの日選んだ時から、もう決まっているのかもしれない。

 

 

 

 

 




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