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9.


 まもなく人数がやってきて、男の腕の血が止まるまでは部屋のほうで監禁するのか、それぞれ男を囲うようにして縄を引くと屯所の中心へ向かっていった。

 

 「で、おまえはどこ行くつもりだったの」

 と山野が冬乃を向く。

 

 「俺これから報告に行かなきゃならないし、そこまで念のため送るよ」

 

 「いえ、さすがに屯所内ですし・・」

 「侵入されたってことは、安全じゃねえだろ今」

 

 「あ、安心してよ。俺もう女できたし」

 

 (ん?)

 

 返事を聞かずに歩き出した山野の背を見ながら、冬乃は瞠目した。

 安心、って。冬乃が躊躇したことで、送り狼だと疑われた・・とでも思ったのだろうか。


 なんにせよ、山野に恋人ができたならめでたい。

 というよりも元々激しくモテる山野だ、できるほうが当たり前なのだ。

 

 後ろについてきた冬乃を振り返って山野が、冬乃の横に並ぶように歩調を落とした。

 「どこに送ればいいの」

 「・・道場へお願いします」

 もはや冬乃は素直に返す。

 満足したように山野が微笑った。

 

 向けられたその可愛い笑顔は、だが確かに以前と雰囲気が違う。

 冬乃のことを、

 

 「おまえのこと本気で好きだった」

 

 その頃と。

 

 「・・知ってます」

 

 二度目の知ってますの返事を返しながら、冬乃は。

 もう山野が冬乃を振っきっていて、確かに今その恋人のことを好きなのだと、なんとなく感じ取れて。

 どこか安堵する想いのままに、

 

 「って、なんですか突然」

 山野を細目に見やる。


 山野が笑った。

 

 「いやさ、言っとくけど、これからは俺に惚れたって遅いからって言おうと思って」

 

 「大丈夫です、惚れません」

 

 あいかわらずこの手のやりとりは、この先も続くようだが。

 

 

 「あの隊士の方達が私を助けようとしてくださったのは有難いんですが・・」

 冬乃は仕方なく話題を変える。

 もとい気になっていた事だった。

 

 「あんなに簡単に牢の錠を開けようとしちゃって大丈夫なんでしょうか?」

 かりにも人質だった身でおかしな心配をしているかもしれないが、それでも組に関わる一人として、あれでは気がかりである。

 

 

 「そりゃ、自分の採った判断のせいで冬乃サマに何かあったら、生きた心地しねえし」

 

 「・・へ」

 

 冬乃サマ?

 

 間抜けた声を出してしまった冬乃を、山野が何故か呆れたように見つめてきた。

 「あいかわらず鈍感だな。わかんねえの」

 

 わからないって。

 眼で訴える冬乃に、山野が溜息をつく。

 

 「おまえが沖田さんの女だからだよ」

 

 

 (ええ!?)

 

 「そんなのっ・・」

 てか、そんな理由で?!

 

 「総・・沖田様が、もし私にあの場で何かあったって、それで隊士の方々を責めるわけが無いじゃないですか!」

 

 「そんな事は分かってるけど、こっちの気持ちの問題だよ」

 

 「・・・・」

 

 「わかったら、気をつけろよもっと」

 (う)

 

 どうやら叱られたらしい。

 気をつけろと言われても屯所内で刃物で襲われるとはまさか思わないから、と言い訳しそうになって冬乃は口を噤む。

 

 確かに、何があるか分からない時世。屯所の中だからと注意を怠っていた冬乃が悪いのだろう。

 

 

 しょんぼりした冬乃に。

 「まっ、何も無く済んだんだから良しって事よ」

 山野は少し慌てた声で、そんな慰めの言葉を紡いだ。

 

 「それはそうと、道場に何の用だよ」

 今度は山野が話題転換を図る。

 

 冬乃は顔を上げた。

 

 (総司さんに逢いたいからです・・)

 

 とは勿論、言えない。冬乃が仕事の休憩中に、沖田に逢いたい一心で屯所を歩いたら人質になった。なんていう恥ずかしい報告など断じて為されてはならない。

 

 「み、皆様の稽古を拝見して、学ばせてもらおうかと」

 

 「・・ふうん?」

 山野特有のツッコミが来ないかハラハラしておもわず目が泳いだ冬乃を、山野はじっと見てきた。

 「そういや沖田さんなら、道場にいないと思うけどな」

 言い添えて。

 

 (えっ)

 そうなの?!

 と山野を見返してしまった冬乃に、山野が次には噴き出した。

 「おまえ分かりやす・・!」

 

 ぐうの音も出ない。

 冬乃は仏頂面になって、顔を背ける。

 

 ミーーーンジジジッ

 通りかかった木の蝉にまでなんだか嗤われた。

 

 「たぶん藤堂さんと壬生じゃないかな」

 

 その言葉に、冬乃は驚いて再び山野を向く。

 

 「沖田さんや藤堂さんが八木さん家の子供と遊んでやってるのを、時々見かけるから」

 

 (・・・あ)

 そういえばその可能性があったではないか。まさか今日この残暑真っ盛りの中で、とは思いもしなかったけれど。

 

 それにしても。

 「壬生によく行かれるんですか?」

 時々見かけるほど山野も行っているのかと冬乃はつい首を傾げる。

 

 「まあな」

 美麗な顔が、またもニッと微笑った。

 「何を隠そう、俺、壬生にある茶屋の娘と恋仲だからさ」

 

 あ、なるほど。

 

 「しかし同じ女を好きでも、互いに友垣のままでいるなんて凄えよな」

 

 

 「・・・」

 山野のその台詞には、冬乃は押し黙るしかなかった。

 

 でもなぜ山野が藤堂の気持ちを知っているのだろうと思ってから、そういえば前に藤堂は江戸から帰京した時、皆の前で冬乃を抱き締めたのだったと思い出す。

 いや、冬乃に関するあの頃の山野の観察眼でなら、もっと前から気づかれていたのかもしれない。

 

 

 「ちょっと憧れるわ」

 ふうと山野は汗を払いながら溜息をついた。

 

 「俺も中村と同じ女を好きになったらなったで・・どっちに結果が転んでも、あいつとならうまくやっていけるもんなんかな。あんまし想像したくもねえけど」

 

 

 (・・藤堂様)

 

 『わかってたよ。元々、冬乃ちゃんは沖田のことしか見てないってさ』


 まだ覚えている。

 藤堂のその声。清々しいほど、明るい声音だった。

 

 『冬乃ちゃんが幸せだったら、俺はそれでいい』

 そう言ってくれた優しい笑顔も。

 

 冬乃は、一瞬きつく目を瞑った。

 

 あの明るい笑顔をどうしても失いたくない

 

 藤堂が冬乃の幸せを願ってくれるように、冬乃もまた、藤堂の幸せを願う気持ちに偽りはない。

 

 

 藤堂の運命へと、またも想いが向かっていることに次には気がついた冬乃は、慌てて思考を閉ざした。

 

 「沖田さんのためにも藤堂さんのためにも、おまえのこと潔く諦めた俺のためにもさ、頼むから気をつけてろよホント」

 

 少しぶっきらぼうな声で、今一度そんな念を押してきた山野に、

 

 「はい」

 冬乃は素直に答えて。

 「これからは気をつけます」

 深く頭を下げた。  

 

 

 

 

 

 取り調べによって男とその弟は、後日解放されたらしい。

 

 しかし容易に、でもなかったらしいが、なんにせよ外部の侵入をゆるした事態は、

 やはり問題になり。


 屯所の周囲の警備が強化されるとともに。

 

 

 冬乃には木刀が持たされた。

 

 これから屯所の中をゆくにしても冬乃はそれを持って歩き回ることになる。

 少々物騒な光景だろうが、致し方ない。

 

 

 「冬乃はん、それ何」

 

 厨房に近藤の部屋食を取りにきた冬乃を見た使用人たちが、皆一様に目を見開いたのも。

 「護身用です・・」

 致し方なく。

 

 「護身用って、冬乃はん剣術わかるん?」

 お孝が驚いたままの瞳で問いを投げてくる。

 

 「少しだけ心得ならあります」

 微妙に濁した回答をする冬乃に、

 

 「そないもん振り回したかて、侍に勝てるわけないやろ。まさかと思うけど闘おうなんて考えてんと、逃げられるんやったらとっとと逃げなあかんで」

 先日の事件を聞いて知っている茂吉が、心配そうに忠告してくれた。

 

 「ハイ」

 冬乃は素直に頷く。

 

 冬乃の剣術を茂吉が知らないことを差し引いても、真剣に木刀では分が悪いことには違いない。

 

 だが長脇差や匕首などの真剣を持ち歩くことには、なんと沖田が反対した。

 

 

 冬乃の剣は、人体の急所を狙わない。

 つまり殺さない剣、であって。

 

 冬乃には人を殺す覚悟など、勿論無く。そして沖田のほうも、冬乃にそれを背負わせる気など無い。

 これまでのように近藤や沖田が傍にいて護れる時ならばいい、

 

 だが冬乃が一人でいる時に、その間合いの不利に加えて急所を外した闘いをするのでは、危険すぎるのだと。

 

 

 (言われてみればそのとおりなんだよね・・)

 今まで無事だったからといって、これからも上手くいくとは限らないのだ。

 

 逆に木刀であれば、間合いの不利もなくなる上、冬乃も気兼ねなく相手の急所に叩きこめる。いや、多少の手加減は要するものの。

 

 そして冬乃に宛がわれた木刀は、竹刀よりは若干重い程度で、長脇差にも慣れた今の冬乃になら十分に扱える軽量の物。

 あとは木刀を損なわないよう気をつけさえすれば、隊士の応援が来るまでの時間稼ぎがずっと見込めるのだ。

 

 尤も、茂吉にも言われたように、逃げることができそうならそれが最優先と、沖田にも散々言い含められている。

 


 ちなみに木刀は片手持ちしている。

 

 腰に差すことも考えたけれど、毎日男装できるだけの数の服は無いし、

 かといって女の恰好のままで木刀を帯刀して歩いていては、侵入者の目にかえって悪目立ちしすぎるきらいがあると、冬乃は諦めた。

 手に持っているだけならまだ、人から預かって一時的に持ち運んでいるあたりになんとか思われるはずだと。

 

 

 片手が木刀で塞がっているのでもう片方の手だけで膳を持ちながら冬乃は、手伝おうかと聞いてくれた茂吉達に大丈夫ですと会釈をして厨房を出た。

 

 右手に昼御膳、左手には木刀、の女中。

 侵入者じゃなくても誰の目から見たって変な構図だが。

 冬乃はあまり考えないようにして、足元に注意しながら歩を進める。

 

 

 まさか警備を強化したばかりで再度侵入者に遭遇するとは思えないけども、万一遭遇してしまったら冬乃は御膳を投げ捨ててでもまずは逃げなくてはならない。

 難儀である。

 

 (そんなもったいないことしたくないから、侵入者ぜったい来ないで)

 念じながら冬乃は、可能な限り足早に歩いた。




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