7.
昨日はあれから近藤に長期の不在を詫びて、沖田の隣でさっそく仕事に取りかかったのだが。今日はというと近藤も土方も、護衛の沖田も揃って黒谷へ出かけている。
廊下をゆく三人が、戦の件、と通りすがりの井上へ告げたのが聞こえたから、
恐らく黒谷に呼ばれた理由は、長州征伐に関する事だろう。
冬乃は思い廻らしながら何度もいたたまれない想いで胸奥が潰されそうになっては、此処、近藤の部屋にてハタキの手を懸命に動かす。
「・・冬乃ちゃん?」
(あ)
少し驚いたような声音に振り返れば、庭との風通しのために開け放っていた廊下側で藤堂が目を丸くして冬乃を見ていた。
昨夜、藤堂とは夕餉の広間で再会を済ませている。彼がいま驚いているとすれば、
「そんなに無心にハタキ振って、どうしちゃった・・?」
頭の中に浮かぶあらゆる想念を振り払おうと冬乃が、必死の形相でハタキを振り回していたせいだろう。
「ほ・・埃が取れなくて」
下手な言い訳をする冬乃に、藤堂が心配そうに首を傾げる。
「何か悩んでる事とかあるの?」
冬乃はぶんぶん首を振った。
「悩んでなんてないです」
「俺、いつでも聞くよ?」
(あ)
「ありがとうございます・・!」
結局御礼を口にしてしまってから、これでは悩み事があると認めたようなものだと気づくが遅い。藤堂は、少し苦笑した後、だが冬乃が話したくなった時に話すと思ってくれたのか、
「近藤さんは?」と此処を訪ねた本題に入ってきた。
「え、と。いま急な御用でお出かけなされてます」
冬乃の返事に藤堂は残念そうに肩を竦めた。
「じゃあまた次の機会にする。掃除がんばってね!」
あっさり去っていく藤堂の背を見送り、冬乃は目を瞬かせた。
(なんだったんだろう・・・あ)
つと胸奥を掠めた一抹の感に冬乃は息を呑んだ。
気づけば、藤堂が近藤たちと袂を分かつまでに、もう一年を切っているではないか。
といっても未だ、彼にそんな兆しは見られないのだが。
(藤堂様・・)
藤堂は、山南のまだ居た頃に江戸から来て入隊した伊東の、同門であり弟子でもあり。
伊東を新選組へ引き入れたのも藤堂だった。
その伊東は、
翌年になれば、仲間を引き連れて組を分離してしまう。
そして、藤堂は伊東についてゆくのだ。長きに生死までも共にした近藤達を、・・親友の沖田達を、置いて。
それでもそれは脱隊ではなく、
分離という形であり。それが彼らにとってもしも表向きであったとしても、認識はあくまで分離した新選組の別部隊であって。
だからこそ、そののちに起こる悲劇など、分離の時点では想像されていなかったとしか冬乃には思えない。
悲劇――伊東も藤堂も、近藤達の『裏切者』として粛清される未来。
(本当は・・きっとそんなはずない)
冬乃には何ができるのか。
藤堂の、望む死が・・何かを。
その答えを冬乃は、もうずっと探している。
あいかわらず生ぬるい風が漂うように吹き抜ける中、
冬乃は止まっていたハタキを再開すべく、次の掃除箇所へと移動した。
(どうして)
のちにあの悲劇が起こってしまうのか
再開したはずのハタキを手に、だが早くも冬乃の思考も再開し。
冬乃は早々に諦めてハタキを下した。
先の、幕府使節団への二度目の広島随行の時点から、近藤と伊東は長く別行動をしていたといわれる。
すでに互いの思想の違いが、そこに顕れていたのかどうかは分からない。
(・・でも)
別々の時期に帰京した二人だが、顔を合わせればにこにこと話をしているし、時々飲みにも行っている様子で、とても仲違いしている雰囲気は無い。
それどころか近藤は伊東を尊敬して接しているように見える。
伊東もまた、さすが人望を謳われるだけあって、その切れるような才覚と相反してどこか山南のように人を包み込む柔らかさがあり、
そして時折ものおもいに耽る姿は気品さえ纏い。
仲間を裏切ったり騙したりする、そんな形容が重なるような人では全くなく。
だから、
(めざしていたものが同じでなければ、いくら藤堂様の誘いだからって入隊してこなかったはず)
その違いがあったなら、伊東がそれに気づかなかったはずがない。
まして違いを見抜きながら意気投合したふりをして本心は近藤を変えてゆくため、まして新選組を乗っ取るため、そんなまるで騙すような入隊であったはずもない。
(伊東様はそういう人じゃない・・)
(でも、だからこそ何で・・?)
――気懸りがあるとすれば。
伊東が、山南と同じほど傷ついた顔をしていたことで。冬乃は今もはっきりと覚えている。
天狗党処刑の第一報が、届いた時。
伊東が、顔を背けてそっとその場を立ち去ったことを。
昔に尊王攘夷活動にも励んでいた伊東なら、天狗党に知己もいたのではないか。
(山南様は・・幕府に絶望して、組のために死ぬ道を選んで・・伊東様は、)
幕府に絶望しても、
生きる道を選んだのだとしたら。
生きて、彼が行おうとする事は、なら・・・
(あ・・)
それはきっと、“倒幕” であって。
(単純な倒幕なんかじゃ、・・ない)
同じ惨劇をこれ以上起こさぬように、
幕府そして国そのものの体質を変えてゆくことだったのではないか。
その結果が、いずれ倒幕となるか、
ならないかは。
ならば未だ今の時点では、わからない。
幕府が変わるなら。それで目的は達するのだから。
そして、
倒幕そのものが目的ではないからこそ、
近藤と今も、同じ道を歩んでいる。
近藤もまた、天狗党の惨劇に涙し、幕府を、国を良くしていこうと願っている一人なのだから。
(・・だとしたら・・・)
この先の伊東の行動も、また決して近藤達を裏切るものではなかった・・?
冬乃は、握り締めていたハタキを落とした。
その場で座り込み、記憶の底を掘り起こしてゆく。
薩摩が。
同じく幕府を変えていこうと、幾たび虐げられてもなお奮闘し続け、だがその想い空しく。幕府に遂に見切りをつけ、討幕へと舵転換をしたのは、
いつだったか。
冬乃の知るかぎり、それは今上天皇である孝明帝亡き後の、翌年慶応三年五月末、
四侯会議と呼ばれる雄藩の元藩主らが集まっての幕府改革、実質第一歩目ともいえる試みが、失敗に終わった後だ。
西郷などは、もっと早い段階で心積もりしていた可能性も高いが、薩摩のトップ自らの舵転換はこの時期以降だろうといわれる。
そもそもこの四侯会議は、その後の朝廷会議の事前準備としての会議だったのだが、四侯による決議に至るまでも激論が絶えず、
なんとか穏健な決議が出てからも、まず薩摩家中の激派である大久保の働きかけによって変更が為され、或いはその事も影響したか親幕派の土佐が完全に離脱、続いて薩摩をも含めた残りの三侯も朝廷会議への欠席を表明する事態で、幕府改革以前に四侯会議側が分裂していた。
一方で幕府の権威を死守すべく朝廷会議で粘った慶喜の知略によって、この幕府改革の第一歩とも呼べる試みは阻止される事となる。
これまでは、
孝明帝が。こういった幕府をないがしろにするかのような改革の一切を、認めなかった。
序列を重んじ、あくまで幕府の絶対的権威を回復維持し、そのうえで諸侯が従い改革を行ってゆく事こそが泰平への道とする孝明帝の想いは、当時、まだまだ当たり前の考え方であり、そして、
当たり前でなくしようとすることが、薩摩らのめざした幕府改革であった以上。
或いは到底、相容れるものでは無しに。
この先、最後まで見切りなどつけず見捨てず。幕府を支えての改革を求め続けた亡き孝明帝の想いを引き継ぎ、忠義を貫いた近藤達と。
幕府を変えることを諦め、新しい国を立ち上げる道を選んだ討幕派の志士達は。
それでも初めから終わりまで、より良い国を求めたことならば同じだった。
(・・なのに)
同じ終点をめざしながら、
そのために採った相容れない道の統一に、最後まで両者は、血で血を洗う惨劇を繰り返した。
この先の近藤も伊東も、また同じように、やがて互いの道が離れてしまうのだろうか。互いの手を、取り合えなくなるほど遠くまで。
だが天狗党の結末に心を痛め、もう同じ惨劇を起こさぬ国をめざすと、きっと亡き山南にも誓ったであろう伊東が、
武力による討幕へ向かってゆくとは、冬乃にはどうしても思えない。
本当に、近藤と伊東達はのちに殺し合わなくてはならないほど、思想を違えていたのだろうか。
伊東たちの分離は、薩摩の舵転換つまり四侯会議の失敗よりも前だ。
未だ四侯会議を足掛かりとする幕府改革の実現に、期待が残っていた時期で。
この時点で伊東達と近藤達の歩む道が掛け離れていたかというと、さすがに疑わしい。
たとえ近藤が、亡き孝明帝の願いに忠実に、幕府の権威回復をまず第一に考えていようと、
そして伊東が、幕府改革においては、それを第一に考えてはいなかったのだとしても。
二人のめざす終点が同じ――動乱の終息――である以上、本来、紙一重の違い。
それともその紙一重が。すでに表裏ほどの掛け離れた違いだったというのだろうか。
いずれ修復しようもなくなるほどの。
(だとしたら、私には・・どうしようもできないの・・?)
この歴史の大波を止めることなど叶わなくても、
せめて二人の別離の歩みだけでも。もう互いの手の届かないところまで離れてしまう前に。
(・・きっと何か、できることがあるはず)
冬乃は震える息を細く吐き出した。
落ち着いて、この先の二人の言動に気を張って、冬乃にできる方法を探ってゆくこと。
冬乃は決意を胸に、今度こそハタキを手に立ち上がった。
(絶対に、)
藤堂を裏切者として喪うなんて未来は。
(変えてみせる)




