6.
目が覚めたら文机に寄りかかっていた。
(・・・・・あれ?)
昼間の光のなかで見慣れた土方の部屋を見渡し、部屋の主が不在であるさまに安堵しながらも冬乃は首を傾げた。
寝たまま幕末へ飛ぶのは初めてではなかろうか。
おそらく統真が朝方、まだ冬乃が目覚める前に来たのだろう。平成の世で冬乃は寝ているまま昏睡状態へ移行したということか。
はっと冬乃は手元を見やった。
(良かった・・!)
両腿の上にきちんと薬の箱は在り。箱に添えていた両手で冬乃は、そのまま箱を持ちあげて横の畳へ降ろし、自身は立ち上がろうとした時、
突然、隣の近藤の部屋辺りからスパーンと襖が開けられた音がした。驚いて音のした廊下側を見やった冬乃の前、
次にはその視界の襖がスパンと開いた。
「総司さん!?」
「おかえり、冬乃」
どうして
わかったの、と冬乃が聞くよりも前に、
「冬乃の気配が急に生じたから」
穏やかな昼の光を受けた褐色の顔が嬉しそうに微笑んだ。
冬乃は目を丸くする。
(・・そうだった)
“超能力者” なら、ここにいた。
冬乃は微笑ってしまいながら、急いで立ち上がって。
「ただいま、総司さん・・っ」
沖田の腕のなかへ飛び込んだ。
「今までごめんなさい」
硬く温かい腕に包まれながら冬乃は顔を擡げる。
「でももうこれで・・・今度こそ未来へは帰りません」
やっと、
(貴方の最期まで傍に居られる)
声にできない想いで見上げた冬乃を、常の優しい眼差しが迎えた。
「今回は、どのくらい帰ってしまってたのでしょうか」
その穏やかな眼に救われながらも冬乃は、超えた時間を感じて恐るおそる尋ねる。この肌に受ける気温は、もはや残暑のそれだ。
「二月といったところ」
「・・では今日は・・」
遂に幕府と長州が開戦したのは六月の七日。冬乃が未来に戻ってしまった日は六月一日だった。
あれから二か月、
ならばもう。
「八月の七日」
冬乃は沖田の胸板へ頬を寄せ、目を伏せた。
七月末、将軍家茂が病で急死し。今は、江戸幕府最後の将軍となる慶喜が、徳川宗家を継承したばかりの頃。
孝明帝は長州征伐の続行を命令し、慶喜はその意を受けて陣頭指揮に立つ準備に取り掛かっている時期だ。
だが、これよりあと数日もすれば、その決定は覆される事となる。
これまでの度重なる戦況不利の報にとどめを刺すかの、幕府軍の事実上の敗戦といえる報が、京にもたらされるからで。
つまり今、残るこの数日が。
幕府がこの先の再起を未だ信じていられた、最後の時間ともいえるのだろう。
黙り込んでしまった冬乃を覗き込む気配に、冬乃ははっと顔を上げた。
「冬乃、」
目を合わせた沖田の視線が、促すように冬乃の背後へと向かった。
「あの箱は?」
(・・・あ)
千代の病のための薬とは答えられるはずがなく。咄嗟に冬乃は、
「念のため持ってきた風邪薬です・・未来の」
と声が小さくなりながら答える。
「へえ」
「あ、あの」
そういえば、あの箱を壊してもらわなくてはならない。
冬乃はそっと体を離して、沖田を今一度見上げた。
「お願いがあります」
言ってから急いで箱を取りに行き、沖田の元へ戻る。「これを」と冬乃は沖田に手渡した。
「斬って開けてもらえないでしょうか」
沖田が物珍しげに、箱を回し見た。
「ここに居て」
つと、沖田は冬乃にそう言い置くと、箱を手に部屋を横断し障子を開け放ち、
部屋の中央まで戻ってくると立ち止まった。
(・・?)
その場で冬乃に背を向け、ちょうど庭を右に見る状態に向き直った沖田は、
唐突に、箱を上方へひょいと放り投げた。
と思ったら、
落ちてきたところを抜き打ちで横薙ぎし、同時に何かが庭へ飛んでいった。
「これでいい?」
目を丸くした冬乃を振り返った沖田の、
その左手の平の上には、元通りの箱が降り立っていて。
「え・・」
差し出されている箱を冬乃は受け取った、時、
振動で上蓋がずれ、冬乃はもしやとそれを持ちあげた。あっさりと上蓋は持ち上がり。上蓋に沿って一寸のズレも無い切り口を見せ、綺麗に留め具と埋め込み鍵の中心部分だけ消えた状態で残る箱を、冬乃は唖然と見下ろした。
いま庭へ飛んでいった物は留め具や埋め込み鍵の破片だったのだ。
これらは金属なのに、まさかそれごと壊してくれるとは。
てっきりどこか木製の箇所で二つに割るのだと思っていた冬乃は、これなら当初覚悟していた中身の欠損も免れて、全ての薬が使えることに嬉しさが倍増し。
「ありがとうございます・・・!!」
右手に持つ刀を腰の鞘へ納める沖田に、冬乃は感激で深々と頭を下げた。
「どれも変わった袋に入ってるね」
未来の物だと割り切っているのか、薬を見てそんな感想だけ述べてくる沖田に、冬乃は頭を上げるなり「そうですよね」と慌てて頷いてみせる。
「で、またその恰好」
くすりと微笑った沖田に。そして冬乃は今の今さら気がついた。
(わ・・わ)
あの時と全く同じワンピースのままであると。
これではまるで、冬乃の所有する服の数が少ないみたいではないか。
「これはっ・・前回とたまたま同じのを着てて・・」
焦って繕った冬乃は、だがすぐに、もうひとつの事実に気がついた。
沖田はそんなことは露ほども気にしていないと。彼が着目している事はあくまで、
「冬乃」
肌の露出度。
「・・このまま襲いたくなるよ」
案の定、沖田に再び抱きすくめられ、
冬乃は眩暈がして。
「残念だが、近藤先生が待ってるだろうから」
諦めるけど
と、だが次には体を離された冬乃は、はっと沖田を見上げた。
「さっきまで先生の書簡の手伝いをしていたからね」
(あ・・)
どうりで隣の近藤の部屋から襖の音が響いたわけだ。
「それって私が不在にしていなければ、私の仕事だったはずの・・」
ごめんなさい、と冬乃は咄嗟に頭を垂れた。
冬乃がいなかった間、沖田が代行してくれていたのだろう。
「元々俺が先生を手伝っていた仕事だから。貴女が代わりにやってくれるようになっていただけの事」
気にすることではないと言うかのように優しく微笑んでくれる沖田を、冬乃は再び見上げて、おもわず身を寄せた。
「では私も、今日はこれからお仕事ご一緒させてください・・」
沖田の着物にそっと顔をうずめる。本音は傍に居たいから、沖田と一緒に仕事がしてみたいから。であることくらい、近藤にさえ見抜かれそうだけども。
「それは有難いが・・・」
沖田の大きな手が、冬乃の頭を撫でた。
「先に、着替えてこようか」
「・・・」
冬乃は素直に従った。




