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碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。  作者: 宵月葵
【 第三部 】 愛の記憶
269/372

2.



 このところめっきり日中の蒸し暑さが増してきたというのに、梅雨明けまでは未だかかりそうな、なんとも折り合いの悪い季節を迎え。

 

 一方で冬乃の恋わずらいはなんとか折り合いもついて、日常に酷い支障まではきたさず付き合ってゆけるようになってきた頃、

 

 江戸から着物が届いた。

 

 

 沖田との“外デート” に、そろそろ昼間のお高祖頭巾は辛くなっていた冬乃にとって、願ってもない贈りもので。

 

 通常なら一月以上は優にかかる仕立てが、こんなに早く上がったのである。

 

 真っ先に浮かんだお鈴と太兵衛の顔に、冬乃は男物づくりの見事な質感の着物を手に、心のなかで深々と頭を下げていた。

 

 勿論、冬乃の想像のお鈴はつんとそっぽを向いていたけども。まあ当たらずといえども遠からずだろう。

 

 

 

 そうして、霧のような雨の続く昼下がり。

 着てごらんと早速沖田に促され、冬乃は部屋へいったん戻り、頭から爪先までの男装に嬉々として挑んだ。

 

 

 結果は二度目だけに、良好。

 

 「可愛い」

 

 (・・・良好?)

 

 

 男装したのに可愛いはどうなのかだが、沖田から見れば元々ほかに感想しようがないのだろうと。

 本日非番の沖田の部屋にて、くるりと回転してみた冬乃は、ぴたりと止まりつつ思いなおす。

 

 「一応、男性にみえますか・・?」

 

 念のためはっきり聞いてみた冬乃に、沖田が微笑った。

 「じっと見なければ、たぶん」

 

 冬乃はひとまず胸を撫でおろした。

 

 

 (傘さしてれば、よけい大丈夫だよね)

 

 前回は若衆らしさを醸し出していた前髪が、今回は無い事が効いているはず。

 

 冬乃はあれから前髪を伸ばしていた。そうしてこのたび晴れて前髪を全て上げることが叶い、沖田達のような総髪にできたのだ。いわゆるオールバックの長髪であり。

 

 尤も、沖田の髪の長さはかろうじて後ろで結べる程度でしかないので、比べたら冬乃の場合はとんでもない長さだが。

 

 

 

 「総司さん」

 

 冬乃は沖田を見上げた。


 (これからこのまま一緒に歩きたい・・)

 

 

 沖田に歩調を気遣わせてしまうことなく。さくさくと一緒に散歩がしてみたい。  

 

 

 

 

 

 

 

 「お散歩、いきませんか?」

 

 仔犬のように瞳を輝かせて見上げてくる冬乃の、背後にはぶんぶん振れるしっぽがまるで見えるようだ。

 

 沖田は、この目の前の、前髪のない若衆。でかろうじて通るか通らないか微妙なところの彼女を見つめ返した。

 

 

 冬乃を冬乃として見慣れすぎているせいなのか、そもそも無理があるのか、前回もそうだったが沖田にはどうしても男装したおなごにしか見えない。

 

 (まあ、これで帯刀すれば少しはマシになるか?)

 

 

 「いいね。行こう」

 沖田はにっこりと返す。

 

 「ただし見る者が見れば女の男装と気づくだろうから、一応、一緒に出かける時は笠をかぶってほしい。今日は雨だから差す傘でいいが」


 

 上手く男装できたつもりらしい冬乃には悪いのではっきりとは言わないが。かえって目立つというか、

 あまり一緒に歩いて、彼女がのちに一人で町に出た時に識別されるほど周囲に覚えさせてはならない危機感はどうしても残る。

 

 

 「はい!」

 冬乃がそれは嬉しそうに返事をしてきた。

 

 可愛さについ冬乃の頬に手を伸ばし、包む。

 (この恰好も・・これはこれでそそる)

 

 心に思った事は、秘匿しておく。

 

 

 

 

 

 

 笠なら、お高祖頭巾よりずっと風通しがあって涼しいだろう。冬乃は一緒にのびのび外出できる機会が増える予感に、嬉しさを隠せず、

 温かな沖田の手を頬に受けながら、その頬がおもいっきり緩んでしまった。

 

 

 なにより今日は、近藤が昼から寺の住職のところへ行っているため、部屋の掃除も終えてあるこの後は冬乃も非番で。

 

 外は穏やかな霧の梅雨。紫陽花の残る京の昼下がりを沖田とまた散歩できるなんてあまりに嬉しすぎて、もし自分にしっぽがあれば今ぶんぶん千切れそうなほど振れているだろうと冬乃は想像する。

 

 

 「じゃあ前回のように竹光と長脇差でいいね」

 (あ)

 沖田が刀を用意してくれる様子に、そして冬乃は「はい!」と飛び上がる手前で返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この散歩は、男装じゃないほうがよかったかもしれない。

 今更、冬乃は溜息をついていた。

 

 

 しとしと雨の続く路地。道ゆく人々に、沖田と冬乃“武士ふたり” は遠慮されるようにして道をあけられてゆく。

 

 そんななか斜め前に沖田の背を見ながら冬乃は歩む。

 

 この距離。

 

 そう、すぐ手をのばせば触れられる距離にいながら、

 

 届かない。

 

 

 (だって武士どうしだから今は・・)

 

 

 この時代、男性同士の恋愛自体は、珍しいことでも忌むべきものでも全く無く。

 後継ぎを遺さなくてはならない側面などでは時に禁止されることもあったものの、社会一般的には認められており、

 

 西洋の文化が入り込んで久しい平成の現代でのような、(今なお根深い)偏見には、当然に曝されてなどいない。

 

 だからといって、いまここで手をつないで歩いたり、

 どころか、あの時のように相合傘で抱き寄せられて歩いたり、

 

 なんてことができるわけでもなく。

 

 男女の組み合わせの時だって、それが人前で恥ずかしいのは同じだというのに、

 武士同士なら、なおさらである。

 

 

 (でもまだ男女のままのほうが・・)

 

 せめてそっと手くらい繋げただろうに。

 

 武士同士が人前で手をつないでいたら驚愕の事態だろう。

 武士は忍ぶ恋こそ何たら、とさえいうではないか。

 

 (て、それはちょっと意味ちがうか)

 

 

 はあ。

 そして冬乃は。何度目かの溜息をついた。

 

 「・・・どうしたの」

 

 (あ)

 ついに沖田が振り返って苦笑し。そんなに声に出ていたのかと冬乃は赤面する。

 

 「なんでも、ありません」

 冬乃は大きな和傘の下、慌てて俯いた。

 

 貴方にすこしでもふれていたい

 この往来でそんな希望をぽんぽん言えるほど、俄かながらの武士らしさを放棄できる心持ちではない。

 

 「なんでもないように見えない」

 だが立ち止まっていた沖田が、次には近寄ってきて、

 冬乃はすぐ前の地面に映りこんだ沖田の袴に、どきりと顔を上げた。

 

 ・・もう少し、嘘をつくのが上手になりたいものである。

 冬乃は諦めて。弱く微笑んだ。

 「お手を、つなぎたいのを我慢してます」

 

 「はい」

 

 あっさり。浅黒い大きな手が、目の前に差し出された。

 

 

 

 (え、ええ?)

 

 あいかわらず冬乃の度肝を抜く沖田に、冬乃が目を白黒させていると、

 その武骨な手は冬乃の手を攫って、

 しかもそのまま冬乃は引き寄せられ。

 

 「・・いいのですかこんな・・」

 

 「大丈夫」

 

 何が大丈夫なのだろう。手を繋ぐどころか今や腕まで絡められそうな近距離で、冬乃は傘を擡げてはらはらと沖田を見上げた。

 

 

 

 

 可愛い“稚児” と沖田が、手をつないで散歩しているさまは、そう不自然でもあるまい。

 これが大の武士同士なら少々問題だが、

 

 冬乃は幸いに、遠目で見ても年端のいかない美少年どまりな以上、ひっそり手を繋いでいようが周りの目には、沖田のそういう相手だと見えるだけ。

 成人武士に見えているつもりらしい冬乃には悪いので、やはりこれを言う気はないものの。

 

 

 この繋いだ小さな手さえほんのり熱を帯びてゆく、それだけでも沖田の心内を擽るような彼女を隣にして、

 長く触れていられないひとときなど望まぬのは、沖田とて同じだ。

 

 それでも沖田のほうから行動を起こさず抑えていたのには、それなりに理由があり。

 

 つまりは、

 一応ある程度の人通りがある、この往来では。

 

 

 「貴様ら、昼間から見せつけてくれる・・!」

 「新選組はやたら羽振りがいいようだなッ!」

 

 余計に目立つのも。

 

 問題だからであったのだが。

 

 

 

 (・・・まあ何してようが、どうせ来るやつは来るか)

 

 

 「総司さん」

 握る冬乃の手がぎゅっと強まった。

 

 「なるべく傘で顔を隠したまま、道の端に寄って」

 

 路地の左右から走りこんでくる男達へ眼を据えたまま、沖田は冬乃へ囁いた。

 びくりと冬乃の手が応えた、

 「私も・・」

 

 「闘います」

 

 

 そんな台詞とともに。





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