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169.




 夕の刻に沖田が冬乃の部屋まで迎えにきてくれた時は、

 

 ちょうど冬乃が行李をひっくり返した直後だった。

 

 

 「何事?」

 

 服の大山をばっちり目撃した沖田が、面白そうに尋ねてきて、冬乃は顔を赤らめる。

 

 

 勝負下着。

 というものを探してるだなんて、もちろん絶対に言えず。

 というよりそんなもの、この時代にそもそも概念として存在するのだろうか。

 

 

 (とにかく襦袢とか湯文字っ・・)

 

 以前に千代と行った古着屋でその色彩に一目惚れし、奮発して買った繻子のそれらなら、そして思いついたものの。

 

 

 「あ、あの。ごめんなさ、もう少しだけお時間いただけませんか、荷造りが終わったら、ここちらからうか伺います・・っ」

 激しく舌がもつれながらも言い切って。

 

 風呂敷に包んでいるところを見られるのも、無性に恥ずかしいのだから、沖田には彼の部屋で待っていてほしいと冬乃は願う。

 概念が無いのなら、見られようがそれと気づかれる心配は無用なのかもしれないけども。

 

 

 「・・手伝わなくて大丈夫?」

 「はいだいじょぶですっ!」

 

 ほとんど叫ぶように即答した冬乃に、沖田が目を見開いた。

 何かよほどの事情があるのだと思ってくれたのか、沖田はまもなく部屋を出て行った。

 

 

 

 今さら、これまでの自分が恥ずかしくなってくる。

 

 あのときも、あの時も。

 

 (どんなの着てたっけ・・)

 

 

 変な組み合わせをしてなかっただろうか。

 色気の無い服だとか、思われなかっただろうか。

 

 なにより初めて沖田に家へ連れられていった日、冬乃はあの時だって、そのつもりで行ったのに。緊張でのぼせすぎていて、とてもこんなことまで気が回らなかった。

 

 

 「~~~」

 

 否、今だって、のぼせ具合ならば大して変わらない。多少、場数を踏んだだけである。

 

 それでも、やっぱりまだ、

 

 (・・勇気ない)

 

 第一、沖田のほうは今夜もこれまでと何ら変わらない夜だと思っているだけだろう。

 

 冬乃の心は、あの疎外感とたたかう準備が整ったことなど。彼が知るはずもないのだから。

 

 

 (でも)

 

 今こうして逃げ腰になっていても、きっと、

 今夜、彼を前にしたら、気持ちが溢れだして止まらないだろうことも。容易に、想像できてしまって。

 

 

 (やっぱり、服だけは持っていこ・・)

 

 

 後のことは。その時のなりゆきに、任せるしかない。

 

 

 冬乃はそう己に言い聞かせると。目標の肌着たちを探すべく、服の山を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駕籠で乗りつけて、降り立った玄関からまっすぐに式台を上がる。

 客間を開け放てば、縁側の向こうは梅雨に濡れそぼつ枯山水。

 

 初めての日と同じように。

 背から抱きくるめる沖田の腕のなかで、冬乃は眼前の小宇宙に魅せられた。

 

 只あの日と違うのは、雨がしとやかに降りつづいて、いつにもましてこの空間がふたりだけの世界として隔絶されているかの錯覚に、

 引き込こまれることで。

 

 

 静やかに均一に奏でられる心地よい雨音と、強く優しい温もりに包まれ、

 恍惚と冬乃は、沖田を背後に見上げた。

 

 このままずっとふたりきりで、このうき世の楽園に居られたなら。

 この隔絶された世界に、

 

 

 (それなら本当に貴方をひとりじめできるのに)

 

 

 訴える眼差しを感じたのか、沖田が冬乃の額へ口づけると冬乃を抱く腕の力を強めた。

 

 「冬乃、」

 

 「やっと来れたね」

 (あ・・)

 どきりと冬乃は目を瞬かせた。

 

 「ようやくふたりきりになれた」

 

 

 同じことを、思っていてくれたのだと。冬乃は感激で震えた心に素直に従い、沖田の腕のなかで動いて彼へと向き直った。

 

 ねだるように見上げる冬乃を、優しい眼が見下ろす。彼の大きな手はそっと冬乃の首の後ろに添えられ。

 冬乃はうっとりと目を瞑った。

 

 

 「ン……」

 

 庭石を打つ時おりの雫の音さえ、聞こえなくなった頃、ふたりの息遣いだけが冬乃の朦朧とする意識の内にまで届いて、

 あとは常のように、まるですべての感覚が彼へと向かいゆくさなか、

 

 不意にがしりと腰元を支えられ。冬乃は、瞼を擡げた。

 

 (・・あ)

 ぐらりと冬乃が大きくふらついたところを、支えられたのだと、すぐに気づいて。

 

 (総司さん)

 今ので解放された唇から浅く吐息を零し、未だ重たい睫毛をひと扇ぎした冬乃を、

 見下ろしてきた沖田の眼は。

 冬乃のからだの芯を灯らせる、あの深い熱を宿す眼で。

 

 とくとくと打つ鼓動を胸に冬乃は、彼のその眼に、またいつかのように捕らわれたまま逸らせずに。

 「総司…さん…」

 浅いままの呼吸に唇を震わせた。

 「まだ…」

 

 してて

 

 囁きかけた言葉ごと、次には塞がれ。

 目を閉じた刹那ふたたび襲った身のふらつきに、冬乃は咄嗟に、閉ざした視界のまま沖田の襟を掴んだ。




 

 

 

 

 

 あれから冬乃は、沖田に抱き上げられて風呂場へ来た。

 

 体の芯の力が抜けてしまうほどの、先程までのひとときを、

 思い出す暇もなく。風呂場でも先程の口づけに続いて、沖田の意地悪な手に冬乃は、あちこちとても丁寧に、意図をもって撫でまわしながら洗われて。

 おかげで冬乃はのぼせきって、もはや完全に力が入らない。

 

 冬乃をこの状態にした張本人はといえば、現在もわもわと湯気の立ち昇る湯舟のなか、冬乃を胡坐の片膝に乗せて横向きに抱いたまま冬乃の頬やら髪やら背やらを、一転して只々優しくさすっており。

 

 そんな沖田の肩先に頬を寄せながら、冬乃のほうは、湯越しの沖田の温かく硬い肌の感触に、この直に肌の触れあう状況に、

 未だに慣れず始終どきどきして心臓が壊れそうになっている。

 

 もとい。慣れる日が来る事など無いと、もはや冬乃は断言できるが。

 

 

 格子窓の向こうでは、日が暮れて、物売りの声もしなくなって久しい。雨だけが降り続いていることだろう。

 

 

 「家選びをした頃も、そういえばこんな梅雨の時期だったね」

 

 優しい手に頭を撫でられながら、冬乃はそんなことばを聞いた。

 

 此処での一年前に、ふたりで一つの傘で歩いた光景が、再び冬乃の脳裏に浮かぶ。

 家へ来る時、駕籠の簾の内から見えた道端の紫陽花たちに、重ねていた光景。


 「はい・・」

 此処の時間においてはそうして一年近くも離れてしまっていた事に、改めて冬乃は頭を垂れた。

 

 

 どうして待っていてくれたの

 

 冬乃の心内に一方で、漂い続けてきた疑問が同時に擡げて。

 

 「・・総司さんは」

 

 きっとすごくもてるのだろう。

 

 今まで冬乃が知っているだけでも、露梅と、呉服屋の娘、そしておそらくは刀屋の娘も、

 そして本来ならば千代。

 

 冬乃がまだ知らないだけで、きっともっとたくさんの女性から。

 

 

 なのに。

 

 他の女性に向かうことなく、冬乃が戻るのをずっと待っていてくれた。

 

 

 「どうして・・私を選んでくださったのですか」

 

 

 また変なことを聞くと言いたげな眼が、勇気を出して顔を上げた冬乃を見返してきた。

 

 「冬乃を好きになったからに決まってるでしょ」

 「でも、総司さんにだったらいくらでも素敵な女性が、他にいるのに・・」

 「なら冬乃は、どうして俺を選んだの」

 

 冬乃は息を呑んだ。

 

 今の突然の返しとは真逆に、向けられる穏やかなその眼をまじまじと見つめ返し。

 

 (・・そんなの、)

 

 

 「選ぶも何も・・」

 

 初めから貴方だけ

 

 

 (どうしても貴方以外の人を好きになれなかった)

 

 沖田を好きでいることが苦しくて懸命に逃げようとしていた頃を思い出した冬乃は、

 おもわず目を逸らした。

 

 「私には・・総司さんしかいませんから」

 

 「そんなことないだろ、冬乃なら」

 「ほんとにっ、そうなんです・・!総司さんが初恋ですし・・っ、そして最後の人なんです、私にはっ・・」

 

 訴えてしまって再び見上げた先、

 

 沖田が一瞬の瞠目ののち。ひどく嬉しそうな、冬乃のほうが瞠目するような眼差しを返してきた。

 

 「だったら、また同じだ」

 「え」

 

 「俺にも、冬乃しかいない。こんな想いは初めてで、つまり」

 

 

 冬乃は。

 

 

 「俺にとっても、初恋という事」

 

 

 「・・・総・・司さ・・」

 

 胸奥が、急激に熱くなる感をおぼえた。押し出した声が震え。



 「それから、」

 沖田が間近にまっすぐに、冬乃の瞳を見つめたまま添える。

 

 「こんなふうに愛せる相手がこの先もいるとは思わない。貴女は俺にとっても、最後の女」

 

 

 

 冬乃は沖田の肩先へ、一瞬に溢れ落ちた涙ごと顔をうずめた。  

 

     




 


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