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164.


 襖を開けながら冬乃は「失礼します」を言い忘れたと気づき、口にしかけていたが、目の前の光景に頭の中は一瞬に吹っ飛んで真っ白になった。

 

 お鈴が、そのままの姿勢でちらりと冬乃を見やって。

 もはやもう一度逃げ出したくなった時、

 

 「そうだ、」

 沖田の常の穏やかな声が届いた。

 

 「気が変わった。どうしても作ってくれるというのなら、私のではなく彼女の服をお願いできますか」

 

 

 (え?)

 「え?!」

 沖田の視線を受けた冬乃の、心の声と、お鈴の声とが重なり。

 

 

 (・・・服?)

 

 

 お鈴が、沖田から漸く身を離した。

 

 (あ)

 

 その手には、何故か下げ緒とおぼしき紐と、細長いものが共に握られていて。

 細長いほうは家庭科の授業で何度か見たことのあるものさしだ。

 

 「お嬢様、お採寸の仕方をお間違えでございます」

 

 不意に、驚くほどの強い口調で冬乃の横に来た太兵衛が言い放った。

 

 「申し訳ございません、沖田様」

 と、太兵衛は次には、その場に座ると平伏し。

 

 「お鈴は普段、店頭には出て参りませんため、仕事を詳しく存じておりませんのです。お鈴がこのような誤った採寸を始めると、手前に分かっておれば止めましたものを・・御無礼を致してしまいました」

 

 店頭?

 (この人たちって、呉服屋さんとか・・?)

 

 「なによ、このほうが測りやすいじゃない!」

 目を丸くする冬乃の先で、お鈴がツンと顔を背けた。

 

 「沖田様。こちらの紐を有難うございました」

 顔を上げた太兵衛を無視したまま、お鈴が沖田へ紐を返す。やはり下げ緒だったのだろう。

 

 「随分と変わった採寸の仕方をするとは思ったが」

 受け取りながら、沖田がむしろ愉快そうに笑った。

 

 「なるほど体の線は真っ直ぐとはいかない、お鈴さんのやり方は理にかなってるじゃありませんか」

 

 (・・・あ)

 

 つまり、平成の世でいうメジャーを使った測り方と同じことをしたのだと。冬乃は気がついた。

 

 「お優しいお言葉を頂戴して真に有難き事ですが、お鈴のふるまいは許されたものではございませぬ」

 畳に両手をついたまま、太兵衛が再び頭を垂れる。

 

 「そもそも仮にも呉服屋の娘、お体の線に綿密に合わせる測りは必要としませんことなど、お鈴は知っていて然るべきです」

 「太兵衛!いいかげんにしてよ、私に対して口が過ぎるわよ!」

 「いいえ・・っ、」

 

 太兵衛が再びお鈴を見上げた。

 

 「今日はこの太兵衛、さすがに言わせていただきます。御武家様のお体にまとわりつくなど、言語道断でございます!沖田様へお謝りください!」

 

 「っ・・!」

 お鈴が尚もぷいと顔を背けて。

 

 

 繰り広げられるやりとりに呆然としていた冬乃は、これまでの話からやっと状況を理解した。

 

 お鈴が沖田へ再三手紙で申し出ていたことは、助けてもらった礼に着物を作らせてほしいという事だったのだろう。

 訪ねて来てまでそれを願い出たお鈴に、沖田もさすがに断る理由がなく承諾したに違いない。

 

 そしてお鈴は太兵衛に、自分が沖田の採寸をするからと人払いを頼んだ。

 太兵衛もお鈴の気持ちが分かっていたから、彼女の願いを聞いてふたりきりにさせてやり、本当は採寸の仕事などしたこともない彼女に、あえて任せたのだろう。

 

 いったい邪まな想いがあったのかどうかは定かではないにしても、そしてお鈴は、太兵衛が想像もしなかった彼女のやり方で、沖田を採寸したということだ。

 

 

 (・・・なんか、)

 

 むかむかするのは。

 なぜなのか。

 

 

 「測っていただけなのだから謝らなくていいですよ。太兵衛さんもどうか頭を上げてもらえますか」

 

 沖田がけろりとした様子で、太兵衛へ声を掛ける。

 

 「しかし・・」

 「そうよ、私、沖田様のお体に合ったお着物をお作りしたかったからしただけよ!」

 「お嬢様!」

 

 実際のところどういうつもりかは知らないが、あんなふうに沖田に抱きついたお鈴に。

 

 「それより、先ほどお願いした事は、どうでしょう、聞いてもらえますか」

 

 

 お鈴にそれを簡単に許した、沖田に。

 

 

 (この気持ち・・・・怒ってる・・てことだよね・・・・)

 

 

 冬乃は。

 

 初めて、沖田に対して、怒りという感情が芽生えていることに驚いて。

 

 

 (だけど、・・だって)

 

 沖田に抱きついていいのは。自分だけだと思っていたのに。

 そんな想いは傲りだったのだろうか。

 

 

 彼と両想いになれる前の自分なら、間違いなく、こんなふうに怒っている自分自身のほうに怒っただろう。なんて勝手で贅沢な、と。

 

 

 でも、だとしたら。

 いま怒っている自分のほうがもしかして間違えているのだろうか。

 

 それを自分の権利だと思うから、怒るのであって。

 

 恋仲になれたからといって、彼を独占していい権利が与えられたと思うことは、傲慢なのだろうか。

 

 

 (・・・わからなくなってきた)

 

 

 ひとつ、わかるとしたら。

 

 今すぐこの場を逃げ出したいこと。


 

 「畏まりました。こちらのお方のお召しものをお作りさせていただくので宜しいのでございますね」

 

 「ええ、宜しく頼みます」

 

 

 「沖田様、何故でございますか・・!?」

 

 

 お鈴の叫び声に、冬乃ははっと思考から引き戻されて彼女を見やった。

 そして、沖田を。

 

 

 (そういえば・・なんで)

 

 「彼女はこのとおり組のために働いてくれているおかげで、隊の者と町に出る際には何かと危険もあり、ときに男装をしなくてはならない」

 

 「「え」」

 

 今度は冬乃とお鈴の声が直に重なった。

 

 「男装・・?」

 「ええ、彼女の寸法に合った男装のあつらえを用意してはもらえませんか」

 

 「なんと」

 太兵衛が丸くした目を瞬かせる。

 

 「御苦労をなされておられるのですね」

 太兵衛は冬乃のほうを見上げた。

 

 「手前どもに出来るかぎりのことをさせていただきます」

 

 そして今一度、お鈴のほうを。

 「宜しゅうございますね、お嬢様」

 「・・・」

 

 お鈴は明らかに不服そうだが、当の沖田の要望では断れないのだろう。例の睥睨を一瞬冬乃へ寄越すと、ふいと諦めたような顔になった。

 

 「それでは、難しい仕事となりますので不肖ながら手前が、お採寸を承ります」

 太兵衛が丁寧な所作で立ち上がる。

 

 (あ・・)

 「・・よろしくお願いします」

 

 冬乃は太兵衛に頭を下げた後、沖田を見た。

 

 あの優しい、冬乃だけに向けられる眼が、冬乃を無言で見返してきて。

 

 

 (・・・総司さん)

 

 まだ胸内に燻る想いは、残れども。

 

 

 一方で沖田の今のはからいには、嬉しい想いも擡げていて。

 

 「ありがとうございます」

 冬乃は、ぽつり呟くようにして礼を言うと、沖田にも頭を下げた。

 

 


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