161.
平成の世で。見ず知らずの女性から、
視線を感じて目が合った時すでに睨まれている奇異珍妙な体験ならば。時々あったが。
冬乃はまさか、この時代でもそんな目にあうとは思っていなかった。
「門のところに随分と着飾った女がうろうろしてる」
ここ数日、厨房での手伝いが日課になっている冬乃は、今日も食器の片づけを終えて幹部棟へと戻っていた。
あれから沖田の夜番が続いて、まだ一度もふたりの家へ帰れていない。つい溜息をつきながら、
そんな道すがら、通りすがりの隊士達が騒いでいるのを冬乃は耳にして。
(お千代さん?・・なわけないか)
泣く子も黙る新選組に、訪ねてくる女性はかなり珍しい。
そのひとり、千代には、だが快復した翌日に冬乃のほうから御礼を言いに訪ねており、そのときに追加の薬もまだ念のためと渡されているので、しばらく千代のほうから此処へ来ることはないはずだ。
というより、千代なら門前でうろうろせずにさっさと入ってくるだろう。
(なんだろう・・)
同じ女として少々心配になった冬乃は、数歩行ったのちに結局くるりと踵を返した。
門が見える位置まで着いてみると、なるほど洒落た柄の着物に身を包んだ若い女性が、行ったり来たりしながら中を覗き見ている。
冬乃は近寄った。
声を掛けようとした時、彼女も冬乃に気づいた。冬乃はすぐに軽く会釈を送りながら、何故かじっとり追うような視線を感じ、まもなく顔を上げきった時、
彼女のぎろりときつい睥睨が冬乃を迎えて。
瞠目した冬乃の、上から下まで次には一瞬にその視線を奔らせた彼女は、今度はフンと小さく鼻で嗤った。
(・・・・何このひと)
「新選組のどなたかに御用でしょうか。お取次ぎいたしましょうか」
苛立つ心を抑えて、冬乃は話しかける。
「貴女、ここの女中?」
仕事着姿の冬乃に、そう返してきた彼女の声音は高飛車で。冬乃はさらにむっとしてしまいながら、
「はい、組で働いております。御用でしたらお伺いしま」
「じゃあ沖田様に取り次いで」
(・・え?)
問いかけた冬乃の声は宙に浮いた。
(この人、総司さんの知り合い・・?)
「あの、何か面会のお約束が、おありですか?」
「・・無いわよ」
「では伝えてまいりますので、御名前を教えていただ」
「貴女に言ったってしょうがないでしょ」
いや、
「・・御名前も伺わずにとなると、」
こんな人が、彼の知り合いとは思いたくない。
冬乃は内心嘆息する。
「沖田様はお忙しい方ですから、せめて御用だけでも先にお伺」
「だから、あんたにいちいち言いたくないっての!」
またも遮られたうえに怒声まで浴びせられ、冬乃は同じ土俵まで下りて怒鳴り返したい想いを咄嗟に押しとどめた。
「“普通に” お取次ぎさせて下さらないのでしたら、申し訳ありませんが私にできることはありません」
「あんた・・っ」
「お嬢様」
不意に、彼女の叫ぶ声に重なり男の声がした。今までどこにいたのか門の陰から男が出てきて。
驚く冬乃に、男は会釈をすると、遠慮がちに歩んできた、
直後に男は彼女のほうへ、心底困っているような顔を向けた。
「やはり諦めてはいただけませんか」
「再三、お文を差し上げても沖田様からは辞退すると返されてきましたのでしょう、いきなりこうして訪ねては不躾にも程がありましょう。私はお嬢様がこんなことをして、旦那様に後で気づかれやしないかともう」
「うるさいわ、お黙り!」
「御前様も、とんだ御無礼をお許しください」
男はめげる様子なく今度は、唖然としている冬乃のほうを向いた。
「彼女はお鈴、手前は太兵衛と申します。手前どもは江戸でちょっとした商いをしておりまして、このたび京には休暇に参っております。先日、こちらの沖田様に、町中で助けていただきました」
そう言って慇懃に礼をする男の物腰を見るに、“お嬢様” のほうの態度はどうとしても、それなりに格式のある豪商の人間なのだろうと、冬乃は想像して。
彼女は勿論のこと男の着ているものも上質そうだ。それがゆえに彼らが町で、たかりの不貞浪士か何かに襲われたところを居合わせた沖田が助けたのだろうか。
(再三、手紙を出しても辞退されたって・・・)
男のその台詞からすると、彼女は沖田に手紙を何度も出していたのだ、改めて御礼をしたいという内容か、それとも、それだけでなく他にも・・
「・・そういう事でしたら、沖田様へ伝えてまいります。ここでお待ちいただくのも何なので、どうぞこちらへ」
冬乃は二人へ愛想笑いを向けた。
フンと彼女は顔を背け。男のほうが申し訳なさそうに再び頭を下げてきた。




