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145.




 少しまえ目が覚めた沖田は、まだ起き上がりはせず、

 伸びのついでに頭頂部で両手を組んだまま、ぼんやり昼下がりの天井を見上げていた。

 

 こうしていると思考にあがる存在は、当然のように冬乃であり。

 

 生殺しの日々に、いつまで耐えうるものやらと嘆息するも、冬乃の心が真に解放されるまで待つ想いにも変わりは無く。

 

 そんな折、ふと廊下を来る冬乃の気配を感じた。

 「総司さん・・」

 まもなく襖ごしに掛けられた声は、ひどく遠慮がちで。

 

 寝たふりをして彼女が傍まで来たら布団へ引き込んでしまおうかとも思ったものの、

 あの様子では答えなければ入ってこなそうだと。沖田は仕方なしに、入っておいでと返事を返した。

 

 襖がそろそろと開き。

 「もしかして起こしてしまいました・・?」

 まだ仰向けている沖田を目にするなり、冬乃が申し訳なさそうにその瞳を揺らした。

 

 

 「大丈夫。もう起きてたよ」

 沖田の返事に、ほっとしたように冬乃は息をついて、襖を閉めると、やはり遠慮がちに近寄ってくる。

 恋仲なのだから、いちいち遠慮しなくてもいいものを。

 沖田は滲む苦笑を隠さず、半身を起こしつつ冬乃を手招いた。

 

 「あの、近藤様から総司さんへこれを返してくるようにと・・」

 沖田の布団の横に両膝をついて正座した冬乃が、沖田の表情に戸惑った色をみせながらも、訪問のわけを告げてくる。

 

 「・・先生が?」

 冬乃の差し出す物を見遣れば、確かに数日前から近藤に貸していた根付だが。

 

 (妙だな)

 近藤は、たとえ弟子の沖田からであっても借りた小物を、他人に返しに行かせたりはしない。

 

 その手にある黒曜石よりもずっと美しい瞳を擡げ、沖田の様子に小首を傾げた冬乃に。沖田は僅かに目を眇めた。

 

 近藤がわざわざ冬乃を寄越した理由があるはずだ。

 

 小さな手から根付を受け取りながら沖田は、冬乃が伏せ気味の睫毛を揺らして、どことなく切なげな吐息を小さく零したのを目に、

 (・・・ああ、なるほど)

 そして、すぐさま思い至った。

 

 「何か考え事してた?」

 

 「・・え」

 再び睫毛を震わせた冬乃を、沖田はそっと見返す。

 「仕事に集中できてなかったのでは」

 

 何故わかるのかと聞きたげに、冬乃の瞳は見開かれ。

 

 「はい・・」

 一寸のち、その瞳は再び伏せられた。

 「ごめんなさい・・」

 

 「咎めてるわけじゃない」

 

 俯いてしまった冬乃へ、沖田は腕を伸ばし引き寄せた。傾いた彼女の「きゃ」と鳴る鈴声が、沖田の腕の中に落ちる。

 

 「ただ、先生は心配してるようだから」

 腕の中で驚いて顔を上げてきた冬乃を、沖田は間近に見下ろす。

 

 「その考え事は、もしかして俺のせい?」

 

 

 沖田を可憐に見上げる顔が、みるみるうちに紅色に咲いた。



 (・・・)

 

 仕事も手に付かなくなるほど、好きな女が己で一杯になる。なんぞ男冥利に尽きる、

 

 のだが。

 近藤が困る。すなわち沖田も困る。

 

 「・・冬乃、」

 愛しさはいったん押し遣り、今しがた無言の肯定を示した桜色の面をそのままにしている冬乃を、沖田はそっと腕から離した。

 

 「どんな事」

 代わりに、片頬を手に包んで冬乃の視線を持ち上げ、揺れる瞳を見据えれば、

 すぐにその眼は恥じらって沖田から逸らされ。

 「なんでも・・・ありません」

 

 そんな、冬乃にしては珍しい、どこか抵抗を醸す返事が返された。


 「仕事には集中するように以後気を付けますので・・」

 聞かないで

 と言いたげな台詞がそして、続き。

 

 「わかった」

 沖田は。追求はせず、冬乃の頬からも手を離した。

 

 あっさり引いたことに却って驚いたのか、冬乃の視線が沖田へ戻ってくる。

 

 「ただ・・」

 沖田はそんな冬乃をそっと覗き込んだ。

 もとい、

 

 「想う事がある時は、何でも遠慮しないで言ってほしい」

 

 少しばかり。想像はついていた。

 

 昼餉の席で、今夜は家に帰らず屯所に居るよう伝えた時の、冬乃の一瞬見せたひどく寂しげな表情は、言葉にされなくても雄弁だったからだ。

 常のように、

 あのとき彼女は静かにその心を抑えて、

 

 唯、小さく頷き。沖田も、彼女がそうすることを承知で。

 互いに何も言わず。

 

 

 (冬乃・・)

 

 遠慮するなと告げた沖田の今の台詞に、はっとしたように見返してきた冬乃は、だがまもなく露骨に俯くと「はい」と囁いて。

 

 そのまま黙り込んでしまった冬乃を前に、沖田は心内で溜息をついた。

 

 

 夜の巡察では、斬り合いに及ぶ頻度が格段に高く、命の競り合いは時に身を滾らせる。こればかりは、物事に激することなど稀な沖田でさえ例外では無い。

 

 心の持ちよう如何で生じなくさせられるものでは無しに、肉体の為すもの、

 つまりは性欲と同等の本能的作用だからだ。

 

 勿論、そうして生じた滾りを、

 鎮める段階になれば、それは心次第だが。

 

 

 性欲と紙一重のその滾りを内に抱えながら、冬乃を前にすれば、

 己がどういう情に駆られるか、火を見るより明らかで。

 

 抑える苦労をするぐらいならば、今夜は始めから冬乃には逢わないでいるほうがいい。

 

 

 だが、それでも冬乃がもし、想いを口にしてきたなら。

 沖田は当然に聞き入れていただろうと。

 

 しかしそれは、ありえない仮定でしかなく。

 

 

 いま、遠慮するなと伝えた後でさえ、そのことに変わりはない。

 

 

 「引き留めて悪かった」

 

 一抹の寂寥感を置き去りに。話の終了を示した沖田の台詞に、冬乃が再び顔を上げた。

 

 「残りの仕事もがんばって」

 

 

 冬乃は、弱く微笑むと。そっと立ち上がってその小さな背を沖田へ向けた。

 

 

 

 

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