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142.



 

 

 

 夢うつつの気だるさの中で、冬乃がそっと薄く目を開けたとき。そこに沖田の姿が見えず。

 

 襖の少しの隙間から零れ出る朝光に、冬乃は細めたままの目を向けた。

 

 襖の向こうの部屋に沖田の気配を探してみるが、音ひとつ無く。

 

 

 尤も顔を合わせても、恥ずかしさでまともに目も見られないだろう。

 

 冬乃は、もう目が覚めた直後から頭のなかに流れている昨夜あの後の風呂場での映像たちに、とっくに体ごと火照る感に襲われ続けながら、

 

 その後の記憶までは、だが想い出せず。

 

 (・・・どうやって、部屋に帰ってきたんだっけ?)

 

 

 「おはよう」

 (あ)

 冬乃の大好きなその声を、朝一番に聴けた歓喜とともに、

 

 見つめた先では襖が開かれ。急激に明るくなった部屋に冬乃は、再び目を細める。 

 「おはようございます」

 冬乃はそのまま火照る顔を隠すように俯かせて、気だるいままの半身を起こした。

 

 沖田の影が冬乃の前まで来て。顔を上げられない冬乃の視界の中、沖田が着流しの姿で腰を下ろすと、胡坐をかいた。

 そのせいで覗いた下帯に、冬乃は慌てて今度は視線を上げると、

 

 その見上げた先の顔が。溜息まじりに微笑った。

 

 「言葉遣いが戻ってるよ」

 

 (・・あ)

 

 仕方ないんです、と。冬乃は瞬時に思い至る理由に、目を瞬いた。

 

 改めて考えれば、当然なのだ。

 どんなにもう、馴れ馴れしくして沖田から冷められないか如何かの不安が拭い去れたとて、

 

 沖田への強い尊敬の念が消え去るわけでは無いのだから、口から自然とついて出てくる彼への敬語自体を無くすには、困難を極めるのだと。

 

 

 昨夜はあのまま敬語を抜くよう命令されていたから、なんとか従えただけで。

 

 冬乃にとっては、沖田に対して丁寧語なり敬語が使えないのは至極不自然な事態なわけで、

 “お仕置き” が終わってしまえば、その不自然な事態もやはり納まってしまう。

 

 (いつもずっと命令されていると思ってみればいいのかもしれないけど)

 それではドМもびっくりな自己強制である。

 

 

 (わかってもらうしかない・・よね)

 

 「総司さんのこと、」

 冬乃は説明を試みた。

 

 「すごく尊敬してるんです」

 

 貴方に出逢えるずっと前から

 

 冬乃はその頃を脳裏に、一瞬目を瞑る。

 

 「どうしても、その気持ちのまま私の口から自然に出ていってしまうんです」

 

 朝の光を背に、冬乃を柔らかな眼差しで見下ろす沖田へ、そして冬乃は願い出た。

 

 「このままじゃだめ・・ですか?」

 

 

 これもきっと、“わがまま” だ。

 

 今だから、こんなふうに二人の関係にたいして自分の主張として、まっすぐ伝えられるわがまま。もう、どんな想いを曝け出しても冷められたりしないと。思えるからの。

 

 

 

 見つめる先で、沖田がふっと諦めたように微笑んだ。

 

 「嬉しいんだか、残念なんだか、わからないな」

 

 「・・なるべく敬語が出ないようには・・します」

 と言ってる傍から丁寧語になっているが。

 

 「まあとりあえず、」

 沖田がゆっくり立ち上がる。

 「飯にしようか」

 

 (あ)

 昨夜はあれから勿論、夕餉を摂っていない。

 

 炭火の上の焼き終えた魚や、鍋に入りっぱなしの煮物やすまし汁を冬乃は思い出し、慌てて立ち上がろうとした。

 (きゃ)

 だが脚にうまく力が入らずにふらついて、

 しかも急に立ち上がろうとしたせいで、体内ですうっと血が落下し。目の前が星だらけになった冬乃へすぐに腕を伸ばしてきた沖田によって、がしりと支えられ。

 

 「大丈夫?」

 心配そうな様子で覗き込まれて、引き上げられながら冬乃は彼にしがみついたままこくんと頷いてみせた。

 

 (・・・しあわせ。)

 何度ふれてもきっと、この先も慣れてしまうことのない厚い胸板に抱かれて、冬乃は心の臓をとくとくと高鳴らせる。

 

 

 「・・・」

 いつまでも離れない冬乃に、沖田が応えるように腕の力を強め、冬乃の背を抱き締めてくれた。

 

 そのきつい抱擁に。冬乃は湧き起こるいつもの深い安心感で、そっと目を瞑る。

 

 ここは彼の腕の中、

 

 (ここが)

 冬乃の大好きな場所。この世の何処よりも。

 

 (この世どころか、未来の世だって)

 

 本当の、冬乃にとっての居場所は、ここなのだと。

 たとえこの世が、それを許さなくても。冬乃にとっては譲れない事。

 

 

 (・・・絶対に、見つける)

 

 あの不安に打ち勝つ方法を。

 

 

 「総司さん、ごめんなさい」

 

 呟いた冬乃を、何事かと見下ろす気配がした。

 冬乃は温かな胸に頬を寄せたまま、小さく息を吐いた。

 

 「待って・・いただいてる事・・・」

 

 

 何を。それを言わずとも、沖田に伝わったようだった。

 

 「気にしなくていい」

 頬を伝う穏やかな振動が、冬乃を包む。

 

 (総司さん・・)

 「冬乃を苛めているだけでも、けっこう満足できてるから」

 

 (って・・え?!)

 

 悪びれず、そのドSのサガをさらりと口にした沖田に。冬乃はぎょっと瞠目する。

 

 いや、冬乃を気遣ってわざとそう言ってくれているのだろう。

 冬乃は次には思い直しながら、目の前の沖田の襟をおもわず握り締めた。

 

 

 こういうことに関しての、

 男の側の気持ちをきちんと分かっているわけではない、

 

 (でも)

 女の冬乃でさえつらいのに。聞き及ぶかぎり、男性の性がこういう状況をつらくないはずがないのではと。

 

 

 (総司さん・・・本当にごめんなさい)

 

 唐突に冬乃の心を塞ぐ、あの氷の如き疎外感が。

 “禁忌” を前にした時、その時に限って、いつまでも消えてはくれなくても。もうそんな不安など、

 むりやり感じないように観ないように、すればいい。それだけの事なのかもしれない。

 

 つまりあの不安に打ち勝つには、そんな心の目自体を瞑ってしまうこと。

 

 

 だが沖田のほうが、それではきっとまた、冬乃のそんな機微に気づいて止めてくれて・・しまうだろう。

 

 

 冬乃がそう望むように。沖田もまた、

 無理などしていない、真にすべてから解放された冬乃を、望んでくれているのだろうから。

 

 

 (だから私が、本当に心からあの不安を追いやれないかぎり、だめなんだ・・・)

 

 でも何か、

 打ち破れそうな感を。昨夜は、それが錯覚だとわかっていても垣間みることが出来たように思う。

 

 冬乃の“本心” がどんなにか沖田を求めている事も、またいっそうに。

 

 

 (総司さん、どうか待っててください・・・)

 

 

 手の内の襟がたわみ。強く握り締めていたことに気づいて、冬乃ははっと手を離した。

 

 「冬乃」

 気遣うような眼が、呼びかけに見上げた冬乃の瞳に映る。

 

 「総司さん・・」

 

 

 愛しています

 

 どうしようもないほど

 

 

 とうてい口には気恥ずかしくてできないだろう想いを籠め、冬乃は沖田を見つめ返した。

 

 そしてまだ沖田の腕の中、離した手でそっと彼の襟のしわを伸ばすべく撫でつけて、

 「あ、の・・」

 ふと思い出した疑問を冬乃は口にした。


 「そういえばお風呂で私、もしかして寝ちゃった・・のでしょうか。・・どう帰ってきたか覚えてないんです」

 

 




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