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138.



 耳まで熱く。

 

 部屋に戻っても火照ったままの顔を、冬乃はどうしようもなく手で扇いだ。

 

 

 沖田に借りて羽織っていた服を畳み置く。平成での服を脱ぎすて、此処で買った着物を纏い、此処の世と冬乃が繋がる感覚をまたひとつ取り戻して。

 

 それでもその程度では当然に癒えることのなかった疎外感を。今は翳ませそうなほどに、心奥で強い歓喜に、支えられ。

 

 

 その歓喜が、嘘と禁忌で固めたさらなる罪悪感と、紙一重でも。もう、冬乃はかまわない。

 

 

 

 沖田は、

 もし冬乃がいずれ未来に永久に帰ることを知ってしまえば、冬乃を抱くことはないだろう。

 

 (総司さんなら、)

 

 同時にこう言うだろうからだ。

 

 あくまで今の話は仮定でしかない。

 人智を超えた此の世のしくみなど、所詮、人の想像でしかないと。

 

 

 (でも)

 だからこそ、人の迷いの救いにもなるというもの。

 

 (たとえば私の不安を解き去ったように)

 

 ゆえに沖田は冬乃に話して聞かせてくれた。冬乃が産まれた世を離れて此処で、これからずっと生きてゆくと思うからこそ、そんな不安ならば和らげようとして。

 

 

 だがそれもすべて、冬乃が未来にいつか永久に帰る前提では、無いからで。

 

 未来へ帰るならば、明らかにその現実的な問題が立ちはだかるならば。沖田がそれへ目を瞑り、所詮は人にとって想像にすぎない仮定を、優先するはずがなく。



 (ごめんなさい・・)

 

 この先もずっと、沖田へ嘘をつき続けることになる、

 元より沖田と想いが通じ合えた、あの時から。

 

 それでも、

 

 (もう私は。貴方の一番近くにいられるほうを選びたい)

 

 

 冬乃のための優しい想像の『おとぎ話』を、

 冬乃は勝手に裏返しの解釈をして、その可能性に賭けて。冬乃の内に蔓延ってきた、現実への不安から己を解放してしまった。

 

 ふたりが子を生すことがもしも、この奇跡に許されていないのならば。そもそも授かることは無いと、

 その可能性に。

 

 この奇跡のなかで、

 その解釈が正しいかどうかなど、人である冬乃にも誰にも、知りようがない。もし違えていたなら冬乃の選択は、

 やはり時の流れの、もうひとつの禁忌を破ることになるだろう。


 (だけどもう、かまわない・・・)

 

 

 いっそ、授かりたい。それこそが元々、冬乃の本心の願いですらあり。

 沖田の言ったように、授かる可能性のある行為を前にして親になる覚悟、それさえあれば。

 

 それは冬乃においては殊更、己の手で育てることができなくなってもその子が生きていけるように、

 授かる奇跡がもし本当に起きたなら、現実的に動かなくてはならない責任をも含んでいる、

 

 もし、やはり此処の世へ冬乃が留まること許されず、未来へも連れて帰ることが叶わずに、離れる日が来てしまうとしても。此の世で安心して託せる先を必ず探すという。

 

 

 (大丈夫・・)

 

 “成るべくして成る”

 

 冬乃と沖田に一心に愛されて産まれてくる子を。

 この奇跡が祝福しないはずがない、

 

 時を超えた二人が、子を授かるならば。

 

 それ自体が、まぎれもない奇跡であるなかで。

 

 

 (だけどどうか、叶うなら)

 

 此の世に留まることが許され、

 本当に、沖田との孫に囲まれる最期を迎えられたなら。

 

 

 

 限りない疎外感は、一方で今この瞬間もふと冬乃を苛む。

 

 だからこそ、沖田の話も、導き出した可能性も、冬乃には強く真実味を帯びていた。

 

 

 この強烈な排他感と、同じほど直観的に。

 

 

 (そう、・・きっと授かることは無い・・・)

 

 

 

 

 沖田の着物を手に、冬乃は部屋を出る。

 

 

 (唯一いま分かる事は、この先のことは分からないという事)

 

 

 だから、もう迷わない




 初夏の緩やかな風を受ける。心は澄みわたって。沖田の待つ幹部棟へと、冬乃は歩を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おかえり」

 

 優しく甘く、冬乃だけに掛けられる声が迎えてくれて。冬乃は声の主を見上げて、溢れる幸せにそっと微笑んだ。

 

 「じゃ、先生の所へ行こうか」

 さっそく促す彼に連れられ、冬乃はすぐまた廊下へ出る。

 

 

 

 沖田と冬乃が入ってくると近藤が、文机から顔を上げて振り向いた。

 

 「ご無沙汰して大変申し訳ありません」

 冬乃は近藤と目が合うなり、深く頭を下げた。

 

 「いいんだ。帰ってきてくれて嬉しいよ」

 

 その温かい声音に冬乃は嬉しい反面恐縮しながら。沖田に合わせて冬乃も近藤の前に座ると、近藤が「あの話だな」と沖田を見やった。

 

 「ええ」

 沖田もまた、近藤へと頭を下げる。

 

 (あの話・・?)

 

 「冬乃さん、」

 近藤が膝をにじって冬乃達へ体ごと向き直った。

 

 「総司から依頼されてね。貴女を私の養女として、迎えたい」

 

 (え・・?!)

 

 「・・・」

 

 よほど驚いた顔になっていたのだろう。近藤が、にっこりとその愛嬌のある顔を綻ばせたと思ったら、「こら総司」と再び沖田を見た。

 

 「本当に何も伝えてなかったのか」

 

 「はい。冬乃の驚いた顔、可愛いでしょう。先生にも見せてさしあげたくなりまして」

 (え)

 

 ますます驚いた冬乃を横に見返し、沖田がにやりと哂う。

 近藤からは最早、笑い声が起こった。

 

 「親ばかならぬ、夫ばか、だなこりゃ」

 

 (お・・)

 

 夫ばか?!

 

 「なれるとして、内縁の夫・・だけどね」

 続けた沖田の台詞に、はっと冬乃はこちらを見る沖田の目を見つめた。

 

 いつかに冬乃は、沖田が千代と内縁の祝言を挙げただろうと考えた時の事を想い出して。

 

 (総司さん・・)

 

 「俺は家を継いでいないため、貴女と正式な婚姻はできない」

 

 「・・寺請」

 おもわず呟きかけた冬乃に、沖田が目を見開いた。

 「寺請制を知ってるの?」

 とくとくと胸の鼓動が増す中、冬乃は小さく頷く。

 

 「それなら、話が早い」

 近藤のほうから、ほっとしたような声が漏れた。

 

 「その寺請の制度により、元々貴女のような、どの寺にも属していない状態は社会的身分が無いんだが、それでは此処で本来まともに生きていくことはできないのは分かるかな」

 

 近藤の確認に、冬乃は再び頷いた。

 

 「これまでは俺達がいたからいいが、」

 沖田が引き継いで続ける。


 「もし俺達がいなくなっても此処の世で貴女の頼る先がのこるように、近藤家に貴女の“実家” となっていただいた。つまり今は、貴女は近藤家の菩提寺に属し、近藤家の人間として社会的身分を有している」

 

 (あ・・・)

 近藤の養女に迎えられたのは、そのため。

 

 「貴女が此処で生きてゆくためにあと必要なものは当然に金だが、これも先生を通し、江戸にいらっしゃる先生の奥方に既に預けてある」

 

 「妻のツネには事情を全て伝えてあるよ」

 近藤がさらに追って続けた。

 

 「私達に何かあれば、ツネを頼ってくれればいい。江戸の私の家はもう貴女の“実家” だ。

 いつか機会があれば貴女と総司と私で江戸に行き、ツネと顔合わせをしたいと思っている。身分がある今の貴女ならもう通行手形も持てることだし」

 

 

 「近藤様、総司さん・・」

 冬乃はおもわず畳に両手をついた。

 

 (こんなに考えてくださってたなんて)

 

 「ありがとうございます・・」

 

 頭を垂れた冬乃の声は、震えて。

 

 

 時の壁に阻まれ、疎外感にどれだけこの先また打ちのめされようと、

 此処には冬乃を受け入れてくれる沖田と近藤と、藤堂たち組の仲間が居る。改めてその幸せを冬乃は噛み締め。

 

 そして。

 

 「本当に・・ありがとうございます・・お義父様・・・」

 

 

 産まれた世で、父親に恵まれなかった冬乃が。

 

 此処の世に来て、こんな温かい父親をもてた幸せを。

 

 

 (もうなんて御礼すればいいのかも・・わからない)

 

 

 涙が溢れそうになりながら、さらに頭を垂れる冬乃に。

 

 「お義父様とは、いざ呼ばれると照れるな」

 

 近藤の、台詞どおりに照れたような声音が返って。

 

 

 冬乃は顔を上げられずに涙を堪えた。

 

 (こんなにしてもらったのに、だけど私は)

 

 此処の世に残ることは、

 きっと叶わないなんて。

 

 

 冬乃は、震えそうになる指先に力を籠めた。堪えきれなかった涙が、一滴、手の甲に落ち。

 

 「頭を上げてくれ、冬乃さん。それに私は総司から頼まれたことをしただけだ」

 

 近藤の呼びかけに、だが冬乃は上げられずに。

 

 「先生が俺の無茶な頼みを聞いてくださったからこそ実現した事です」

 

 俺からも改めて礼を申し上げます

 沖田が、そんな冬乃の隣で一緒になって手をついた。

 

 「総司まで。やめてくれ、俺は殿様じゃないんだ、平伏されるのには慣れてない」

 もはや困惑しだした近藤に、

 その温かい人柄に、冬乃の胸内まで温められた想いで。そして却って申し訳なくなった冬乃はついに頭を上げた。

 

 沖田も同じく頭を上げると、

 「ですが、“俺達” にとっては先生は、殿以上に父上ですから」

 

 にこにこと。

 そんなふうに告げるのへ。冬乃はどきりと沖田を見上げる。

 

 (総司さん、それって)

 

 「・・総司、それについては」

 

 「先生が、俺に良家の子女をとお考え下さろうとも、俺がいずれ娶るならばそれは冬乃しか考えられません」

 

 

 (総司さん・・っ)

 

 

 近藤にどこか畏まったふうで再び頭を下げる沖田を、横に。

 

 彼の口から今はっきりと、そんな言葉を聞けたことに。冬乃は一瞬に感極まって声も忘れ沖田を見つめて。

 

 「冬乃」

 顔を上げた沖田が、冬乃を見つめ返す。

 

 「然るべき時が来たら。祝言を挙げよう」

 

 

 (これって・・・婚約・・・)

 

 冬乃がなお声も出せずに、瞠目するのを。

 

 見ていた近藤が、そして溜息をついた。

 

 「ここまで宣言されては、反対しようがないじゃないか」

 

 はっと近藤を見た冬乃の目に、言葉とうらはらにひどく嬉しそうな笑顔が映る。

 

 

 「総司、冬乃さん。幸せになってくれ」

 

 

 (近藤様)

 

 もうこの上ないほど幸せです。冬乃は声を詰まらせたまま胸内に呟く。

 

 

 「先生」

 沖田が穏やかに微笑んで、近藤を向くと。

 

 そしてとても穏やかに告げた。

 

 「俺達は、」

 

 

 今夜は休息処へ泊まります

 

 ・・と。

 

 

 

 

 

 その、普段と何ら変わらぬ口調に面食らった様子で、

 「お・・おう。わかった」

 近藤のほうが赤面して頷く前で。

 

 冬乃に至っては全身で火を噴くかの事態となり、当然に近藤を見られず、視線は畳の一点へと集中砲火し。

 

 (そ、総司さん、あいかわらず飄々すぎます・・・っ)

 

 

 「今日はもう冬乃さんに頼む仕事はとくに無いから、ゆっくりしていてくれ」

 

 近藤の気遣うように追わせてくる言葉に、

 冬乃は余計に近藤を見られないままに「ハイ」と返事をしながら、

 

 沖田が横で立ち上がる袴の布擦れの音に、

 さらに緊張して。

 

 

 「冬乃、」

 

 だが冬乃の緊張などよそに。沖田の常の優しい声音が降ってきた。

 

 

 「今日は俺も非番だし、もう今から行く?」

 

 

 

 

 その時どう返事をしたのか。

 それから冬乃は心まで高熱に見舞われ、よく想い出せない。

 

 のぼせた状態で、駕籠に乗ってふたりの家へと向かい。

 その美しき三千世界の小さな庭を前に、立つまで。

 

 

 







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