136.
冬乃に奔った緊張をよそに、沖田がそのまま鞘ごと刀を抜き取り、
つと冬乃のほうへ歩を進めた。冬乃の横を刀を手に素通りしてゆく。
(・・ばか私)
刀掛けへと戻す広い背を見ながら、冬乃は自嘲に流れる。
沖田が、その刀で冬乃を仕置きするはずが無かった。
それでもまだ、冬乃はなぜか緊張を解けず。沖田がこちらへ振り返るのを固唾を呑んで見つめた。
なぜにも、
沖田が纏う気は、部屋の穏やかな昼下がりの雰囲気とは一線を画し。
『罰して』
そう願った冬乃の。
「・・お望みのままに、」
瞳を見据えて微笑んできた沖田が、だがすぐにはこちらへ来ることなく、ついと視線を逸らすと押し入れの側へと向かい、
開けた先の行李から、沖田の手が取り出したものを冬乃は、その理由がわからずに見つめる。
「 “仕置きする” のは構わないが」
再び沖田が振り返った。
「俺にそれを望めば、何をされるかぐらいは・・もう分かるよな」
瞠目した冬乃の前まで来た沖田が、
「元より、そういうつもりか」
ふっと哂って覗き込んでくるのを。冬乃が困惑に見上げた、
視界に。
沖田の持ってきた手拭いが、左右へ広げられたのが映った。
(え?)
「…ン!」
冬乃の唇を割るように、その手拭いは冬乃の口内へと侵入し。
沖田の回した手によって冬乃の頭の後ろへと結ばれてゆく。
きゅっと絞められるごとに、冬乃の舌が抑え込まれるようで。
「ン、ッ」
(総司さ・・これ、って)
猿轡、
拷問の際に声を封じるための拘束、ではないか。冬乃は蒼くなった。
(え、と・・・ええ?!)
「冬乃、」
痛くない?
している事とはうらはらに、ひどく優しい気遣う声が降りてくる。
戸惑いで目を瞬かせながら、とにかくも頷き返した冬乃の、
手拭いに割り入れられて閉じきれない唇は、さらに上から深く口づけで塞がれ。
冬乃は咄嗟に目を瞑った。
同時に冬乃の両手首は捕らえられ、引き寄せられて壁へ背ごと押し付けられ、
頭上へと、沖田の大きな片手でまとめられるのを感じ。
冬乃は壁との間に閉じ込められ、沖田からの強引なまでの口づけに、なすすべもなく。
まるで、喰すように、
離れていた時の空白を埋めるように。初めてここまで荒々しく施される口づけでさえ、彼からの行為だという、唯、それだけで、
冬乃の身の芯を痺れ奔る、あの常の情感を呼び起こして、
冬乃の体じゅうから身の力も、理の意識も、ふたりの繋がるその一点へと奪われてゆくような感覚に、溺れてしまう。
やがて冬乃は頭上に両手を括られたままに、首筋へ、鎖骨へと、一つ一つ辿り下る口づけを受けてゆき。
「…っ」
彼にはもう、この先に向かう行為を止める必要など――無い、ということ、
沖田にとって、
たとえ冬乃があともう一度帰ろうとも、今回冬乃が家族と話をしてきた上で戻ってきた、それが答え。
そのことに。
冬乃は次の瞬間、気づいて。
(待って、総司さん・・・!!)
「ンンー…!!」
ことばを、
紡ぎたくても。
舌を抑え込まれ口を塞がれている、今の、状況では。
(どうしよう・・・・っ)
同時に冬乃の肌を擽り撫でる、太い指の感触。
容易に、冬乃の息は上がってゆく。
突きつけられる。
もとから、
沖田に求められたら、抗うすべなど。冬乃には無いことを。
魂が、心が、――体が。
これ以上ないほど近づきたいと、求めてやまないのは。
冬乃も、同じなのだから。
「…ン、…ッ」
何かが、頭上の壁に括りつけられた冬乃の腕を伝い落ち、
ゴトッと鈍い音を立てて、足元の畳で跳ねた振動がした。
(・・・?)
すぐには、それが冬乃の手が握り締めていた携帯だとは分からなかった。
冬乃は足元に視線を落としてから、
自身の自由になるすべての力が、ついに抜けきってしまった結果だと。次には気づいて。
「ンン…!」
冬乃は再び慌てて、沖田の行為にゆだねきっていた身を、俄かに取り戻した理性で抗う意思をこめて捩ろうとした。
「冬乃」
許されず。
易々と、冬乃の捩らせた腰は抑えつけられ、
「逃がすつもり、ないけど」
揶揄うような光る眼が、冬乃を見下ろす。
(総司さん・・・っ・・)
「と言いたいところだが」
(え?)
だが降ってきた台詞に冬乃が驚いて、目を瞬かせた時、
そんな瞬く冬乃の瞼へと、これまでとうってかわって穏やかな口づけが落とされた。
「今は、ここまでにしてあげるよ」
また後でね
沖田の続けたその据え置きの宣言に。冬乃は結局、息を呑んだものの。
「何か、よほど言いたい事がありそうだから」
そう言い微笑う沖田を見上げ、どきりと瞳を揺らす冬乃に、
言ってごらん、と沖田が冬乃の両腕を解放し猿轡をほどく。
「ん・・?」
優しくも熱の篭った眼差しはあいかわらずに。
少しいたずらな笑みを添えて、沖田が冬乃を覗き込むのへ、
冬乃は、答えられるはずもなく目を伏せた。
(総司さん・・)
彼に、最後まで近づきたくて
でもそれは決して許されない望みで
(もう、狂いそう・・・)
そんなことを。
伝えられるはずも。
「あの、今日・・」
冬乃は小さく拳を握り締めた。
「月のものが、来そうで・・・ですから、あの・・・・」
「・・・・」
冬乃は目を合わせられないまま。どころか視線に耐えられずに目を瞑った。
(露骨・・すぎた・・?)
「っ・・」
ふと、首の後ろへ温かい手を感じた冬乃ははっと瞼を擡げた。
額に、口づけられ。そのまま抱き寄せられて沖田の分厚い胸板に、いま口づけられたばかりの額が当たって。
「・・御免、」
慈しむような声音が直に届いた。
(え・・)
冬乃の今の制止が咄嗟の嘘であることなど、気づかれているかのように、
「貴女がまだ望まないところを無理強いする気は無いから、」
心配しないでいい、と。
(違うんです・・)
哀しくなるほど優しいその声音は。
冬乃の胸奥を締めつけるだけ締めつけて、解くすべもなく。
(私は、)
この箍を。
外したいのに。
(どうしたら・・・・)
「・・冬乃?」
「わからなくて怖いんです・・」
声が震え。冬乃は、そっと額を離して顔を上げた。
体の前の、沖田の着物をおもわず握り締める。
「私は、未来から来て・・総司さんは、此処の人で」
沖田の死後、冬乃はきっと帰されてしまう、
此の世への帰属を許されていない、此処へ来た時から幾度となく痛感する、冬乃を苛み続ける強烈な排他感。
沖田の生きている間だけの。この世界。
それを直接に伝えることはできずとも、
どうにかして、伝えなくてはならない。
「“産まれた世” が違うふたりが・・・結ばれたら、どうなってしまうのかが」
帰らなくてはならない以上は、
決して、ふたりの間に新しい命を生むわけにはいかない。
だから、
叶わない夢。結ばれるはずも無いことを。
「・・・ごめんなさい」




