123.
(我ながら・・修行がたりないようだな)
この情を抑えられなかった。
冬乃の視線を捕らえることに成功し、可愛くてつい追いつめていたら。そのまま襲いたくなった。
後で最終的に抑えることになるというに、そんな苦労をすることなど分かりきっていながら。沖田は自嘲するも、
冬乃相手では無理もないと、開き直り。
今に至る。
(冬乃・・)
色づいた頬で浅い息に喘ぐ冬乃を、近距離で見下ろせば、
蕩けきった瞳が、やがて重たそうに擡げられた瞼の向こうに覗き。
「そう・・じ、さ・・ん」
何かを言いたげに。それでいて、何も言えなそうに。
切なげに冬乃が、ふるりと睫毛を震わせる。
(心配しなくていい)
最後まではしない
胸内で囁き、沖田は冬乃の首すじへ顔をうずめた。
小鳥の声がして。
「おはよう」
目をあけた冬乃の目覚めを、沖田の澄んだ瞳が愛しそうに迎えた。
(きゃ・・っ)
冬乃のほうはそのあまりの近さに、瞠目するとともに、
一瞬に、昨夜のふたりを想い出し。
頬が火を噴いた。
(きゃあああぁ!)
駆け巡った記憶に、そして固まったまま心内で叫び出す冬乃の。
首の下で、沖田が、置いていた腕を少しずらした。
(あ・・っ)
その腕枕に。
今更ながら気づいて冬乃は、慌てて頭を上げて。
冬乃が起きるまで動かさないでいてくれたに違いなく。
「いいよ、まだ」
だが起き上がった冬乃を、沖田が横になったまま見上げた。
「で、でも」
痺れてしまっていたりしないのだろうか。
心配する表情から伝わったのか、沖田が腕枕にしていた腕のほうで、冬乃の頬を撫でてきた。
「この通り、痺れてないよ」
冬乃はほっとして、
それでも、また自分から沖田の腕枕へ横になるのは恥ずかしく、戸惑っていると、
「おいで」
沖田のもう片方の手が伸ばされ、冬乃の腕を引いて。
冬乃は引き寄せられ、沖田の腕の上へと戻った。
と同時に、冬乃は慌てて目を瞑り。冬乃のどきどきと鳴り出す心臓をよそに、目を瞑ったままの冬乃の頭を沖田の手がそっと撫でて。
「冬乃」
続く沖田の呼びかけに。冬乃は観念して瞑った目をそっと開ける。
やはり、あまりに目の前に沖田の顔。
(心臓が・・っ)
横になっているのにくらくらし出した冬乃を、沖田が朝の柔らかな光のなかで、にっこりと微笑んだ。
「昨夜の冬乃、最高に可愛かった」
もちろん。冬乃は大急ぎで、顔を両手で覆った。
(朝なのに、もうだいぶ気温高い・・最近すごい勢いで夏になってる気がする)
などと冬乃は今。
昨夜のことを想い起こしてばかりの浮き立つ心を、いいかげん何でもいいから他の事へ向けようと、懸命になっていた。
ことごとく。失敗しているものの。
あれからしばらく沖田の腕枕の上で、冬乃はひたすらどきどきしていたが、やがて風呂に行くと言い出した沖田に合わせて、冬乃も起き上がって部屋へと戻っていた。
後ほど沖田が、広間へ共に行くため迎えに来てくれることになっている。
(総司さん・・)
どうしても、どうしても、昨夜のふたりを想い起さないでいられるはずがない冬乃は。もう何度めかなんて分からない溜息をつく。
沖田は守ってくれた。まだ冬乃を抱かないと、言ったことを。
そんななかで大切に愛された記憶は、冬乃をこうして、たえまない幸せな回想の中に閉じ込め、まったく抜け出せなくさせてしまっていて。
(・・早く、近藤様に朝の挨拶に行かなきゃいけないのに・・)
とてもじゃないが、この未だ浮かれに浮かれた精神で、顔を出す勇気など無い。
冬乃は畳にへたりこんで、途方に暮れた。
(早く。心頭・・じゃなくて煩悩滅却、しなきゃ)
念を入れる端から、ふたたび幸せの溜息が零れてゆく。
到底。滅却しそうになかった。
沖田が朝風呂から出てくると、隣の井戸場に、永倉と原田が居た。
「お、噂をすれば」
原田がにやにやしている。
「おはようございます」
一応年上の原田や永倉への礼は通す沖田だが、内心、今日は何の話をしてくるのやらと苦笑して立ち止まってみれば、
「感謝しろよ!俺が差し向けてやったんだぜ。おむすびと共に」
原田が胸を張った。
成程、沖田の帰屯を冬乃に知らせたのは原田だったようだ。
「で、どうだった昨夜は」
見返せば、原田がこれでもかというほど期待を籠めた瞳で見つめてくる。
「さっき、顔を洗いにきてた嬢ちゃんとすれ違った」
原田は促すように言い足し。
「今朝の嬢ちゃん、すげえ艶っぽかったぜ?これはもうおまえら、いくとこまでいったんだろ?」
原田の隣では、もう少し事情を分かっている永倉が、半信半疑の目で沖田を見ている。
沖田は。一呼吸、置き。
「今時点でいけるとこまでは、いったかな・・」
呟いた。
「・・・んん?」
一寸のち、原田が首を傾げ。
永倉は噴いた。
「“差し向け”てくれて有難う、原田さん」
今度礼をしますよ
「・・・」
そう言い置いて飄々と去ってゆく沖田を見ながら、
原田が「んで結局いったのか、いってないのか」と混乱しだす横で。
永倉があれこれ想像し始めて、暫く悶々としたのは。言うまでもない。
結局冬乃は、近藤に挨拶に行く勇気が出ないまま、時ばかり経ち。
この朝の挨拶の時に、近藤から朝餉後の手始めの仕事内容を先に伝えられる日もあれば、まだ決まってなくて挨拶だけの日もある。
なんにせよ、冬乃の存在確認も含めて、日課となっていた。
存在確認とは、要は、冬乃が今朝も未来に帰っておらず確かに此処に居る、という確認である。
どうせ朝餉の後に来るのだから、来れたら来る程度でいいよ、と近藤は言ってくれているものの。
そんなこんなのうちに、沖田が迎えに来た。
障子越しの声に慌てた返事だけして一向に現れない冬乃を、訝ったらしく、「入るよ」と声がして。「はい」と消え入りそうな声になってしまいながら返すと、障子が開き。次には、
冬乃の様子を見た沖田が微笑った。
「大丈夫?」
畳にへたり込んでいるのだ。
当然ながら、
(大丈夫くないです・・)
「立てる?」
言いながら沖田が入ってきて手を差し伸べてくれるのへ、
冬乃が恍惚としたまま、手を渡せば。いつものように優しく力強く、引き上げられ。
いや、いつもと違うのは。
沖田がそのまま深く、腕に冬乃の体を抱き締めながら、つと冬乃の顎にその指をかけ、持ち上げるなり優しく深く口づけてきたことで。
(そうじさん・・・っ)
一瞬にして、昨夜の情感が甦り。
冬乃の体は更に力が入らなくなって、沖田の腕に完全に身を委ね。その口づけに唯々、酔いしれた。
その長くも短い時間ののちに、冬乃は唇を離れてゆく熱に。追うように、目を開ける。
もっと、して
きっとそんな表情に、なってしまっていたのだろう。
見下ろす沖田が、愛おしそうに。体に力の入らない冬乃を、今一度強く抱き締めてくれた、
「これは、持ってきたほうがよさそうだ」
そんなふうに微笑いながら。
もう幸せ過ぎる、と。冬乃は蕩けきった心で、沖田にそっと体を離されながらも、
彼の逞しい腕に掴まり、抱えられるようにして畳へ座る。
二人分の朝餉を取りに出てゆく沖田を、冬乃は陶然と見送った。




