111.
沖田に手を引かれながら。
紺色が勝りはじめた宵空の下をゆく。
先程からの流れに、思考のほうが置いて行かれている冬乃は、
そして幾度めかの、震える息を吐いた。
沖田に繋がれて前へと伸ばす腕を、もう何度もつねって夢でないことをまた確認しているのに、それでも信じがたいのはもとより仕方がないのだろう。
(だって、なんで・・)
つい昨日沖田は、冬乃とはつきあえない、と永倉へ言ったのだ。
それなのに、突然のこの展開。
どう考えても、解らない。
(けど)
あの口づけが、
沖田の、冬乃へのたしかな気持ちを証していることは、疑いようもなく。
あんなにも、想いをこめられて、
疑えというほうがむりで。
思い起こすだけで、蕩けるような心地に体がふらつきそうになるのに。
彼のあの口づけ以上に、濃厚に感情をこめられた伝え方なんて、むしろ他にあるのだろうかと。
ことばでの抒情さえ、要さずに。
(おきたさま)
どうしても、まだ夢の中のようだった。何度もつねった腕が袖の下できっと紅くなっていても。
冬乃は震えてしまうままの息をふたたび零した。
今だって、繋ぐ手は強くて優しく。まるで大切なものを離さぬようにして。
沖田そのもののような、強さと優しさを同居させたその手に引かれて、冬乃は彼の広い背を見上げる。
(夢であるのなら。夢でもいい)
一生さめなければ。
おもえば沖田に初めて逢えたとき、咄嗟に祈った事だった。
あの時は、こんな日がくることを想像もせず。
冬乃は滲んできた涙に、空を仰いだ。
幹部棟の玄関前で、沖田が振り返る。
冬乃は立ち止まって。遠くの篝火の照らす薄闇の中、沖田を見つめ返した。
「冬乃」
低く穏やかな優しい声。
「はい」
その声に。
こんなふうに、名前を呼ばれる日が来るなんて。
「おいで」
冬乃は、繋いだ手をそっと引き寄せられた。
指が絡められ。先程までより少し強く握りこまれて。
絡められたままに、その手を引かれて玄関を上がり。沖田が部屋の前、片手に襖を開け、冬乃は導かれながら行灯の燈らぬ部屋内へと入った。
襖が閉まる音とともに、
絡めた指を引かれて冬乃は、沖田の腕の中に、なだれこんだ。
冬乃の背に回った沖田の腕に、吐息が零れるほど強く抱き締められた冬乃は、
胸内で溢れだす幸福感に、圧されるように目を瞑った。
灯りも点さぬ薄闇の中、ふたり立ち尽くしたままに。冬乃は、もうとても長いあいだ抱き締められているのかもしれないと。ふと思った。
冬乃のあんなに激しかった鼓動が落ち着くほどに、
沖田と呼吸の波が穏やかに同調するほどに。
(沖田様・・)
がっしりと硬くて、温かですごく安心する、冬乃の大好きなこの場所は、あまりにも居心地が良くて。どんなに長く時が経っていてもまだ離れたくない。
沖田とこうしていることが、言葉になど出来ないほど冬乃にとっては幸せなことを。彼は知らないに違いないと、
冬乃は胸内で小さく溜息をついた。
(だって)
こんなに、冬乃を蕩かしてしまってどうするのだろう。
突然の彼の心境の変化のわけを、部屋に着いたらきちんと聞いてみようと思っていたのに。冬乃は今は只々、もっとこうしていたくて仕方ない。
冬乃の身じろぎに。だが、沖田がほんの少しだけ、腕の力を緩めた。
それだけでも、
冬乃は、もう離れなくてはいけない頃合が来てしまったのかと、ふと愁えて。沖田を見上げていた。
沖田が応えて見下ろしてくる。冬乃の瞳の慣れた薄闇にくっきりと映える、彼の引き締まった精悍な顔が、そしてゆっくりと近づいてきて。
その眼が、どこか熱を帯びた色をみせた時、
(あ・・)
冬乃はおもわず目を閉じていた。




