103.
「おお・・おい・・」
最初に沈黙を破ったのは、向かいに坐す原田と永倉だった。
「何、お・・まえら、どういう事・・」
あれから広間に来るまで彼らに会っていないので、当然まだ彼らにも、冬乃たちが恋仲のふりをすることは伝えていない。
冬乃は冷や汗を感じながら、
沖田から顎を離されたままに、おずおずと彼らを向く。
「・・て・・嬢ちゃんのその首、よく見りゃ、痕・・」
「あ?」
目の良い原田の指摘に、永倉が身を乗り出した。
「・・ほんとだわ、しかも二つも付けてるし!・・沖田やってくれるなあオイ!」
二人が最早そのまま豪快に笑い出した声に重なって、
「え?!」
「二つ?!」
先刻の隊士達のほうからは変な悲鳴がして。
続いて広間じゅうで、変な呻き声がした。
「彼女とは、先程、」
沖田が。原田達へ返事をする。勿論、広間じゅうに聞こえるように。
「想いを確かめ合ったので、その時に」
付けたと。
「「・・・・!」」
“確かめ合う”の、意味を。
深読みさせる意図が、明白な。
悪怯れもせぬ沖田のそんな台詞を受けた、原田と永倉だけでなく、広間じゅうが、
改めてごくりと、唾を飲み込み。
ひとり純粋に、告白し合った事だと思った冬乃が、それでもそっと頬を染めて俯いた。
居たたまれず広間から次々と去ってゆく隊士達の波から抜けて、山野が遠慮がちに冬乃へ近づいた。
「沖田さん、すみません」
山野を一瞥した沖田に、山野が小さく会釈する。
「最後に彼女と一言、話させてください」
(最後にって)
山野の台詞に少し驚いた冬乃が、立ったままの彼を見上げれば。
「良かったな・・」
首元を凝視してくる山野から、そんな台詞が零れて。
「俺、いさぎよく諦めるよ」
そして山野の目は、冬乃を柔らかく、切なげに。見つめて微笑んだ。
「幸せにな・・・!」
山野の祝福に、冬乃は小さく微笑み返した。
「なんだよもう、びっくりさせやがって!」
幹部棟へ帰った沖田達は、永倉と原田に事情を話した。
「しかし、あの“牽制”は凄かったぞ」
「やるなあ、沖田」
くひひ、と愉しそうに思い出し笑いをする永倉達に、廊下を通りかかった井上が「どうしたー」と話に入ってくる。
「源さん、おかえり!」
「聞いてくれよ、こいつら・・」
冬乃は縮こまりながら、井上にも事情が伝わってゆくのを横で見守り。
沖田がそんな冬乃をちらりと見て、いつもの余裕の笑みで、ふっと微笑った。
(うう)
広間から帰ってくる時も、沖田はまるで何事も無かったかのように世間話をしていて。
あいかわらず舞い上がっているのは自分だけの様子に冬乃は、嬉しいんだか泣き出したいんだかわからない複雑な心情を持て余している。
(く・・くちびる、舐めたのに・・)
あの場面を想い出すだけで、冬乃は体じゅうから蒸気が出そうになる。対する沖田がここまで平然としていることを嘆いても、誰も冬乃を責めまい。
「おまえら、どうせなら本当にくっついちまえばいい」
(えっ)
不意に落とされた永倉のその爆弾に、そして冬乃は飛び上がりそうになった。
「あ、・・や、そいつはどうだろ」
原田が急に、何か思い出したかのように目をぐるりと回して、言い淀み。
「それはできませんよ」
沖田が静かに答えた。
一瞬で、胸内を奔り抜けた鋭い痛みに、冬乃は唯、俯いた。
むりやり笑顔を保ちながら、まもなく沖田達と別れて幹部棟の玄関を出て。
部屋へ向かう冬乃は、どうしても込み上げてくる涙で視界がぼやけたまま、ふらふらと歩んだ。
先程までの天にも昇りそうな高揚から、こうして一気に墜とされると、さすがにこたえる。
(わかってたのに)
ただの振りなのに、勝手に舞い上がっていた己が愚かなのだ。それでも。
「泣いて・・いるのですか?」
不意のその声に、冬乃は吃驚して顔を上げた。
「池田様・・」
ぼやけた視界でずっと下を向いて歩いてきた冬乃は、部屋の前に立つ彼に全く気が付かなかった。
冬乃は慌てて涙を払って、首を振った。
「べつに、なんでもありません」
「先程の夕餉の件での、貴女のご様子から察するに・・沖田先生が、」
池田の発した沖田の名に、冬乃はびくりと瞬いた。
「貴女の想い人だったのですね」
冬乃の反応で確信したかのように、池田ははっきりと言い結び。
「そして、今のそのご様子では、相思になったわけではなさそうですね」
幹部棟と平隊士棟の合間に遠く点々と置かれる篝火が、冬乃の涙の跡を幽かに光らせる。
「・・・いいえ、相思になりました」
冬乃の揺れた瞳を、池田は見逃さなかった。
「嘘が下手なお方ですね」
「・・・」
池田がそっと近づいてきて冬乃は。心持ち後退った。
池田は冬乃の警戒を感じ取ったのか、すぐに立ち止まって。
「貴女は、想い人の方には相手にされなかったと仰っていましたね。それでもあれほど、片恋でもいいと覚悟をされていた貴女なのに、先程の急な展開はおかしいと思いました」
「・・それで確認するために此処にいらしたのですか」
「またも待ち伏せするかたちになって申し訳ない。ただ、どうしても確かめておきたかったのです」
来てみてよかった、
と池田が呟いた。
「さしずめ、沖田先生は貴女を隊士達から護るため、恋仲を装うことになさったのでしょうね。賢明なご判断です。僕があの方の地位ならばやはりそうしようとするでしょう。しかし、」
「貴女は本気で沖田先生を好いている。沖田先生はそれをもしご存知なのだとしたら、あまりにも」
「それ以上は言わないでください、」
遮った冬乃に。
「聞きたくありません」
池田は従い。口を噤んだ。
・・・己を恋慕ってくる女を
己もまた周囲の男達から護るほどの、想いがありながら。
こうして泣かすほど、本人に対しては突き放したのならば。
――――あまりにも
酷な、強い理性と精神力で、
沖田には、何か己の情欲なり恋情なりを抑圧しなくてはならない理由がある、
ということだ。
それが、何なのか。
池田は、横を向いて哀しみに耐える冬乃を見つめた。
彼女は当然、そんな沖田の側の想いに気づいてはいないだろう。
「どうか」
冬乃が囁いた。
「他の人には今の話をしないでください」
池田は小さく溜息をついた。
「勿論です。お二人は、相思。そういうことにしておきます」
冬乃が、不安げに長い睫毛を揺らして池田を見た。
池田より少し背の低い彼女の瞳は、池田を上目に見上げるような位置で。
涙に濡れたその瞳から、池田はおもわず目を逸らした。
「押しかけてすみませんでした。おやすみなさい」
背を返し、冬乃が小さく「おやすみなさい」と返してくれるのを耳に。己もまた何かを振り切るべく歩み出した。




