102.
(嘘みたい・・・これ)
ほんとうに夢じゃないよね?
先程から、冬乃は何度も自分の腕をつねっては、痛覚のあるを確認しているものの。
まだ信じられなかった。
冬乃の首すじには、沖田の残した、印。
同じ、痕をつけられる行為は。
沖田からならば、こんなにも冬乃の心を躍らせて。この痕をつけていることに、
まるで。俺のものだと。示されていることに。
いや、その通りなのだ。これから冬乃は、隊士達の前で、沖田の女として振舞うのだから。
(本当に貴方の女だったら、どんなに)
幸せなのだろうかと。だけど。ただ振りをするだけの今の時点で、これだけ天にも昇る気持ちになっているのなら、最早どうなってしまうのだろう。
宵闇の中、冬乃は横をゆく沖田をそっと見上げた。
沖田がすぐに冬乃を見返して、微笑んでくれる。
(こんなに幸せでいいの・・?)
罰でも当たらないだろうか。そんな想いに本気で見舞われる。
「藤堂が帰ってきたら、どう説明してやるかな」
それとも面白そうだから、原田さん達にも口止めして暫く騙しておこうか
なにやら沖田が呟き出した。
(やっぱりドS・・)
冬乃はもう今日で何度目かの赤面で、その戯れを聞く。
しかし妹のように大事にしてくれる藤堂に、黙っているのは、冬乃からするとすごく気が引けるのだが。本当に暫く言わないつもりだったらどうしよう。
(あれ・・でも、そういえば)
ふと冬乃は首を傾げた。
考えてみれば具体的に、どう振舞うことになるのだろうか。
(んんん・・?)
沖田と恋仲になったと言ってまわる、なんてことを冬乃はできるはずもなく。
かといって、言葉でなく行動だとしても、今だってこうして手さえつないでいない。
(ていうより手つないで歩くとか、この時代ありえるの?)
もっとも庶民の男女交遊が現代よりずっと開放的だったはずの、この時代。
新選組は武士の集団で。だから少し勝手が違うのだろうとはいえ。
冬乃はおもわず沖田を再び見上げた。
知ってか知らでか。沖田が応えて冬乃を見返し、悪戯な眼を笑ませてきて。
(そ、その眼やめてください)
・・・何度、冬乃を赤面させれば気が済むのか。
いうまでもなく。冬乃は急いで前へ向き直った。
夕餉の時間も終盤に差し掛かった頃で。広間に入ると、多くの隊士達が食後の茶を片手に、寛いで談笑していた。
先刻の隊士達も向こうに居て、笑い声を立てて話に盛り上がっている。つい視線をやった冬乃に、彼らも冬乃が入ってくる時から気づいていた様子で、目が合うと数人がひらひらと、まさかの手を振ってきた。
冬乃は当然無視して目を逸らし、沖田の横に座る。
まもなく新入りの使用人が、二人に白飯と茶を持ってきてくれたのへ、礼を言って受け取り、膳の上に置いて。
遠くから山野の視線も感じるが、それも無視して、横で沖田が食べ始めたのに合わせ、冬乃も味噌汁に口をつけた。
原田達が向かいで、これまた何やら大きな声であーでもないこーでもないと騒いでいる。
そんないつもどおりの、賑やかな夕餉の席だった。
はずが。
(この金平ゴボウ美味しい・・)
作ったのは茂吉だろうと、冬乃は零れそうになる笑みのまま、小鉢を膳に戻した時、
隣の沖田が、ふと冬乃に向いた気配に。冬乃も沖田のほうを向いた。
「冬乃さん、」
目が合った沖田が、にっこりと微笑む。
「何か付いてる」
「え?」
冬乃の顎は、伸ばされた沖田の指先にそっと掴まれた。
と同時に、くい、と上へ向かされ。
何故か、急に広間の喧噪が半分になったのを、冬乃は沖田から目を逸らせないままに、耳で感じて。
刹那に、冬乃の目前に迫った沖田の、
視線が、
つと冬乃の唇に落ち。
次には沖田の舌先が、冬乃の唇を舐め取っていった。
がちゃん
どこかで何かが膳に落下したような音に、
どた
湯呑か何かが、畳に落下したような音が、
途端あちこちで響き。
(・・わ・・わ・・・・)
冬乃は勿論。それどころじゃなく。
「・・ゴボウかな」
咀嚼した様子ののち、そう微笑った沖田の、朗々とした声だけが。
完全に静まりかえった広間に、
響いた。




