101.
何故か赤くなった近藤に驚きながら冬乃が、指を首元へ這わすも。虫刺されらしき、おうとつは無さそうで。
(・・・?)
近藤が目を逸らし。
「冬乃さん」
続いたその驚くほど低い沖田の声に、冬乃はどきりと彼を見返した。
「先生の夕餉の支度を終えたら、俺の部屋へ来て」
「・・はい」
近藤がどこか苦笑した顔になり、部屋を出てゆく沖田を見送ると。やおら机に向き直り。
冬乃が淹れ終わった茶を急いで膳に置いて「それでは夕餉はこちらに置いておきます」と近藤の後ろで声をかければ、
「有難う。総司の所へ行っていいよ」
近藤は冬乃の目をちらりと見て、こころなしか困ったように微笑んだ。
冬乃はぺこりと頭を下げると、部屋を出た。
「入っておいで」
沖田の部屋の前で、呼びかけるより先に声がした。
その声の、あいかわらずの重く低い響きに。冬乃の、襖へ伸ばした指先は少しばかり緊張で震えて。
(なにか怒ってる・・・?)
あの超然としている沖田から、いま冬乃にさえ感知できる程どことなく漂う不穏な雰囲気は、よほどのことではないか。
怖々と襖を開けて入った冬乃に、沖田が立ち上がり、近づいてきた。
廊下の奥では武田たちの声がしている。遮断するように、沖田が腕を伸ばしてきて、冬乃の後ろの襖を閉じた。
「ここ、どうしたの」
そして硬い指先で、静かに押されたその位置は、
先程、男に口づけられた場所で。
「痕になってるよ」
未だ困惑した目をしてしまった冬乃に。沖田が、そう言葉にして言ってきたことで、
冬乃は漸く“虫刺され”の意味に気づけて。慌てて、目を合わせていられずに俯いた。
そのまま何て答えればいいのか咄嗟に出てこない冬乃に。
「いつ、誰に付けられたの」
沖田が聞き方を変えてくる。
「・・先ほど近藤様の夕餉を取りに行っている時に・・隊士の方に・・・」
襖を背にした冬乃のすぐ前に、沖田が行灯の薄光を背に立っている。
陰になった沖田の着物の前を、冬乃は俯いたままに見つめながら。
屯所の一人歩きは気を付けるようにと、言われたばかりで、もうこんな口づけの痕を残して沖田の前に立っていることを。冬乃は恥じた。
そうだ。きっと沖田はそれで呆れ果てていて、今こんな怒っているかの態度を冬乃に対して向けているのだろう。
「ごめんなさい・・」
冬乃は申し訳なさに、囁いていた。
「それ、どういう意味」
「・・え」
間髪いれずに問われ、冬乃はおもわず顔を上げた。
「これを付けられる他に、何をされたのか、正直に」
さらに立て続けに聞かれ。
冬乃は。
「あ・・と・・腕を掴まれました、・・それから、好色じゃないってことを説得しようとしたのですが、なかなか信じてもらえず、なじられました」
射貫かれそうな眼から、もはや逸らせないままに。懸命に、彼らにされたことを思い出し、挙げていく。
「・・それだけ?」
不意に、沖田から緊張がふっと抜けたような声が落ちてきて。
冬乃は目を瞬いて。頷いた。
「最終的には説得できた?」
今や、どことなく笑ったような眼が、冬乃を見下ろし。
沖田の醸していた不穏な雰囲気は。消え去っていた。
冬乃は戸惑いと、よく分からないながら安堵に押されるようにして、慌てて先刻を思い巡らす。
(あれは・・説得できたっていえるよね・・)
「はい」
冬乃は返した。
「そう、良かった」
見上げる先で、沖田の背後の光で陰になったままの彼の眼が微笑んだ。
(あ・・)
ふと今まで不安のあまり意識できていなかった事に、気がついて。冬乃は慌てて目を逸らしていた。
そう、この距離は。近すぎではないだろうかと。
沖田のほうは果たして分かっているのだろうか。
「その誤解が解けたならば、」
沖田が、やはり気にしていないのか話を続けて。
「貴女が、複数の男を欲しているわけではないことぐらいは、当然伝わっただろうね」
(複数の男・・)
改めて言われると恥ずかしくなって冬乃のほうは、目を逸らしたままにひとり赤面する。
「どちらにせよ、すべき事がまだ残ってるが・・」
(え?)
冬乃の視界に、沖田の大きな手が映った。
その手に。冬乃の右肩にかかっていた髪が、背へと避けられ。
同時に、
冬乃の首の後ろは包まれるように支えられ。
「元より、」
沖田が顔を寄せてきて。
「初めから、こうすればよかった」
冬乃の首すじに。
強く長い・・・・口づけが落とされた。
その位置は。冬乃が隊士に付けられた右の位置と正反対の左側。
沖田は、冬乃の首に今や己の痕がくっきりと付いた事を目下に確認し。
顔を離した。
「冬乃さん」
茫然としている冬乃を見下ろす。
「これから貴女を、組では俺の女ということにするから、そのつもりで」
振舞うようにと。冬乃の瞳を覗き込めば。
びくりと、冬乃は睫毛を大きく揺らし。次にはその綺麗な瞳を目一杯に見開いてきた。
沖田は、冬乃の細い首からそっと手を離し。
「貴女がずっとこの先も隊士達から、乞われたり、こんなふうに、」
右の痕を、指先でなぞれば、
「迫られずに」
冬乃が小さく息を呑んだ。
「・・済む方法は。もうそれしか無いだろうから」
「もっとも、」
ぼんやりとしている冬乃を沖田は今一度覗き込んだ。
「貴女が嫌でないならばだけど」
答えなど、分かっている。それでも形式上、聞いてやれば。
冬乃は。沖田で陰になっていても判るほどに、その頬を紅く染めて、
沖田の視線に耐えられなさげに、再び俯いてしまい。
そのまま、ふるふると首を振ると。
「・・ありがとうございます・・」
消え入りそうな声を零した。




