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97.


 「池田様・・・」

 

 冬乃に気づいていた様子で、冬乃と目が合うなり小さく会釈を送ってくる池田に。

 部屋の前で待ち伏せしてるのも、どうかと思います、と、呟きそうになりながら。冬乃は意を決して再び歩み出した。

 

 「何でしょうか・・」

 

 「勝手に待たせていただいてすみません」

 冬乃が近づくのへ、池田がいつもながらのきりっとした顔を向けてきながらも前置いたその台詞に、冬乃が幾分、緊張を解くと、

 

 「こうでもしませんと、このところお会いできませんから」

 そんなふうに続けてきて。

 

 沖田の話では、冬乃が近藤の付き人になった事は、組中に伝わっているという。池田も当然聞いているのだろう。

 

 

 「先日は、少々強引に接してしまい、すみませんでした」

 

 「・・・いえ」

 できればあまり思い出したくないが、謝ってくれるぶんには受け止めようと、冬乃は小さく答える。

 

 「もう一度、僕としては貴女に確認しておきたく思いまして。本当に、誰とも出かけるお気持ちは全く無いのですか」

 

 「はい。何度もお誘いいただいていながらすみませんが、ありません」

 

 「わかりました」

 池田はあっさりと頷いた。

 

 「あの日貴女から聞くまで、まさか迷惑がられているとは思ってませんでした」

 ご迷惑おかけしてすみませんでした

 とさらに謝ってくる池田に、冬乃はむしろ少しばかり絆されて。

 「いえ、もういいんです」

 返す冬乃に、

 

 「・・その、」

 池田は珍しく気弱な声を出した。

 

 「女性というのは誘われれば嬉しいものだと。不肖ながら、これまではそうでしたので・・・まして貴女は・・」

 

 (・・・?)

 

 池田が視線を彷徨わせ、そのまま黙ってしまったので、冬乃も黙って続きを待つしかなく。

 

 「いや、何でもありません」

 池田は、だが会話を切り上げてきた。

 

 

 「では、失礼」

 

 いつもの、きりっとした顔に戻り。池田は背を向けた。

 

 

 (何を言おうとしたんだろ)

 

 まして貴女は

 

 あの台詞の流れからすると、『まして』冬乃は、誘われたら嬉しい女性たちよりもさらに何か、ということにならないか。

 

 (て、なにそれ)

 

 

 冬乃は、あの日以来、頭の隅でずっと気になってはいた。

 

 焦らしてるだの、弄んで、気を持たせてるだの。隊士達が言ってきたことに。

 

 「あのっ・・待ってください!」

 

 

 冬乃の追わせた呼び止めに、池田が驚いた様子で振り返った。

 

 「何て、言おうとなさったのか教えてください」

 

 「・・・」

 

 池田がややあって戻ってくる。

 

 そして冬乃を窺うようにして、口を開いた。

 

 「こんな男所帯に好きで勤めているくらいですから、・・好色な方かと」

 

 

 こ・・・・こうしょく?

 

 (それって、三度のごはんより恋愛大好きな人ってことだよね・・・?!)

 


 よほど冬乃の顔は唖然としていたに違いない。

 

 池田が、冬乃の反応を見ながらどこか納得した様子で呟いた。

 「どうも勘違いだったようですね」

 

 

 「あ、の、・・他の方々にも、私はそんなふうに思われてるんですか・・」

 

 冬乃の困惑しきった声音の問いに、

 

 「貴女をしつこく誘っている人は皆そうではないかと思われます」

 池田が気の毒そうに肯定してきた。

 

 「僕も、」

 腕を組んだ池田は、そして冬乃を見つめ。

 

 「好いた人がいるのでその方としか呑まない、とお聞きした時、そこで僕が勝負を願い出ると貴女は慌てて、無理だ、片恋だ、と返してこられたので・・・しかもその方の名も明かされず。それならば、忙しいだの何だのも含め、貴女はそれこそ、僕を焦らすつもりで言っているだけかとも」

 

 (だからなんでそうなるの)

 

 「あえて“誰か”に片恋しているふりでもなさっていれば都合が良いでしょうから。最初は断ってみせる理由にもなり、かつ、相思でない以上こちらに未だ期待を持たせることもできる。そうして、その間に、貴女は我々の中から選り好みする時間が持てる」

 

 どうやら、池田節が戻ったようだが。

 そんな理屈を披露してきた彼の、ひとつひとつの言葉に、冬乃のほうはもはや声も無く瞠目していた。

 

 

 (・・・そんなふうに受け取られたなんて、普通ありえないから)

 

 すべては、冬乃が『好色』だと思われていたせいなのだろうけども。

 

 「よけいなお世話でしょうが、本当に懸想してる方がいらっしゃるのなら、だいたい何故その方へ、きちんと伝えないのですか。きっとその方も、貴女ならば拒んだりはしないでしょう」

 

 冬乃は嘆息した。

 

 「・・・そうおっしゃっていただけるのは有難いですが、なんとも想われてないのは分かってますから」

 

 「・・・」

 

 ひどく問いたげな眼ざしが向けられて、冬乃はどうしようもなさに首を緩く振ってみせ。

 

 「告白に近い事は言ってしまったことならありました。でも相手にされませんでした」

 

 「だったら、何故まだ想い続けてるのですか。諦めきれないのですか」

 

 「元から・・相思になることを求めているわけではありませんから」

 

 

 池田の目が見開かれ。

 

 冬乃は「もう宜しいでしょうか」と数歩下がった。

 

 これ以上、こんな話をしていたくもない。

 

 

 「待ってください。・・それは、ただ想っているだけでいい、というのですか」

 

 なんだか前にも、山崎とこんな会話をしたと。冬乃はげんなりと黙したまま頷いた。

 

 「冬乃さん、それは」

 

 「もし、お願いできましたら、」

 冬乃は遮った。

 

 「池田様から皆様にも、・・その、私は好色なわけじゃなくて・・ただ好きな人しかみえないだけで、だからお誘いいただいても本当に応えれらないのだということを、お伝えいただけませんか」

 

 「伝えるぶんには、構いませんけども、火に油を注ぐだけかもしれませんね」

 

 池田の切れ長の目が、冬乃を捉えた。

 

 「・・え」

 「僕がそうですから、今しがた。貴女がこんなにもまっすぐな方だとは・・僕は本当に大変な誤解をしていたようです」

 

 (今しがた?て、いうか)

 言いながら近寄ってくる池田に、冬乃はおもわず後退る。

 

 「貴女のその一途な恋想いが、早く僕に向いてくれるよう、やはりこれからも励みます」

 

 

 「え・・・・」

 

 きりりと。締めくくられた池田の宣言に。

 冬乃は瞬きを忘れた。

 

 

 ふりだしに、戻ってしまったらしいことに。

 

 気づいたところで、

 これ以上、冬乃にとれる手段など無く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから冬乃は、仕事がありますので、と言い残して大急ぎで回れ右をし、当然、休憩もせず局長部屋へ帰ってきてしまった。

 近藤が「早いね」と微笑うのへ、おもわず苦笑いで返して。

 

 「そうだ、総司がそろそろ昼番から戻ってくるはずだから、部屋の掃除でもして茶を出してやってくれないか。私のほうならば大丈夫、今のところ頼みたいことも無いんだ」

 

 「はい・・!」

 

 近藤の優しさに、冬乃は瞬時に癒されつつ、

 さっそく庭園の奥の井戸場へ行って、置いておいた掃除道具を手に、沖田の部屋へ持ち込んだ。

 

 

 ハタキを握りながら。先程までのことを考えないように努めても、幾度となく溜息が零れる。

 

 

 (好色だとか思われてたなんて)

 

 池田がこれからどう“励む”のかも心配ではあるものの。なによりも冬乃にとっては気懸りなことがある。

 

 

 (まさかとはおもうけど、沖田様にまで好色って疑われてる・・わけないよね・・?)

 

 

 胸内に唸るたび、ついハタキの手が止まってしまう。

 べつに今うぐいすは鳴いていないというのに。

 

 『うくひすや はたきの音も つひやめる』

 冬乃は今も止まった手に、後世に遺るその土方の愛らしい句を想い出して、くすりと笑いつつ。


 

 (てか好色、ってそもそも正確にいうと何だっけ)


 

 元々の朧ろな記憶と、池田の話の流れから、あのときは恋愛ごとがすごく好きな人、と解釈したが。

 (合ってるよね・・)

 

 ようは、駆け引きが好きで、男を翻弄するのを楽しんだりする女のこと、なはず。

 

 

 (・・・でも本当に、沖田様にもそんなふうに誤解されてるってことないの)


 沖田だって不思議に思っていたのではないか。何故、冬乃が新選組に幾度となく戻ってこようとするのかが。それは土方にも聞かれたことだ。

 沖田ももしあの隊士たちのように、冬乃が“好色”で男所帯が好きだから、とでも勘繰っていたのなら、

 

 あの上七軒での時こそが、そんな冬乃を確信した時だった、とも言えないだろうか。


 

 (だって思い返しても、あの時の沖田様は、なんか変だった)

 

 急に帰ると言い出し、まるで突然に一切のやりとりを絶つように。

 

 冬乃が口にした、あの『呑みにいくなら貴方とだけ』の発言は、直接的で無い、まさに思わせぶりな、駆け引きのような台詞ではないか。

 沖田がそういうやりとりを好まないのだとしたら。



 (だから・・・なの?あの後、しばらく避けられてたのも)


 沖田が冬乃の気持ちに気づいたわけでは無しに、

 冬乃のことを“好色”だと確信して、引いたからだった・・・のかもしれない。


 

 (・・・どちらにしても、最悪・・・)

 

 頭を抱えそうになって冬乃は、慌ててハタキを握り直す。

 

 

 (そうだったら解かなきゃ。誤解)

 

 

 だけど、直接「私は決して好色ではありません」と切り出すのは不自然だ。きっと、かえって怪しまれる。

 さりげなく否定できる方法はないか。

 



 ハタキの手が何度も止まりながら冬乃は。そして小一時間、考え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖田が昼番を終えて帰ってくると、冬乃が縁側に座っていた。

 

 「おかえりなさい。あの、お邪魔してます」

 

 ふりかえる冬乃に、沖田は自然と相好を崩す。

 

 「いつでもどうぞ」

 返しながら、腰の大刀を抜いて適当な場所に座ると、

 冬乃が小ぶりの茶瓶の乗った盆を手に、しずしずと入ってきた。

 

 膝を折って沖田の傍にそっと座りながら、盆を畳に置き。

 茶瓶を取り上げ、綺麗な所作で湯呑に注いでゆく。

 

 受け皿に乗せて茶を差し出す冬乃の、細い指先に目を遣りながら、礼を言って受け取ると、

 一口含んだ沖田の前で、冬乃がそっと畏まるように座り直した。

 

 「私って隊士の方々から、好色に思われてたみたいなんです」



 沖田は茶を噴いた。

 

    

  

 

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