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96.



 廊下で近藤と別れ、

 襖の前で感じる冬乃の静かな気配に、沖田は一呼吸おき。

 開けてみると、やはりというか畳に横になっている冬乃の姿があった。

 

 

 男の部屋で無防備に寝ている冬乃に。

 沖田は半ば呆れて失笑する。

 

 (そりゃここに居ていいとは言ったが)

 

 

 あいかわらず。

 信用されているんだか、何も考えていないだけなのか。

 

 

 夕暮れの穏やかな薄藍の色が差し込む、少し開かれた縁側には、ハタキと雑巾が畳まれて在る。

 部屋の掃除でもしてくれていたのだろう。

 

 さしずめ、疲れたので一休憩しているうちに寝てしまったといったところか。

 

 

 これを他の幹部の部屋でもするようでは、こっちは気が気でない、と。

 

 今浮かんだそんな感情をいったん押し殺し、沖田は静かに部屋を進み、冬乃の顔の横へ腰を下ろした。

 

 

 見おろせば、上を向いた側の肩が規則正しい寝息に小さく揺れている。

 細い両の手首に額を寄せるようにして、うずくまり。

 横向きで強調された腰のくびれが、太腿から膝へとなだらかな曲線を落とし。


 宵を迎えつつある部屋の仄かな暗がりの中、

 冬乃の透けるような白皙の頬には艶やかな黒髪がかかり、それは流れて、微かに開かれた薄紅の唇に触れていた。

 

 その髪を沖田は己の指に絡め、そっと払ってやりながら。

 

 (大体、)

 

 ひとつ溜息をつく。

 

 彼女は髪を結わない。

 いつも湯上り時のように、この綺麗な長い髪をなびかせ、

 おかげで男達には、まるで誘っていると囁かれていることを彼女は分かっているのだろうか。

 いや、分かってなどいまい。

 

 

 「冬乃さん」

 

 (まったく、この子は)

 

 沖田は。冬乃の頬を柔くつついた。

 

 「起きなさい」

 

 「冬乃さん」

 「…ン……」

 

 ふと冬乃がすっと小さく息を吸って。そしてぼんやりと瞼をもちあげた。

 

 少し顔をもたげて。その瞳は沖田を映したとたん、みるみる見開かれた。

 

 「ご、」

 慌てて頭を上げ、

 

 「ごめんなさ・・っ」

 

 そのまま勢いよく半身を起こした冬乃の顔が、すぐ傍らに座っていた沖田の目下まで迫り。

 「あ」

 その距離に驚いたように冬乃はすぐに顔を背けた。

 続いて急いで身を引き、座り直した冬乃に。

 

 「掃除してくれたようで。有難う」

 もはや込み上げる笑みを抑え、沖田は、ひとまず礼を言う。

 

 「だけど、」

 次いで冬乃の瞳を見据えた。

 「その後に、こんなふうに寝ないこと」

 

 

 百歩譲って、この部屋で寝るならいい。

 

 「はい、ご無礼を・・ごめんなさい」

 「そんなことじゃなく、・・風邪ひくから」

 「はい、すみません」

 

 

 頼むから。間違っても他の男の部屋では寝ないように。

 

 沖田は胸内に苦笑し。

 慌てて立った冬乃に合わせ、己も立ち上がった。

 

 

 「そろそろ夕餉の時間だから、貴女も行く?」

 

 「・・はいっ」

 冬乃はそれは可愛らしくふわりと微笑んできて。

 今一度、沖田の胸内を掻き乱した。

 

 

 




 


 斜め前を行く沖田の広い背を見上げながら、冬乃は溜息をつく。

 

 掃除を終えて、張り切りすぎて疲れた体を少しだけのつもりで休ませていたら、寝てしまったらしい。

 

 他人の部屋で勝手に寝てる行儀の悪い女だと思われただろうと。

 

 (もうやっちゃったことは仕方ない。次から気をつけよ)

 しょぼくれた気持ちを叩き上げる。

 

 

 冬乃たちが屯所を横断する間にも、日が落ちて、辺りの宵闇はその濃さを増していた。屯所のあちこちで篝火が焚かれてゆく。

 

 (これまでだったら、御膳を運び終えて一息ついてる頃だ・・)

 なんだか不思議な感じがしてしまう。この新たな生活も、いずれ慣れるのだろうか。

 

 

 (ん・・?)

 

 ふと視線を受けて冬乃は目を向けた。

 

 よく誘ってくる隊士達が、こちらを見ている。

 

 (・・・?)

 普段だったら、冬乃を見つけたらすぐに寄ってくるのに、どうしたのか。

 そう思ってから冬乃は、つと気がついた。

 

 今、沖田が傍に居るから、彼らは来られないのだと。

 

 

 (あ・・・)

 

 使用人の仕事でなくなったこれからは、冬乃が屯所を一人で移動することのほうが少なくなるだろう。

 こうして傍らに近藤や沖田の居るときが増えるのではないか。

 

 沖田の計らい通り、確かに隊士達と接する機会は、あらゆる面で激減するのだ。

 

 

 (有難うございます、沖田様)

 

 目の前をのんびり行く沖田の背を見上げて。冬乃は、そっと礼をした。

 

 

 

 

 

 なのに。

 

 

 近藤の付き人としての仕事にも徐々に慣れ、沖田の手の空いた時にはかわらず文字の特訓を受けながら、

 食事に行くにも、近藤や沖田だったり、たまたま居合わせれば永倉や原田など、誰かしらの幹部と一緒で、冬乃が想像したとおり、すっかり平和で心穏やかな日々を満喫していた頃だった。

 

 

 いつものように井戸で汲んだ水を庭先で沸かし、近藤の他、部屋に居る幹部たちにひととおり茶を配り終えて。

 近藤の、休憩しておいでの言葉に甘えて、使用人部屋へと戻る道すがら。

 

 

 部屋の前に、立っている男に。

 冬乃は、驚いて十数歩手前で、立ち止まった。 

 


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