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90.

 

 

 噂をすれば、山野が現れた。

 

 (てか私のなかで噂してただけだけど)

 

 対面するなり、何を思ったか、あいかわらずのその美麗な顔がいきなりニヤリと哂って。勿論、そんな表情すら美しく。

 

 「・・・何ですか」

 

 隊士部屋へ向かう広い廊下の角で。

 げんなりしつつも、どうせ無視して通り過ぎても呼び止められるのは想像できた冬乃は、立ち止まり、

 さっさと話があるなら終わらせてと眼に訴えて、山野を見据える。

 

 「おまえ最近、大変そうだな」

 

 冬乃の刺々しさには当然に慣れきっている山野が、意に介さぬふうで話を始めた。

 

 「俺とくっついたことにでもしときゃ、収まるのに」

 「絶対いやです」

 冬乃の即答に、山野が想定内とばかりに哂う。

 

 「だったら“世話役”の沖田さんに頼んじまえばいいんじゃないか」

 

 冬乃が瞠目するのを。

 

 「名案だろ」

 山野がその可愛い笑顔で受け止めた。

 

 「沖田さんの女だったら、誰も手ださなくなる」

 

 

 (そ・・そんなこと、)

 

 頼めるわけないから・・!!

 

 想像しただけで顔がかあっと紅くなるのを感じて冬乃は、胸内に絶叫する。

 

 「俺から頼んでやろうか」

 「余計なお世話です・・!ぜったいやめてください」

 

 またも即答した冬乃に、山野が肩を竦めた。

 「沖田さんだったら快諾してくれんだろ」

 

 「そんなの、御迷惑にきまってます!」

 「・・・」

 

 「なんです」

 何かひどく言いたげな山野に、冬乃はおもわず睨みをくれる。

 

 「おまえって・・やっぱ鈍感なんだな」

 

 「は?」

 

 「まあ、いいや。恋敵の応援するつもりは無えし」

 とりあえず、

 と山野が冬乃に手を伸ばし。

 

 後退ってそれを避ける冬乃に、

 「俺ならいつでも歓迎だから」

 言い置くと、避けられた手を冬乃へ深追いさせることはなく。山野は去っていった。

 

 

 ・・恋敵?応援?

 

 (意味不明だし。だいたい鈍感ってなんなの)

 

 何が言いたかったのか知らないが、結局呼び止められて時間を浪費しただけのような。

 (やっぱ止まるんじゃなかった)

 冬乃は再び、急ぎ足で隊士部屋へと向かい出した。

 

 

 

 

 

 

 

 (はあ・・・)

 

 広すぎる。

 

 何畳あるのだろうか。

 数える気にもならないほど、見渡す限りの畳に、

 休憩に戻ってきている隊士達が点在しているなかで。冬乃は雑巾を手に、溜息をつく。

 

 (今日もほとんど此処で過ごして終わりそう)

 

 

 「おい、おまえら!道場こいよ!」

 

 そこへ突然、隊士が数人、駈け込んできた。

 

 

 「沖田先生が三浦の野郎をしごいてるぞ!!」

 

 (え)

 冬乃がおもわず振り返った、そのまわりで、

 

 「ほんとか!?」

 「うおおおおお!!」

 「よっしゃあ!!」

 

 次々と歓声が上がり。

 

 

 (よっしゃあ、って・・)

 

 やはり三浦は、よほど普段の素行が悪いのだろうか。

 

 三浦が客員待遇なだけに、もしかしたら平隊士たちは、大抵は我慢するしかない立場なのかもしれない。

 

 

 そして隊士部屋からは、あっというまに人がいなくなった。

 

 

 「・・・・」

 

 (しごいてるって・・・すごく気になるんですけど・・・・)

 

 

 冬乃も見に行っていいだろうか。

 いや、いいはずがない。だが。

 

 

 (ちょっとだけ)

 

 誘惑に。負けた。

 

 

 

 

 

 

 

 「まさか、この程度で休めるつもりじゃあないだろうな」

 

 冬乃が道場の、開け放たれた戸口の手前まで来た時。

 沖田の低く朗々とした声が、しんと静まった道場から響いてきた。

 

 「立て」

 

 続いた命令と。

 

 「も・・う・・お・・ねがいしま・・」

 弱弱しい、縋るように請う声。

 

 (これ、あの三浦さんの?)

 

 とても、冬乃に高飛車だったあの時の三浦と、同じ人物の声には思えない。

 

 

 「なんだ、どうしてほしい」

 

 「や・・休ま・・・てくだ・・」

 微かに、小さく必死な返事が追う。

 

 そっと冬乃は戸口まで来て、恐る恐る中を覗こうとして。

 

 「はっきり言え、ン?」

 

 次には沖田の、およそ冬乃にたいしては発されたこともないような口調が、聞こえてきて。

 冬乃は固まった。

 

 「も・・う休ませて・・くださ・・」

 

 「聞こえない」


 「もう・・休ま・・」

 「聞こえない」

 

 「休ませてく・・」

 「聞こえないと言ってるだろう」



 休ませてと三浦が訴えているのは、最早はっきりと周囲にまで聞こえているのに、

 その返事なら受け付けないと言うが如く、聞こえないと繰り返す沖田から、


 許されている返答は唯一つであることを。

 まるで、それを言わねば延々と続くことを、三浦は、ついに悟った様子で、

 

 「も・・う一度・・お願いします」

 

 消え入りそうな涙声になり。

 むりやりに答えて。



 戸から顔を半分出した冬乃が、息を殺して見つめる先。

 

 

 満足そうに沖田が。ふっと、目を細めた。

 

 

 

 (・・・沖田様ってけっこうドS・・?)

 

 「おお、やってんなあ」

 不意に後ろから永倉の声がして、

 冬乃は驚いて振り向いた。

 

 「よ、嬢ちゃんも見にきちゃったの?」

 みれば原田と島田も隣に居る。

 三人も、隊士達の高揚を聞きつけてやってきたのだろう。

 

 永倉は、冬乃が戸口で顔半分で固まっていたのを見ていた様子で笑った。

 

 「沖田は野郎相手にゃ、あの性分、全開にすっからな。冬乃さんは見たことなかっただろうけれど」


 (あの性分、って、つまりドSの性分ってことですか)

 震えた冬乃の横で。

 

 「稽古中が一番出てるよなぁ」

 原田がけろりと言い添えた。

 

 

 「しかも三浦君のような子は、沖田さんが最も我慢ならない種類の人間でしょうからね・・」

 島田がそれでも、三浦にさすがに同情するかの表情で微笑った。

 

 「いやいや、あいつは時々俺達にすら容赦ねえよ?」

 くわばらくわばら、と原田が首をすぼめ。



 「しかしよ、」

 永倉が愉快そうに笑う。

 「ありゃあ、三浦が失神しても水ぶっかけて続けそうだな」

 

 永倉たちの視線を追って、冬乃がふたたび道場の中を見やると、

 三浦が竹刀を床に杖のように突いて、ふらふらと立ち上がろうとしていて。

 

 沖田はそのままだが、三浦のほうはしっかり防具を着けている。だから冬乃からは顔が見えないはずなのに、冬乃には三浦が面金の向こうで泣いているように見えた。

 

 

 それにしても沖田は、現代で言う、絵にかいたような体育会系なのだろうが、

 たしか後年になれば、その荒く激しかった教え方も一変し、稽古の場ですら冗談ばかり言って賑やかなと伝えられるほどの平和なものになったらしいが、

 そうなるのは、まだもう少し先なのだろうか。

 

 

 「んで、始まりは何だったんだ?」

 原田が近くに居た隊士に尋ねた。

 

 「一日の素振り千本すら嫌がったそうですよ」

 

 「ッあンの、三浦の野郎、」

 横に居た永倉が、目を怒らせて舌打ちし。

 「沖田が怒るのも、あたりめえだ」

 

 

 (一日千本くらいで)

 冬乃も呆れた。

 

 (命をかける闘いに出る身で、本気で日々の稽古もしなかったら)

 いずれ迷惑を被るのは、三浦と巡察を同行する他の隊士達だ。

 

 

 「いいぞ沖田もっとやれ!そいつの腐った根性、叩き直してやれ!」

 ついに原田が大声を上げた。

 

 

 しかし残念ながら三浦のそれは、根性がたりないからなのか、そもそもの性格なのか。結局のところ、

 彼は父親の仇討を望んで組に入ったはずが、一向に仇討に励む様子なく粗暴な振舞いばかりが続き。来年あたりになれば、

 一説には、

 沖田に外出に誘われ、三浦はついに斬られると思ったか、組を脱走してしまうのだ。

 

 無事に逃げおおせたのだから、沖田もこの厄介な客員隊士をただ追い出すつもりだったのだろうが、

 三浦も、斬られると思うほどに日ごろの自分の行いを自覚はしていた、ということだろうか。

 


 「こらー!おまえら、見世物じゃないぞ!」

 不意に井上の追い払う声が鳴り響いた。

 

 慌てて見学人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、冬乃も当然それに交じって退散する。

 永倉たちも一緒である。

 

 「はっはー!」

 おもいっきり楽しそうに走っている前方の原田に、

 続くようにして冬乃たちが追う。


 「大丈夫だよ冬乃さん、さっき見聞きしたことは忘れな」

 冬乃の隣を走りながら、永倉が笑った。

 

 「沖田は女には滅法甘いからよ」

 

 「・・・」

 

 たしか以前、土方もそんなことを言っていたような。

 

 (だからそれはそれで複雑なんです・・)

 むくりと甦った嫉妬心に、冬乃は急いで抗う。

 


 「それに、」

 斜め後ろを走る島田が、継ぎ足してきた。

 

 「沖田さんは稽古や仕事でああして必要な時には、驚くほど厳しいですが、普段はご存知のように穏和な人ですからね。冬乃さんには決して悪いようにはしません」


 冬乃はおもわず頷いた。

 

 勿論わかっている。

 

 

 堂々たる、泰然自若の人。

 のさのさと、冗談を言っては周囲を笑わせ、時には少年のように遊び、

 飄々として。そんな、つかみどころのない。

 そして強く逞しい。

 猛者達の頂点に君臨し、

 悠然と。まさに大空をゆく鷲のような。

 

 

 (それでいて、獲物へは急降下するところもぴったり)

 

 前からそんなふうに感じてはいたけども、先程の一面でよけいに、沖田が鷲に見えてきた。

 と、つい冬乃は走ったまま、くすりと笑い。

 

 

 そして冬乃は。ずっと気になっていることを尋ねた。

 

 


 「ところで私達、走ってる必要あるのでしょうか」  

   

  

  

  

  

 

 

 

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