89.
(ちょ、)
ちょっと待って。
「その方と私は恋仲なわけじゃないんです。だから勝負も何も・・」
「それならば尚の事、僕が勝ったら、その方をすっぱり諦めていただくことも可能ですね?」
なんでそうなる。
冬乃は頭を抱えそうになりながら、懸命な抵抗にとりかかるべく身を乗り出した。
「彼は、私の気持ちなんて何とも思ってないに決まってますから、彼にとってはこんなの迷惑以外の何でもありません。それに、」
おもわず声を怒らせて。
「貴方に、彼が誰なのかをお教えする気自体、ありません」
池田は、だが、さらにきりりと目を光らせてきた。
「僕は決して他言はしませんのでご安心ください。約束します。それに、どうせ組内のどなたかではありませんか?組に仕事でがんじがらめの貴女が、他所で懸想するお暇など無いのでしょうから」
「・・・」
どうも池田には、その理詰め手法でいろいろ簡単に看破されてしまいそうだと。冬乃は身震いした。
冬乃の無言を肯定と受け取ったのか、池田が口元まできりっと形良く笑ませる。
「勿論、私闘にはなりませんように、稽古中の試合のかたちを取りますから、その点もどうぞご安心ください」
「・・そういうことじゃないんです、」
最早、あからさまに冬乃は溜息をついて。
「獣の世界じゃないんですから、そもそもどちらの男の人が強いか弱いかで、人の女の恋路は決まったりしません」
と、何だか三流映画のキャッチフレーズみたいな台詞だと思いながら口走る。
「ですから、稽古試合だろうと何だろうと、勝負でもって私の気持ちが変わることはありませんから、無意味です」
「その方は、そんなに弱いのですか。僕と勝負しないようにと、貴女にそうまで必死に庇われるほどに」
(逆です・・)
貴方が勝負しようとしている相手は、
新選組最強と謳われる人です・・・
とは、もちろん明かせないので冬乃は再び押し黙った。
冬乃のだんまりを、また肯定と受け取ったのか、池田はきりりとそんな冬乃を見据えてきた。
「貴女がどう仰ろうと、強さで雌雄を争うは男のさだめですので。貴女に庇われて、正々堂々と勝負させてももらえないほどその方が弱いのならば、僕は戦わずして勝利したと考えて宜しいですか」
(もうどうにでも考えていただいて結構です・・)
疲れた冬乃が、目を逸らすのへ。
「そして、それでしたら、」
池田の満足げな声が追って。
「僕は貴女を誘い続けます」
(ハイ・・)
冬乃は諦めた。
沖田に間違っても変な迷惑をかけるより、
自分が何度誘われても断り続ければいいだけのことである。
理屈で詰めてきたり、勝負をさせろやら雌雄を決するやら、勝ち負けにひどく拘る一方的なところはあるが、言い換えれば武士としての芯は感じる。
そうしてこれまで、ひたすら揺るぎない強さを求めて、その剣の腕を鍛えてきたのだろう。
そんな修行を積んできたであろう彼なら、かえって冬乃に力で理不尽に迫ってくることも無いだろうと。
(・・山野さんほどのイケメンだと、また話は違うんだろうけどね)
山野の場合。それまで拒まれたことのなかった女性経験からの絶対的な自信が、あの行動を取らせたに違いなく。
(この人が山野さんレベルの超絶イケメンじゃなくて、とりあえず良かった)
奇妙な安心をしてしまいながら、冬乃はつい、じっと池田を見た。
もっとも山野ほどでなかろうと、言っての通り眼鏡が似合いそうなその面立ちは、千秋あたりに言わせれば十分すぎるほどのイケメンだろう。
「・・・」
(あ)
じっと見つめてきた冬乃に驚いたのか、池田が再び目を見開いて。
冬乃は慌てて逸らした。
「仕事がありますので、失礼します」
そのままくるりと池田に背を向け。
誰が貴女と付き合えるか競ってるみたい
蟻通が教えてくれた事を思い出す。
池田の、勝ち負けに重きを置くあの様子では、ああまで冬乃を呑みに誘うのも解る気がする、と。もはや苦笑しながら冬乃は、隊士部屋へと急いだ。




