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85.



 山南を追って来たかのような初春の風が、薄暗い屯所の木々を吹き揺らして葉を落とすさまを冬乃は見つめた。

 

 

 確かに冬乃が変えたはずの山南の歴史は、唯いたずらに僅かに日を延ばしただけだった。

 あとは元の歴史のまま。

 

 (きっと・・)

 

 元の歴史でも、山南の最も望んだ“散り方”だったから。

 

 

 冬乃の介在が叶う範囲は、彼らの命の“散り方”を、最も彼らの望むかたちへと導く迄でであり、

 安藤の時もそうであったように、根本的なところは何も変えられないということではないか。つまり、

 

 死を迎える運命自体を変えることは、

 

 できない。

 

 

 (そして、そうだとしたら)

 

 

 四年後の沖田の死を避けるすべは無い。

 

 

 おもえば元々、此処へ来た当初には覚悟していた事だったはずなのに。

 それでも今、冬乃の頬を伝う涙は止まりそうになかった。

 

 冬乃は使用人部屋の外廊下の縁側に、膝を抱えて座りながら、涙を払うのも億劫になってそのままに勝色の空を意味もなく眺めた。

 

 

 (そう・・)

  

 どんなに抗おうと、

 

 あと四年もしないうちに沖田が死んでしまうのなら。

 尚の事、冬乃のすべきことは、おのずと定まって。

 

 

 冬乃は濡れた頬を撫でる風に、目を瞑った。

 圧されて溢れた涙が、胸元の髪へぽたりと落ち。

 

 瞑った瞼の裏に、冬乃の瞳に焼き付いたままの、山南の介錯へ向かう沖田の静かな背を浮かべた。

 

 

 

 四年後、

 

 (沖田様の望む死に方で、死なせてあげたい)

 

 

 冬乃はその為にならば、やはり何だってするだろう。

 

 

 

 迷いの小路から抜け出る時なのだと。

 

 冬乃は、そっと目を開けた。

 

 

 

  


 

 あなたは、どんなふうに死にたいですか

 

 

 そんな問いを。平成の日本に生きる、健康な人間にしたなら、戸惑われるだろう。辛くない楽な死に方がいいなあ、そんなふうに曖昧な、

 

 もしあと少し具体性があれども、『孫に囲まれて眠るように死にたい』以上には深く考えていない場合が大半ではないか。

 まして、死を厭う厭わないに限らず、考えたことがない人もいて当然で。

 

 

 だが、この時代は違う。

 死がずっと身近な、沖田達には。

 

 明確な答えが、必ずあるだろう。

 

 

 (そして、沖田様の答えは)

 

 きっと聞くまでもないことも。

 

 

 

 

 これまでは、

 いずれ千代が発病しても、

 もしも冬乃が薬を持ち込んで、万一治療さえ成功したなら。それなら、沖田と千代が、それからも長く寄り添えることになると。

 そう思えばこそ、沖田から千代という運命の存在を奪う選択肢を、冬乃はよけいに躊躇した。

 

 

 だが、二人が死を迎える運命を、どう足掻いても変えることができないのなら、


 もうそんな未来は、どちらにしても、起こり得ない。

 

 たとえ千代の治療に成功しても、千代は別の何かの原因で亡くなってしまう。

 沖田を千代から離して結核から護っても、沖田も別の原因で結局は亡くなってしまう。

 

 

 (・・命を救うことは叶わないなら。私にも叶う可能性は唯、沖田様の望む最期へと導くことだけ)

 

 その最期が、

 歴史の通りに、運命の相手と寄り添う結果の死か。

 冬乃の想像するように、別の可能性の死か。



 別の可能性の死なら。

 

 (・・・もう迷わない。どんな手を使ってでも)

 

 失敗の余地のない、確実な方法で、導けるように。

 

 

 

 

 

 冬乃は涙を払い。

 そっと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「珍しいね」

 

 沖田が襖を開けるなり微笑った。

 近藤と土方が風呂に出て行った様子を縁側の障子越しに聞いた冬乃が、沖田に声を掛けたのだ。

 

 「その、お茶をたくさん淹れてしまったので・・よろしかったらご一緒にと思いまして」

 「喜んで」

 

 即答してくれた沖田に、ほっとして冬乃は盆を手に微笑み返した。

 

 冬乃の部屋のほうへ入ってきた沖田に、座布団を渡して自らも座りながら冬乃は、行灯の火が揺れてつくる手元の湯呑の影に、視線を落とした。

 どう切り出せばいいか、いざとなると分からず。

 

 だが、どうしても聞かなくてはならない、

 沖田の口から直に。

 

 

 「山南様には、」

 

 話のきっかけに、

 「こうしてよくお茶をお淹れしてお持ちしてました。風邪をひかれた時などに」

 

 言いながらその頃の情景を想い出してしまい。急に涙が出そうになって冬乃は、話に挙げたことを少し後悔しながら、

 滲む涙を零さないように顔を上げた。

 ごまかすように湯呑を口元に傾け。

 

 「ああ、そうだったね」

 沖田が湯呑を手に呟いた。

 

 「その節は山南さんによくしてくれて有難う」

 

 「いえ・・」

 沖田の声はひどく穏やかで。冬乃は、かえって悲しくなって沖田の目を見れずに、

 

 「山南様は・・」

 湯呑の、水鏡をかわりに見つめた。

 

 「・・山南様のご意志で、切腹されることを選ばれたのですよね・・」

 

 人の世に疲れ果て、その先の諦念を心に懐き、受けとめ。安らかに、投げやりとは違うかたちで山南が選んだ最期は、組の強固な礎となる死だった。


 

 「沖田様は・・」

 

 つらりと、水鏡が揺れた。

 

 

 「沖田様なら、どんな“死”を望んでらっしゃるのですか」

 

 

 山南と同様に恐らくその心は諦観に触れながら、山南とは正反対の、これからも血にまみれる道を選んでゆく沖田が、

 彼ならば、

 どんな最期を望むのか。


 聞かなくても。冬乃にはもう、殆ど手にとるように判っている。


 確かめるべく。静かに見上げた冬乃へ、

 沖田が目を細め。

 

 「近藤先生の進退を決するような大事な戦さの際に、先生を」


 当然のように、告げた。



 「護り抜いて戦場で死ぬ。できれば先生の介錯で。そういう死」



 冬乃の手は湯呑を握り締めた。

 「・・たとえばですけど、もしその頃に、生涯を誓って愛する女性がいたとして」


 「その方と添い遂げて迎える死と、どちらかを選ばなくてはならなかったら、どうされますか」




 まるで、おかしなことを聞くと云わんばかりに。沖田が微笑った。


 「俺にとっては、先生が全てだよ」

 

 

 

 

 今、これを聞くのは。公平では無いのかもしれない。

 

 その場になっては、病床の千代を見捨てられなかったから沖田は病がうつる危険も顧みず、最期まで看取ったのだ。


 

 (それでも、・・・)

 

 否、

 

 だからこそ。

 

 

 

 

 

 「聞かせていただいて有難うございました」

 

 「どうしたの、こんなこと聞いて」

 

 「・・山南様の潔さに・・感銘を受けて、沖田様ならどうされるのか、その、少し知りたくなったんです」

 

 何故

 とは深追いしてはこなかった。

 

 沖田は唯いつものように穏やかに、ふっと微笑って。次には冬乃を覗き込んだ。

 

 「貴女なら、どう死にたい」

 

 

 「・・・」

 冬乃は俯いた。

 

 

 貴方の盾になって死ねたなら

 

 

 たとえ剣豪の彼の盾になるなど叶いそうにはなくても、ずっとそう願ってきた。

 それに、沖田が死ぬのを見ることなく先に死ねるのなら幸せだろう。

 

 けど今は。

 

 

 (貴方が望みどおりの死を迎えることを、見届けたい)

 

 

 「わかりません・・・」

 

 呟くように答えた冬乃に、

 

 「そう」

 沖田があっさりと相槌を打った。

 

 顔を上げた冬乃に。

 

 「貴女がいずれ可愛い御婆さんになって、孫に囲まれて往生するよう、祈ってるよ」

 冗談ともとれぬ笑顔で沖田が、そんなふうに言ってきて。冬乃は驚いて、おもわず沖田を見つめた。

 

 

 まもなく近藤達が部屋に戻ってきた物音がして。

 沖田がつと冬乃の瞳から視線を外し、湯呑を盆へ戻した。

 

 「ごちそうさま」

 

 その挨拶に冬乃は慌てて会釈を返して。立ち上がり局長部屋へ戻ってゆく広い背を茫然と見送った。

 

 

 (深い意味は無いのわかってるけど・・)

 

 沖田の口からそんなふうに言われたら。

 冬乃はそれだけで泣きたくなるほど嬉しいと思うなんて、彼は分かってもいないに違いない。

 

 (相手にもしてない女に、そんなこと言っちゃだめです沖田様)

 

 冬乃は溜息をついて。

 

 思考を戻すべく、ひとつ深呼吸をした。

 

 

 もとい、すでに冬乃の心は決まっている。

 

 (お千代さん、ごめんなさい。だけど、)

 

 

 たとえ千代が、この先もう結核患者とは接しないように出来得るとしてさえ。すでにもう、千代の肺に休眠菌がいる可能性がある以上、危険は残る。

 

 風邪なりなんらかの原因で体力を著しく落とした時に、休眠菌によっても罹患するかもしれない危険性を、千代の場合は抱えているのだ。

 

 

 長きにわたり鍛えあげた強靭な肉体をもち、もし体内に同じように休眠菌がいたとしても、

 麻疹の件からして、ただ体力を落としただけでは罹患はしないだろう沖田とは違う。

 

 

 そして、そんな沖田でさえ、体力を落とした時期に罹患したであろう原因がひとえに、

 千代と長期間生活を共にし、大量の結核菌への暴露があったが故である可能性が高い以上、

 

 千代と恋仲になりさえしなければ。沖田が結核に罹ることはまず無い。

 

 その、

 確実な方法を。もう迷いなく、採ることを。

 

 

 (許して、お千代さん・・)

 

 のちの千代ならば、それでも。

 自分の死後に沖田が発病することを先に知ったなら、千代こそ、なにがなんでも沖田との関係を絶つだろうと。

 そんなふうに、冬乃は一方で強く感じてもいた。

 

 

 (私がお千代さんなら、そうするから・・・なのかな・・)

 


 冬乃は次には自嘲に溜息をついた。


 (お千代さんならわかってくれるって。私がそう思いたいだけ)

 


 そもそも、どうすれば千代と沖田を引き離せるのか。冬乃はさらに溜息をついて。

 

 (とにかくまずは、徹底的に会わせないようにするしかない・・これからいろんな嘘もつくことになる)

 考える先から、胸を突かれるような罪悪感に。冬乃は息を震わせた。


 心を刺し続けてきた、この千代への罪悪感は、

 これからは比較にならないほど深まるのだろうか。

 

 

 (あたりまえだよね・・)

 

 目を閉じれば、花の綻ぶような笑顔のままでいてくれる千代へと。冬乃は胸内に囁いた。

 

 (歴史を変えて、運命で結ばれている貴女と沖田様を引き裂こうと)

 

 そんな、許されるはずのないことをこれから本当にするのだから。

 

 

 (だけど、)

 

 どんなに許されなくても、

 

 この勝手で、浅はかな愛で、

 貴女の運命の人を護るためなら

 

 彼さえ、護れるのなら。

 

 

 (私はどんな罰でも受けるから)

 

 

 だから、

 この禁忌を。

  


 破らせて。    

 

 

     


 

 




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