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63.

 

 

 完全に力が緩んだ山野の腕から離れて、頬に残る雫を手の甲で払いながら冬乃は、

 

 山野には結局慰めてもらってしまった手前、なんら弁解もできずに、沖田の顔を見れないままその場で一礼すると、

 門横の台に置いておいた残りの掃除道具と味噌漬けの包みを拾い上げて、逃げるように去った。

 

 

 残された男達が、唖然とその背を見送ったのはいうまでもなく。

 

 「・・おい、山野」

 原田が疑いの眼で山野を見やる。

 「あの嬢ちゃんに何した。泣いてなかったか?」

 

 「誤解っすよ、」

 年上で上役でもある原田からの凄みに、さすがの山野も慌てた。

 「安藤さんのことで泣き出したから慰めてただけです」

 

 「安藤さん?」

 原田がその丸い目を瞬かせ。

 

 「そっか、安藤さんと嬢ちゃん仲良かったんだっけか」

 皆で天神さんに遊びに行ったんだろ?と沖田のほうを見て原田が確認する。

 同情したような面持ちに変わった原田に、沖田のほうは緩慢に頷いてみせ。

 

 山野はそんな二人を見ながらほっとして、「じゃ俺このあと用事なんで」と同じく逃げ出すべく背を向けた。

 

 「待った」

 が、原田の声がそんな山野を捕まえる。

 

 「泣き出したからって抱き締めるか普通。おまえ、嬢ちゃんに気があるってか?」

 

 そりゃそうだ。山野は素直に認めるより他ない。

 「ありますよ、・・惚れてます」

 

 「・・・」

 あっさり告白してきた山野に、原田も沖田も、惚れるに至るほどのやりとりが、これまでいつのまにあったのかと思ったが、

 

 「そうか。まあがんばれよ」

 それ以上はさすがにこの場で追求することでもなく。山野を解放してやり、そそくさと去ってゆくその背を見ながら、二人おもわず苦笑した顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 

 一方こちら冬乃は。

 

 (もお、最悪)

 

 よりによって山野に抱きしめられていたところを沖田にしっかり見られてしまうなんて、冬乃にとって一生ものの不覚である。

 

 あれから山野が何を沖田達に言ったのか心配で仕方ない。かといってあの場に留まって成りゆきを見守る勇気など到底なかったが。

 

 はあ。

 大きく溜息をついて冬乃は、手にもったままの味噌漬けを見た。

 (これもどうしよう・・)

 

 切って適当な時間にお茶と一緒に持っていくべきなのだとしても、

 (しばらくはとても顔合わせられそうにないし)

 

 味噌漬けを仕舞いに、とにかくも厨房へ来ていた冬乃は、そして今一度溜息をついて。途方に暮れた。

 

 

 

 

 

 

 次に沖田に会ったのは、夜の副長部屋だった。

 

 夕餉の席にいなかったので巡察だろうと、今日ばかりは顔を合わせないことに半分ほっとしてしまいながら、一日の仕事と風呂を終えて使用人部屋でぼんやりしていたさなかで。

 

 土方の呼ぶ声が襖越しに響いて、冬乃が部屋へ向かうと、沖田が土方の隣に座していた。見上げてきた彼の顔を、冬乃はどきりと跳ねた心の臓を聞きつつ、受け止めきれずにすぐに目を逸らして。


 「覚えているだろうが、潜入捜査を再開する」

 

 その土方の一言に。冬乃は今度こそ飛び跳ねた心臓を胸内に抱えて立ちつくしたままに、はい、と俯いて答えた。

 

 「今度は泊まってもらうぞ」

 

 「本当に大丈夫?」

 沖田の確認に。冬乃はあいかわらず目を合わせられずに、頷く。

 

 「では明日夕刻から使用人の仕事は休んで、総司と行ってもらう。場所は前に下見した旅籠だが、監察の報告だと以前よりも土佐系不逞浪士の出入りが頻繁になっているらしい」

 

 土方が冬乃に、座れ、と促しながら続ける。

 

 「今回で可能ならば、やつらと通じている店側の人間を割り出す。・・遊びに行くわけじゃねえ、気を引き締めて行くように」

 勿論です。今度は冬乃は、土方の目を見て頷いた。

 

 「もう一つ。おまえにも総司にも、顔は隠し、“お忍び”の体を装って行ってもらう。つまりそれなりの身分を仮として用意してある。服装も整えてもらうが、・・おまえ以前、総司に一着、太物を買ってもらったんだってな?丁度良いからそれを着ろ」

 

 冬乃ははっと目を瞬かせていた。


 (あの袷が、ここで役にたつなんて)

 

 あの時、つい沖田の身分に近づきたくて武家の出と答えてしまったが、これならば結果的にそれで良かったのだと。

 

 おそらく今回の件で冬乃に着せる服をどうするかと土方が言い出した時に、沖田も、以前に仕立てを終えて届いた袷のことを思い出したのだろう。

 

 確か今は未だ、冬支度への衣替え時期も迎えていない。着るならまさに今なのだ。

 

 

 冬乃は正座の上の両の手をそっと握り合わせて、どきどきと横に沖田を感じながら小さく息を吐いた。

 

 

 千代からの味噌漬けも結局、出しそびれた上に、冬乃が沖田の運命にたいして何をするべきなのか答えも出ていないまま、真綿で首を絞められるような感覚が続いている。

 

 それでも、これでひとつ沖田達の役に立てる事が、なにより、緊張はすれど明日はずっと沖田の傍に居られる事が、やはり嬉しくてたまらない。

 

  

 

 「では明日は頼むぞ」

 

 珍しく真剣な土方からのその眼差しに。

 「畏まりました」

 冬乃は、はっきりと土方の目を見返して、力強く頷いた。

 

         






   


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