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59.

 

 

 (確実だ・・・)

 

 

 薄れてゆく視界のなか、冬乃は統真の関与を確信しながら。


 

 「いっ・・!」

 

 

 何かを、蹴った。

 

 

 

 

 (なんか今、悲鳴が)

 

 「ッてめえ!!起きろ!!」

 

 

 (え?)

 

 「起きやがれ!!!」

 

 猛烈に叫ばれている気配に、冬乃はおそるおそる目を開ける。

 

 土方が目の前に映った。同時に暗い天井が見える。

 (・・んん?)

 

 「貴様、俺を蹴とばすたぁ、いい度胸だな!?」

 

 視界の端には、横に転がった文机。

 (えと、・・)

 

 この体勢から、状況を想像するに。

 またも文机に出現した冬乃に、文机の傍で寝ていたのか蹴られて起き上がった土方が、怒りのあまり冬乃を組み敷いたといったところだろうか。

 

 

 「ご・・ごめんなさい」

 「ごめんで済むと思ってンのか?貴様いつのまに入って来た、だいたい今何時だと思ってやがるッ」

 

 (怖・・っ)

 

 どうみても、むちゃくちゃ怒っている。常夜灯すら消したあとの真っ暗な内である以上、深夜のまっただ中で、土方の寝込みを襲った事態になっているには違いなく。

 

 「ご、」

 

 冬乃は組み敷かれたまま。

 「ごめんなさい」

 繰り返す、しかない。

 

 「・・てめえ、神妙に謝ってりゃ済むと思うなよ・・」

 

 「まあまあ、土方君、彼女も困惑している様子だし、ひとまずは・・」

 仏の山南の声がして。

 冬乃は、はっと彼の声がしたほうへ顔を向けた。

 

 

 障子を透ける朧な月光が、薄暗がりに半身を起こしている山南と近藤、その向こうに布団の上で座り込んでいる沖田の姿を映して。

 

 (あ・・・)

 

 「ひとまずは、」

 山南が。

 憐れむような声で続けた。

 「冬乃さんを離してあげないか」

 

 「・・・」

 

 山南の言葉に縋るように冬乃は、真上の土方におずおずと視線を戻す。

 

 (お・・お願いします土方様)

 この体勢を沖田に見られているのは。それなりに辛いものが。

 

 「・・・離さねえよ」

 

 (え)

 

 「この際、吐くまでこのままだ。言えよ、」

 夜闇に、土方の大きな目がきらりと光った。

 

 「何の目的で、こんな夜中に忍び込んだ」

 

 (忍び込むだなんてっ)

 「そんなつもりはありません・・!今が夜中ってことも、来るまで知らなくて」

 「んなわけあるか!寝静まったところを狙って来たんだろうがッ」

 「ちがいます!」

 おもわず涙目になりながら訴える冬乃を、

 「ふざけンのも大概にしろよ・・・」

 土方が忌々しげに睨みつけ。

 「だいたい、てめえのこのカッコも何なんだよ、わざとかッ?」

 

 (カッコ?!)

 

 怒りが収まらないらしい土方の矛先が、ついにあらぬところにまで向かってきたのかと、

 冬乃は自分の体に目をやって、

 そして。細い肩紐のキャミ一枚でいることに、

 (きゃあああ!?)

 気がついた。

 

 慌てて前を隠そうとして、おもえば冬乃の両腕は、土方に組み敷かれていて自由の効く状態ではないことにも、気づいて。

 

 (ま、前っ、隠させて・・!)

 

 襦袢と良い勝負な薄さのキャミを、裸にそのまま着ていて、しかも丈までも太腿がほとんど露わな長さなのだ。

 月明りの差しこむ中、いろいろと充分すぎるほど見えている。

 

 「これはっ、また向こうで着てたら、このまま・・っ」

 「おめえ、その未来だか何処だかから、来る直前にしてた恰好でこっちへ来るってぇ事は、もう知ってたはずだよな?つまりわざとだろ?」

 「え」

 「前も本当は知ってたんじゃねえのか。前は裸で今回はこれかよ?いいかげんに、襲ってくれとでもいわんばかりだな」

 (ええ!?)

 

 「それ以上からかうのは、可哀そうですよ・・」

 (あ)

 沖田の声がして。冬乃は咄嗟に、彼の救いに期待して沖田のほうを見やった。

 そんな冬乃の上で、

 「からかってんじゃねえ、説教してんだよッ」

 「それ、よけい可哀そうでしょ」

 (うう・・)

 「五月蠅えよ、」

 土方は冬乃の拘束を解くことも無く。


 「だいたい夜這いに来ンなら、もう少し、礼儀ってのがあるだろうが。なんなら今から教えてやろうか」

 (よ、)

 

 夜這いの礼儀作法なんか知りたくありませんし!

 叫びそうになったが、

 土方がどこまで本気なのか、冬乃が何か言うより先に、そのきらきら光る目で冬乃を見下ろしたまま、その手を冬乃の肩にかけてきて、

 (え、ちょ、)

 慌てた冬乃が身を捩るのもむなしく、冬乃の細く心もとない肩紐はいとも簡単に左右で落とされ、

 「土方君!」

 「おい、歳っ」

 山南と近藤の制止の声と、同時に。

 

 冬乃の服と呼べないような服は、

 胸元まで擦り落とされそうになって。

 

 「い、・・や、・・」

 (こんなの、沖田様の前で・・!)

 

 咄嗟に冬乃はもう一度身を捩って冬乃の腕を掴む土方の手に歯を立てると、驚いたようにその手が緩んだところを腕を振り上げて、手刀を土方の喉元へと向かわせ。

 

 勿論、土方になら冬乃の手よりも早く、かわされてしまうことなど分かっていた。

 

 「おめえ・・・」

 

 それでも、

 沖田の前で冬乃が、何も抵抗しないままでいる姿など、見せられずに。

 

 

 「今の、何だ・・?」

 

 冬乃の手をすんでのところでかわし、再び冬乃を組み敷いた土方が、

 冬乃の両腕を押さえた手に力を込めて。その目を見開き。

 

 ・・・冬乃の今の動きであれば、並の男ならば呼吸をいっとき止められていただろう。

 

 「貴様、今の芸当・・剣術の動きだろ。俺に手刀食らわせようとするたぁ、やってくれるじゃねえか。・・まさか、本当に密偵だったりしねえよな?」

 

 (ああ・・・)

 

 ふりだしに。戻ってしまったようだと。

 

 冬乃は心底、嘆息した。

 

 

 「貴方がいけないんでしょうが。蹴られた腹いせに苛めるから」

 そこに沖田の溜息まじりの声が聞こえた。

 

 「どうせ脱がす気もなかったくせに」

 

 (え)

 そうなの?!

 

 おもわず土方を見上げれば、土方が鼻先で嗤い。

 「分かってようが、止めに入ってやれよ」

 

 (それを土方様本人が言うのは変でしょ・・)

 げんなりと土方に内心つっこみをいれた冬乃の耳に、

 

 「冬乃さんには剣の素養があるからね、俺が止めずとも何かしら動くだろうと思って見させてもらった」

 そんな沖田ののんびりした声が。届いた。

 

 (・・・沖田様)

 ひどいです・・。

 もはや恨みがましく完全に涙目になった冬乃だが、

 

 「剣の、素養だと・・・?」

 

 土方が起き上がり、その場に座りながら、胸元を押さえて同じく起き上がる冬乃を睨みつけ。

 「どこで習った」

 本当に密偵じゃねえよな?

 もう一度、土方は、その疑心暗鬼を叩きつけてくる。

 

 「ですから・・未来です・・」

 そして密偵じゃありません。と冬乃は、どうしようもなさに呟く。

 

 「総司、おめえはこいつに剣の素養があると知りながら、密偵じゃねえと信じてたのかよ」

 「そりゃ暫く見てれば、彼女が密偵じゃない事は確信もしますよ」

 現に貴方ももう疑ってはなかったでしょう

 沖田が立ち上がりながら、言い足す。その足は押し入れへ向かい、なにやら沖田の行李からか浴衣一枚を取り出すと、ばさり、と開きながら、こちらへ向かってきた。

 

 (沖田様・・)

 見上げた冬乃の肩に、その浴衣は被されて。

 「有難うございます」

 ぺこりと頭を下げて前を隠す冬乃を見届け、沖田が戻ってゆく。

 土方は冬乃を胡散臭げに睨んだままだ。

 「いいかげん、てめえが未来から来ていることを証明してみせれば、今夜突然現れたことも納得してやるがな」

 

 (・・・証明って言ったって)

 

 「歳、」

 つと、今まで黙って状況を見守っていた近藤が口を開いた。

 

 「彼女が本当に遠い未来から来たとするならば、組の未来を知っている様子の彼女のことだ、つまり何か記録として遺されているということだから、俺達に会う前の過去の俺達の事も何か記録されて知っているんじゃあないか?」

 

 「ん?」

 (あ・・!?)

 目を瞬かせた冬乃へ、土方が、じろりと再び視線を寄越し。

 

 「・・なら、組の誰も知らないようなことを挙げてみろ。たとえば俺らが試衛館の出身だとか、そういう知られきってる事じゃねえぞ。勇さんや総司、山南さんしか知らねえ事だ」

 

 

 (いいんですか)

 

 ちょっと嗜虐的な気分になって冬乃はちろりと土方を見た。

 

 蹴ってしまったのは不覚とはいえ冬乃が悪いのだろうが、だからといって先程こっぴどく苛められた身としては、仕返しのひとつもしたくなる。つまりこの近藤の提案は土方にとって・・・・


 

 「土方様が、江戸のころ二度目の奉公先を追い出されたのは、女中にお手をつけたから、っていうのは本当ですか?」

 

 

 「っ・・・!?」

 

 

 沖田が、腹を抱えて笑い出した。

 近藤と山南もおもわず噴き出してしまい、慌てて口を押えている。

 

 当の土方は。・・絶句したようだ。

 

 暫しの間をおいて。

 「て、めえ、なんでそれを・・」

 眩暈でもしているような声で、土方が狼狽えて。

 

 「ですから、未来から来てますので知ってます」

 「な、なんでそんな事が未来で知られてンだよ!!」

 確かに、土方からすれば、そんな事どころか、彼の愛らしい発句集の中身まで後世で知られているとは思いもよらないだろう。

 

 

 「どうせ誰かから聞いたんだろ!そいつを知ってンのは、ここにいる人間以外は、・・源さんか!」

 井上のことである。

 「歳、源さんがそんなことを言いふらすわけがない。それに今までだってもう何度も次に起こる事を当てているんだろう?・・どうやら冬乃さんのことは、そろそろ信じてあげないといけなそうだ・・」

 近藤が苦笑して、そんなふうに言ってくれる。

 隣では山南が、ひとしきり笑いを堪えた後、なるほどそうなるのかと呆然としているようだった。

 

 「いいや、まだだ!他にも挙げられンなら挙げてみやがれ!」

 「では、最初の奉公の時は、番頭さんに」

 「分かった!!!」

 

 突然、土方が叫び。

 

 「おめえのことは信じてやらぁッ」

 やはり最初の奉公のことは触れられたくない思い出らしい。いろいろな噂があるが。番頭に殴られて大喧嘩したというものから、後ろを掘られかけた、というものまで・・

 

 何でそんなことまで記録されてんだよ!といわんばかりに涙目で睨みつけてくる土方に、冬乃は心内で舌を出す。

 

 

 「もういいッ。部屋に帰りやがれ」

 土方が冬乃を蹴りだす勢いで言い放ち、冬乃は恭しく頭を下げて立ち上がると、いそいそと女使用人部屋の襖へ向かい。

 

 「あの、夜分遅くに本当にすみませんでした、」

 改めて部屋の四人に謝って。

 「沖田様こちら有難うございます、お返しするのは」

 「ああ、朝でいいよ」

 聞き終わる前にすぐに沖田から返事が来た。

 

 冬乃はもう一度礼をして、そっと襖を閉じた。

 

 


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