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56.




 色々な帯の結び方も、お孝から教わってある。

 

 (よかった、ちゃんと出来た)

 

 全て自力で着付けることに成功した冬乃は、

 「沖田様、お待たせしました」

 襖越しに声をかける。

 

 涼しげな翡翠色の帷子姿で、沖田の前に現れた冬乃に、

 沖田が一瞬、目を見開いた。

 

 「綺麗だよ」

 

 着物のことなのか、冬乃のことなのか。わからないものの、さらりと褒めてくれた沖田に冬乃のほうは、くすぐったくなって俯く。


 

 「なんだ、出かけるのか」

 隊士達の視線を浴びながら二人は、じりじりと暑い日照りの屯所を横断し、門のところで井上とすれ違った。仕事着でない冬乃の姿に驚いたふうだ。

 

 「例の偵察です」

 沖田が答える。井上にはそれで通じたらしい。

 「お、気をつけて行ってこい」

 沖田と冬乃は会釈をして、門を後にした。

 

 

 

 目的の旅籠と周辺の偵察を難なく終えて、拍子抜けしている冬乃の気も知らず、

 冬乃の前では沖田が、深緑の連なる木漏れ日の下、多少は涼のとれる小路をのんびり歩んでゆく。

 冬乃は、もう少しくらい恋仲っぽく近寄って歩いていても罰は当たらないと。ちょっと寂しくなる。

 

 そんな時、蝉の声がそこかしこで響くなかに、不意に人の声が交じった。

 

 「人違いだと申しておる」

 

 

 (え)

 

 それは行く方向の小路から聞こえたようだった。

 冬乃は咄嗟に沖田を見たが、とくに今ので警戒したふうもなく、未だのんびりと歩んだままだ。

 

 沖田がこの反応ならば、鬼気迫る状況ではないのだろう。おそらく殺気等の気配はない程度の諍いか何かと、冬乃は幾分ほっとして、沖田の後をついていった。

 

 

 「何度申せば分かってもらえるのだ」

 「し、しらばっくれても無駄だ・・!」

 

 小路を曲がってその場を見れば、

 止まっている籠のそばに、籠から降りた様子の身なりの良い男を囲んで、浪士らしき二人の男が遠巻きに叫んでいる。

 「き、貴様が佐久間象山だということは判っておる!」

 

 どうも叫んでいる二人の浪士は、冬乃の目からみてもへっぴり腰だった。おまけに、現れた沖田達を見て、観客ができたことによけいに動揺しているようだ。

  

 対して囲まれている男のほうは、落ち着いていた。

 駕籠かきの男達は、怯えた様子で成り行きを見守っているものの。

 

  

 (てか、佐久間象山?)

 どう見ても、後世に伝わっている彼の写真と、この籠の前の男とは、似てるようにも思えないのだが。

 

 「何度も申しておるように、私は櫛羅の永井家中の者、その方とは縁もゆかりもない」

 「こ、この人相書と大いに似ておるではないか!」

 「然れど、その人相書はどれほど信の置けるものであるか」

 

 「こちらのお方が佐久間殿であれば、どうするつもりだ」

 

 突然、沖田が声を掛けた。話しかけられた浪士達が驚いて沖田のほうを見る。

 「な、何奴だ貴様は」

 「おまえ達が先に名乗れ」

 

 言い放ち、そのまま近づいてくる沖田に、

 浪士達があからさまに狼狽えて後退った。

 

 「その腰抜けぶりでは、やはり時間稼ぎの小者か」

 

 続いたその沖田の台詞に、ぎくりと二人は目を泳がせ。

 

 (え、どういうこと)

 冬乃は意味が分からず、沖田と浪士達を見比べる。

 

 「誰を待っている」

 沖田が、更に訊ねる間も浪士達のほうへすたすたと歩んでゆき。

 浪士達は答えず最早、顔を見合わせて、今にも逃げ出そうと背を向けかけた時、

 沖田が一瞬に抜き放ち、冬乃があっと息を呑んだ時には、二人はその場で崩れ落ちた。

 

 よく見れば、血が全く出ていない。峰打ちだったようだ。

 

 「御身の安全の為、できれば暫し、私の傍に居ていただけますか。頭巾をご着用の上」

 沖田が手早く下げ緒で二人を縛り上げながら、驚いて立ち尽くしている籠前の男へと声を掛ける。

 

 「御手前は・・」

 「申し遅れました、私は京都守護職松平肥後守御預新選組、副長助勤沖田総司と申します」

 沖田は立ち上がると、

 駕籠かきの男二人に「連れて戻ってきたらこれの三倍渡す」と駄賃を握らせ、壬生屯所へ連絡に走らせた。

 

 沖田の采配に呑まれた様子で、男が言われるがままに頭巾を装着しながら、はっ、と気が付いたのか、

 「私のほうこそ申し遅れた、」

 口走るように詫びて。

 

 「私は櫛羅の永井家中、酒井監左衛門と申します」

 

 

 (櫛羅藩・・酒井、監左衛門・・・?)

 

 

 冬乃は愕然と、男を見つめた。

 

 『沖田氏縁者』

 

 その記録のある、光縁寺の過去帳、往詣記へ、

 後年に住職が書き添えたとされる名前の人、酒井意誠。

 

 この意誠の養父、ではなかったか。

 

 

 (うそ・・)

 

 「しかし、どのようにして、かような事に」

 

 「それが、このとおり暑いさなか、簾を開けて籠を歩ませていた折に、突然、その横合いから声を掛けられまして」

 

 茫然とする冬乃の前で、二人の会話は進んでゆく。

 

 

 「しきりに、この者達が私のことを“佐久間だろう”と言うもので」

 今も失神して路上に倒れている二人を、酒井がちらりと見やった。

 

 「初めからこの二人だけでしたか?」

 沖田が尋ねた。

 

 「あ、いえ、もう一人おりました、どこぞへ駆けていってしまいましたが」

 「やはり」

 

 酒井がはっと顔を上げた。

 「もしや、沖田殿が先程仰っていた、時間稼ぎというのは・・」

 

 「ええ、その駆けていった者が、じきに腕のたつ仲間を連れて戻ってくる可能性があります。この者共は、佐久間殿を探して京を回っているだけの小者でしょう。最近、佐久間殿が狙われているらしいという情報が組にも入っており、そんなところだろうとは」

 

 沖田の言葉に冬乃は、おもわず路の左右を見た。

 

 

 「組から人が来るのが先であれば、その者達に後は任せ、私は酒井殿を行先までお送り致しますが、・・と、来ましたね」

 沖田のその言葉に、

 酒井も、路の一方を見ていた冬乃のも、はっと沖田の視線の先を追うと、

 先程の駕籠かきに連れられた隊士達が、まさに路の向こうから今ちょうど折れて入ってきたのが見えて。

 

 (あ・・)

 駕籠かきの健脚のおかげで、知らせが早かったのだろう。

 

 冬乃はほっとして、まもなく到着した隊士達に沖田が事情の説明と指示を出すのを聞きながら、

 前に立つ酒井をそっと盗み見た。

 


 沖田氏縁者。おそらくは、沖田の恋人・・内縁の妻、ではないかといわれている女性で。

 

 彼女の名前さえわからない。

 新選組ゆかりの寺である光縁寺の過去帳に、

 大人の女性につけられる戒名と、亡くなった日付、そしてただ、沖田氏縁者、とだけあり。


 そして今、冬乃の目の前に立つ酒井は、

 

 明治を過ぎたころにその彼女の供養に来たとおもわれる人物の、養父。



 (いったい、どういう関係があるんだろう・・)



 「お待たせ致しました。向かわれる場所まで、警護いたします。どうぞ籠へ」


 「かたじけない。では高槻の御屋敷へ・・いや、その前に立ち寄る箇所が・・、同様に付近ではありまするが」

 「お構いなければご一緒いたします。尚、ねんのため簾はお下げください」

 

 「それと、彼女は組で使用人をしている者です。ご一緒させていただきます」

 沖田が冬乃を見て、言い添える。

 「冬乃と申します」

 冬乃は慌てて名乗った。

 「冬乃殿、御足労おかけ致します」

 酒井の返事に、冬乃は恐縮してお辞儀で返した。

 

 すでに沖田から三倍の駄賃を手にした籠かきが、ほくほく顔で、酒井の乗り込んだ籠を持ち上げる。

 

 その横につきながら、沖田が微笑う。

 「ところでご存知かもしれませんが、高槻の永井様御屋敷でしたら、私共の組の屯所の目と鼻の先です」

 「はい、」

 簾の向こうからすぐ酒井の声がした。

 「じつは新選組とお聞きして、正直驚きました」

 ばつの悪そうな声が続く。

 「我が櫛羅の永井家は、高槻の御屋敷に間借りしておりまして、私共はよく御手前方が猛々しくご出勤なさる姿をお見かけしてます」

 

 「それは、」

 騒がしくて申し訳ない

 と沖田が笑う。

 

 とんでもない、と簾の中からも笑う声が返ってきた。

 しかし冬乃の記憶では、酒井は櫛羅藩の重役なはずだが、随分と礼儀正しく遜譲の徳の持ち主の様子だ。

 

 「これから立ち寄る所も、やはり壬生でして」

 

 

 酒井が道すがら話した内容によると、そこは、酒井が去年の秋に大病した際に、命を救ってくれた医者の家だとのことで、

 深い恩義を感じ、それからよく顔を出させてもらっていたが、

 その医者は今年の夏前に病で他界し、今は後家とその娘がきりもりしているとのことだった。

 

 「ちなみに、ここの胃薬はよく効きます」

 酒井が締めくくる。

 「それならさっそく貰って帰ろうかな」

 沖田が呟くのへ、

 「なんと。それはまた如何して」

 酒井の心配そうな声が返った。

 「うちにはひとり酷い胃痛持ちがおりまして」

 近藤のことだろう。冬乃は時々辛そうにしている近藤を思い出した。

 「それはおいたわしい・・」

 人の良い酒井の同情する声がそして届いた。

 

 

 やがて冬乃たちは、その医者の家へ到着し。

 「あら、酒井様」

 酒井が籠から出てすぐに、音を聞きつけた様子で、後家とおもわれる女性が玄関から出てきて。

 

 「お元気でいらっしゃったかな、」

 酒井が笑顔で挨拶する。

 「少々ご無沙汰してしまいました。じつは郷へ帰っておりまして、今日はその土産をお持ちしたのです」

 「まあ、嬉しい」

 

 「え、酒井様?お久しぶりでございます」

 

 可愛い声が、後家の後ろから響いた。

 

 

 (・・あ)

 

 冬乃の目が彼女を捉えた瞬間。――見えない力に、頭を殴られたかのような衝撃が、

 駆け抜けて。


 息もできず、


 冬乃は、現れた彼女を見つめていた。

 

 

 直感としか、

 それは、呼びようがなく―――――


 

 (・・この人が、)

 

 

 沖田の縁者として、

 

 眠ることになる女性だと。





 ――そして、


 「・・あの、」

 玄関に現れたその女性は、

 冬乃を見るなり、声を掛けてきた。

 

 「どこかで、お会いしたことは、ございませんか・・?」

 

 

 「お知り合いでいらっしゃるか?」

 酒井の驚いた声に、冬乃は彼をぼんやりと見返す。


 

 (この時代に、知り合いなんて)

 

 いるわけがない。なのに、

 

 

 ――――この既視感は、いったい・・・


 

 

 冬乃は戸惑ったまま沖田へ視線を向けていた。

 沖田もまた素直に驚いた様子で、冬乃と彼女を交互に見る。

 「知り合いなの?」

 そして尋ねてくるのへ。

 

 「いえ、」

 なんとか声を絞り出して冬乃は。

 

 「・・・申し訳ありません。お会いするのは初めてかと・・」

 答えて。

 

 

 「そう・・かしら。不思議ね」

 彼女が呟く。

 

 

 「皆様、玄関で立ち話もなんですから、どうぞ中へ」

 

 後家が微笑んで促し。酒井がそうですなと頷いて、中へと向かうのへ、沖田が、では、と後へ続く。

 

 「・・・」

 「貴女様もどうぞ早く」

 冬乃は、立ちすくんでいた足をむりやり動かして、従った。

  

 


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