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50.

 

 

 「そうだ、待て」

 

 話が終わったのを受けて冬乃が、その場を逃げるようにして、茂吉さんへ挨拶に行きます、と立ち上がった時、後ろから土方が呼び止めた。

 

 「次に起こる事件は何だ」

 

 

 (・・・っ)

 

 それを聞くかな。

 冬乃が言葉に詰まってしまったのを。目敏く捉えた土方が、その大きな瞳で見上げてくる。

 

 「言えねえのか?」

 未来から来たんだろ

 と、殆ど信じているわけでもないだろうに土方が促して。

 

 (言える、わけが・・)

 

 冬乃は、懸命に頭を捻った。

 次に起こる事件、池田屋事変の、

 

 何か言っても差し支えない事はあるだろうかと。

 

 (もし言えるとすれば、唯・・)

 

 

 「大きな・・捕り物があります、近いうちに」

 

 これだけだろうと。冬乃は唇を噛み。

 

 

 へっ、と土方が口端を歪めた。

 「大きな捕り物なら、もう幾度もやってるぜ」

 

 

 (その大きさの、規模がちがうんです・・)

 

 

 「・・・」

 

 冬乃が答えない様子に。土方はにやりと笑んだ。

 「・・どうやら、よほどの捕り物らしいな」

 

 冬乃は尚答えず。ただ目を逸らした。

 

 

 「・・・まあ、いい。茂吉さんの所へ行ってこい」

 よく謝っとけ、と哂う土方の言葉が追った。

 

 

 

 

 

 副長部屋を出た冬乃は、茂吉を探しに、まずは厨房を覗くことにした。

 

 (暑い・・・)

 

 外を歩きながら、風の無い中まとわりつくような熱気に、冬乃は早くも、ぐったりしていた。

 

 (こんな暑さの中、みんな巡察に廻ってるんだ・・)

 

 

 この時期。

 先の八・一八政変で京都を追い出された長州藩士達や、志同じくする浪士たちが、再び相当な人数で入京し潜伏していると、懸念されていた。

 

 度々不審な浪士を捕縛し、不穏な雲行きを察知していた新選組は、巡察を日夜強化、幕府も見廻組という部隊を新たに設立し、京都各所に潜伏しているであろう彼ら志士達への警戒を強めていた。

 

 

 (だけど。新選組も、彼ら志士達も、想いは同じだったはずなのに)

 

 この当時、天皇は、あくまで幕府を必要とし、幕府の援けによる攘夷の実行を希望していた。

 だが、それを知らない、または信じない、多くのまたは一部の、純真な『尊王攘夷』思想の長州系志士にとっては、

 あくまで先の政変は、会津と薩摩の勝手な謀略であり、

 

 彼らは、その会津と薩摩、“薩賊会奸”によって、朝廷が牛耳られて、天皇の意志がないがしろにされている、と想像し、嘆いていた。

 

 じつはそれが皮肉にも、政変前の、長州に牛耳られた朝廷と天皇の状況であったことを、彼らは当然、認識してはおらず。

 

 

 志士達は、会津等を朝廷から追い出す為、そして、朝廷での長州の復権の為、

 事を起こす計画の決行に向け、新選組や幕府の目をかいくぐり、必死で準備を重ねていた。


 

 池田屋事変は。そのさなかに起こる。

 

 

 その日、早朝に捕らえた一人の志士の、長い拷問によりついに引き出した自白、そして押収した書状の数々と、

 封印したその志士の家の土蔵が、昼前には何者かに破られ武具類が奪取された事によって、

 新選組は、志士達の計画の内容に加えて、その決行の日が非常に近い可能性を知る。

 

 “もしその計画が、今夜明夜にでも決行されたら”と。

 危機感を募らせる新選組は、

 近々の計画実行に向けて何処かに潜伏している志士達を、今度こそ根こそぎ捕らえるため、

 会津と幕府へ応援を要請し、自らも普段にない厳重武装の用意を行い、その日夕刻、徹底巡察を開始した。

 

 近藤と土方、それぞれに隊士を引き連れて二手に分かれ、

 旅籠や料亭、あらゆる店をしらみつぶしに廻る過程で、

 そして、近藤の隊は池田屋に辿りつき。新選組が朝に捕らえた志士の奪還策を主な議題に会合していたといわれる、十五名程の志士達と遭遇し。後世に遺るその事変は起きた。

 

 その夜、剣を交えた近藤達も、彼ら志士達も、

 だが、『尊王攘夷』という志ならば、違わなかったはずだった。

 

 

 

 (もっとずっと早くに、それぞれの代表が集まって、天皇もそこにいて、・・全員で想いのたけを打ち明けることが出来ていたら、この後の歴史があれほどまでに血塗られることは、なかったかもしれないのに)

 

 そんな、ありえない仮定でも。

 情報が正確に伝わらない中、顔をつきあわせて話し合うことがなかったために生じた憶測と誤解が、

 本来なくていいはずの不安や憎悪を引き起こしたことを、

 そのいつの世も変わらない、人の抱える限界をまるで、示すようで。

 冬乃の心に沈む想いへ、波紋を起こす。

 


 

 

 

 

 「・・え?冬乃はん?」

 

 厨房にいた茂吉と藤兵衛の驚いた顔に、冬乃は思考を終わらせ、ぺこりと挨拶した。

 

 「長らくご無沙汰して申し訳ありません・・」

 

 「あんた、嫁に行ったんと違うん?」

 たった半年で出戻りか?!と顔に描いてある茂吉に、冬乃が苦笑して首を振る。

 

 「なんだかそういう噂になっていたそうですが、・・急の家族の用事でして・・すみませんでした、ご挨拶もできないまま」

 

 「・・・」

 唖然とした様子の茂吉と藤兵衛の後ろで、厨房の反対側の戸を開けて、お孝が入ってくる。

 

 「あら、冬乃はん!」

 お孝の面にぱっと咲いた、その大輪の花のような笑顔に。

 冬乃にすればごく短い期間だったとはいえ、再開できた嬉しさが、胸内に溢れて。

 

 「ご無沙汰してすみません。あの、また、よろしくお願いいたします」

 冬乃は、心を込めて。深々とおじぎした。 

 


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